犬が死ななきゃそれでいい

阿炎快空

犬が死ななきゃそれでいい

「犬が死ぬ映画は糞だ」  


 黒いパーカーのフードを目深に被ったその若い男は、片手で折り畳みナイフを弄びながら、僕を見下ろし言い放った。


「内容は関係ない。死んだ時点で、総じて糞だ」

「は、はあ」  


 ——会社の帰り、背後から頭に一撃をくらい、気づけば冷たい床に転がっていた。

 コンクリート打ちっぱなしの、何もないガランとした空間。

 おそらく、どこかの廃ビルの一室だろう。


 手足は結束バンドで縛られている。  

 目の前には、窓から差し込む月明かりに照らされた怪しげな男。  


 巷で話題の、連続猟奇殺人事件のネット記事が頭をよぎった。

 つい先日も、隣の市で中年女性の無惨に切り刻まれた遺体が発見されたばかりだ。


「最近じゃ、作品内で犬が死ぬかどうかを事前に教えてくれるサイトなんかも——」

「あ、あの、どうしてこんなことを?」

「ヴィーガンっているだろ」

「え?」


 いきなり話題が飛んだ。

 戸惑う僕を無視して、男は続ける。


「完全菜食主義者。アイツらって、いろいろと批判されがちだろ?『植物にだって命はあるだろー』とか揶揄されて。でも、俺は思うんだ。アイツらは、自分の中に線を引いたんだって」

「線、ですか?」

「昔、小学校で『みんなで育てた豚を食べるか食べないか、最終的に生徒に議論させる』って授業が話題になった。知ってるか?」


 ああ、と僕は頷いた。

 確か、映画化とかもされていたはずだ。

 観たことはないが、知識としては記憶にある。


「『食べない派』のことを偽善者だと言うやつもいるだろう。普段、家やレストランで豚を食べている癖に、自分が育てた豚は食えないのか、ってな。だが、そんなのは当たり前じゃないか?ずっと育てていれば愛着だってわくだろう。つまらない理屈に縛られ、感情を無視するべきじゃない。その辺に咲いているありふれた花でも、花瓶に飾ればそれは特別な一輪なんだ」

「詩人ですね」


 ありがとう、と礼を言うと、男はしゃがみ込み、じっと僕の顔を覗き込んだ。

 どこか爬虫類を思わせる、感情の読み取れない顔立ちだった。


「いいか、自分を中心にした円を想像してみろ。その線の内側に何を入れ、外側に何を弾くかは、結局、個人個人が決めるしかないのさ」


 意識的にしろ無意識にしろ、誰しもが行なっている残酷な選別。

 そこに正解はなく、選択があるのみ、ということか。


「俺に言わせりゃヴィーガンってのは、その円が周囲の奴らより大きい連中だな。思想に共感はしないまでも、姿勢に敬意は表してるつもりだ」

「なるほど」

「とは言え、俺自身の円は、残念ながらかなり小さい。ぶっちゃけ、あんたは線の外側に居る」

「マジっすか?」

「マジだ。悪いが、俺の円は、もう犬達で一杯だ」


 男はジーンズのポケットからスマホを取り出すと、待ち受け画面を僕に見せた。

 フローリングに寝転がった白い犬が、舌を出してこっちを見ている。

 犬にはあまり詳しくないが、確かサモエドという研修だったはずだ。


「これ、うちの子」

「うわあ、可愛いですねえ!」


 僕はとりあえず、相手の機嫌を取ることにした。


「実は僕も、昔から犬とか猫が大好きで——」

「猫?」


 男の目が、鋭く光る。


「何で猫が出てくる?今は犬の話をしてるはずだろ?」

「そ、そうですね!よく考えたら、猫って最低ですよね!全然懐かないし!」

「なんだ、わかってるじゃないか——ビックリさせんなよ」

「いやあ、すんません」


 暫く笑い合った後、じゃあそういう訳で——と男がナイフを振りかぶった。


「——ちょちょちょちょちょ!」

「ん?」

「『ん?』じゃないっすよ!勘弁してください!」


 慌てながらも、僕は必死に言葉を紡いだ。


「その、別に円の内側入れてくれなくていいんで!せめて殺すのは無しで!」

「でも、殺したいんだもん」

「『だもん』じゃないですよ!我慢してください!」

「すまないな。理解できないだろうが、俺にとっては必要なことなんだ」


 こちらの正当な主張を却下し、男は続ける。


「とりあえず謝罪くらいはしようと思って、わざわざ起きるのを待ってたんだぜ。優しいよな、俺って。さて、じゃあ早速……」

「あ、あのですね!」  


 このままでは死ぬ。  

 僕は思いつくままにまくし立てた。


「さっき、『犬が死ぬ映画は糞』って言ってましたよね!?」

「ん?」

「ほら、映画っていろんなジャンルがあるじゃないですか!SFとかファンタジーとか!犬の脳に寄生して、体を操ってるエイリアンとか——魔法で犬に化けてる魔女とか!そういうのが死ぬのも嫌なんですか!?」

