第三話「キブシ」

 ホームルームが始まる前。教室にはすでに、いくつかのグループができていた。


 窓際の席に集まる男子たち。中心にいるのは、背が高くて声の大きい男子生徒。彼が何か言うたびに、周囲が笑う。


 その反対側、教室の前方には女子が数人。中心にいるのは——白崎だった。


 柔らかな笑顔で話しかけ、周囲が自然と彼女に視線を向ける。


 教室は、すでに二つの勢力に分かれ始めている。


 そして私は——どちらにも属していない。


 教室の隅。一番後ろの席。誰の視界にも入らない場所。


 それでいい。巻き込まれるよりは、ずっといい。


「おい、見ろよ。Fランクがいるんだろ、このクラス」


 窓際の男子グループから、声が響いた。


 さっきまで中心にいた男子生徒——神宮じんぐう、という名前だったか。チラッと呼ばれているのが聞こえた。


「誰だよ、それ」


「知らねぇ。でも、このクラスには確実にいる」


 スマホの画面を見せ合いながら、神宮のグループが盛り上がっている。


 学園アプリは、近くにいる人のランク分布を表示する。でも、「誰が」そのランクなのかは分からない。


 だから、こうやって探り合いが始まる。


「まあ、そのうち分かるだろ」


 神宮が、軽く笑いながら言った。


「Fランクなんて、すぐボロが出る」


 その言葉に、周囲がまた笑う。


 私は、視線を落としたまま、何も反応しなかった。


 ここで動いた瞬間、「探している側」ではなく、「見つかった側」になる。


 それだけは、避けなければならなかった。


「ククク……等級に囚われ、それに翻弄される。まこと、其方そちらは滑稽じゃのう」


 背後から、場違いな声が落ちてきた。


 私は、ゆっくり振り返る。


 右眼の眼帯。黄緑がかった髪を、無理に分けたハーフツイン。


 ——ああ、そういう人。


 厨二病、というやつ。中学にも何人かいた。大抵は、周囲から浮いて、いつの間にか消えていく。


 けれど、誰も彼女に反応しなかった。


 教室の関心は、それどころではない。「Fランクは誰か」——その一点に、全てが集まっている。


 眼帯の少女は、少し間を置いてから俯いた。肩が、ほんのわずかに落ちる。


 ……気づいたのだろう。


 この場で目立つ資格があるのは、「疑われている者」だけだということに。


「Fランクは名乗り出ろ! 信頼されていない奴はクラスにいらない!」


 神宮の声が、教室に響いた。


「その通りだ!」

「不信者!」


 同調する声が、いくつも重なる。


 私は、顔を上げなかった。かといって、俯きもしない。


 ただ、何も反応しない。


「みなさん、落ち着いてください」


 前方から、静かな声がした。

 いつの間にか、白崎が立ち上がっている。


「ここで疑い合っても、答えなんて出ませんでしょう?」


 柔らかな声。けれど、教室全体に届くような、不思議な響きがあった。


「そうだよな。焦る必要はねぇ」


 神宮も、肩をすくめて椅子に座り直した。


「そのうち分かるさ」


 二人の言葉で、教室の空気が少しだけ和らぐ。


 ——けれど。


 白崎の視線が、一瞬だけこちらを向いた。


 まるで、最初から全てを知っているような——そんな目だった。


 私は、トイレに行こうとした。


 その時だった。


「横曽根さん。あなたなら、誰がFランクかお分かりかではないですか」


 白崎が、私の席の前に立っていた。


 肩に、軽く手が置かれる。


「ね、横曽根さん?」


 その一言で、空気が変わった。


 ——目立つ。


 今、この話題と私が、一本の線で結ばれた。


「横曽根さん、だっけ?」


 神宮のグループから、誰かが言う。


「もしかして、Fランクが誰かわかるの?」


 気づけば、周囲に人が集まっていた。


 視線は、私を見ているようで、見ていない。彼らが欲しいのは、答えだ。


「……」


 詰んでいる。


 ここで肯定すれば、終わる。沈黙すれば、疑いは深まる。否定しても、同じだ。どの答えを選んでも、結果は変わらない。


 ——最初から、盤面はこうなるように組まれていた。


「黙っていては、皆さん困りますよ」


 白崎の声が、柔らかく響く。


「せっかく横曽根さんが目立てるよう、手伝って差し上げたというのに」


「そう——最下層の方でも、ね」


 その一言で、空気が反転した。


 「最下層」。Fランク——つまり、私のことだ。


 白崎は、遠回しに答えを教えた。「横曽根さんが知っている」のではなく、「横曽根さんが、その本人」だと。


 さっきまで向けられていた視線が、温度を失い、重くなる。


「こいつがFランクなのか」


「信頼されてないんだろ? 暗そうだし」


 ——正解。


 私の信頼度は、ゼロだ。


「出てけよ。このクラスに不信者は必要ない。風紀を乱す」


 声を上げたのは、神宮だった。


 それに呼応するように、何人もの腕が一斉に上がる。


「そうだ!」

「いらない!」


 同調の波は、あっという間に教室を埋め尽くした。


 ——けれど。


 腕を上げなかったのは、二人だけだった。眼帯の女子生徒と、白崎阿佐美。


「可哀想ですわ。退学なんて」


 白崎は、憐れむように首を傾げる。


「ですから、私が面倒を見て差し上げます。最下層の方が、この学園で生活できるために、です」


 一見すれば、救いの手。でも、その言葉には選択肢がなかった。


 彼女は同情しているのではない。この状況そのものを、楽しんでいる。


「そこに並ぶ凡俗ども……その小さきおなごをいじめていて、楽しいのかのう?」


 眼帯の女子生徒は、右目の眼帯に指をかけながら、声を張り上げた。先ほどとは違う。わずかに、震えが混じっている。


「妾——『黄泉の王』を名乗る者、福寿ふくじゅ奏歌そうか。その愚かさ、見るに堪えぬ」


 教室が、一瞬だけ静まり返った。


 突然割り込んできた、あまりにも異質な存在。けれど、その声は確かに、この場の空気を断ち切っていた。


「何言ってんだ、こいつ? 黄泉の王? まだ厨二病が抜けてないんですかー?」


 神宮のグループから、嘲るような声。教室のあちこちから小さな笑いが漏れた。


「な、何を言っておる!? 妾は厨二病などというものではない——」


「はいはい、すごいすごい」


 被せるような軽い相槌。それだけで、福寿の言