「……なるほど」  


 男はゆっくり顎をさすった。


「果たしてどこまでが犬か……思考実験としちゃ面白い。が、考えてる間に夜が明けちまいそうだ。まあ、あんたを殺した後でゆっくり……」

「いや、それじゃ困るんです!だって——」  


 イチかバチか、僕は大声で叫んだ。


「——だって僕、犬なんでっ!」


 どこか遠くの方で、車のクラクションが聴こえた。

 長い沈黙の後、男は短く、


「は?」  


 とだけ口にした。

 やってしまった。 

 もはや後には引けない。

 ハッタリで乗り切らねば。


 僕は覚悟を決めて、恐々と口を開いた。

 






 えっと——僕の飼い主、森崎健太っていうんですけども。

 その健太の口癖が『犬になりてえなあ』だったんですよ。

 よく『お前はいいよな、呑気そうで』とか言ってて。


 そしたら——二ヶ月くらい前かな?

 理屈はわからないんですけど、入れ替わっちゃったんですよね、僕ら。

 朝起きたら、もうこの体で。

 健太もパニック状態だし、しょうがないから僕、代わりに会社行ったんですよ。

 なんか、この体になったら急に頭が良くなって。

 人間の脳を使ってるからなんですかね、やっぱり?


 健太の記憶とかも、割と残ってるんですよね。

 あ、でも健太の方は、どんどん言動が普通の犬っぽくなってって。

 最初の一週間くらいはまだ意思疎通もできたんですけど、今じゃすっかり……あの、聞いてます?






「ああ——悪い、悪い」


 ——男は、肩を細かく震わせていた。


「心と体が入れ替わった、か——クク——そういや昔——そんなアニメが流行ったな——」 


 笑っている。

 僕のでまかせがツボに入ったらしい。

  

「で——犬種は?」

「え?」

「犬種だよ、お前の。わからないってこたないだろ?」

「あ、ああ。勿論ですよ——えっと——」


 頭をフル回転させ、咄嗟に知っている単語を引っ張りだす。


「——ビーグル!ビーグルの雄です!」

「ビーグルか。可愛いよな、ビーグル」

「あざっす!光栄です!」

「名前は?」

「健太からは、ジョンって呼ばれてました!」

「それじゃあ、ジョン。ちょっと鳴いてみて」

「ワン!ワンワン!」

「アハハハハ!上手い上手い!」

「ワンワン、ワンッ!」


 もうどうにでもなれだ。

 やけくそ気味に鳴き続ける僕を見ながら、男は滲んだ涙を拭いつつ尋ねた。 


「それで——ジョンは、元の体に戻りたいか?」


 男の顔から、笑みが消えていた。

 先程、うっかり「猫」という単語を出してしまった時と同じく、瞳が危険な光を宿している。


 これは——どっちだ?

 どっちが正解だ?


「ま、まあ、戻れるのなら。残業とかキツイですし」

「……」

「て、ていうか、人間なんて糞ですよ、糞!犬、最高!」

「……フッ、そうかそうか」


 どうやら、答えがお気に召したらしい。


「いいぜ。信じたことにしてやるよ」


 男は満足そうに言うと、ナイフで結束バンドを切った。


「面白いなあんた。本書けよ、本。映画化したら観てやるから。ただし——犬が死ぬやつ以外なら、な」






 何とかアパートまで帰った僕は、そのままベッドへ仰向けに倒れ込んだ。  

 善良な市民として警察に通報すべきかとも思ったが、どうしようもなく疲れていた。


 線だの円だの、人間はどうにも理屈っぽい。

 その点、僕の行動原理は明快だ。

 本能に刻まれた強烈な生への執着。  

 しかし、嘘も方便とはよく言ったものだ。


「戻りたいわけないだろ、寿命の短い畜生になんて……なあ、健太?」


 そう呟く僕の腹の上で、飛び乗ってきた健太が小さく「ニャーオ」と鳴いた。

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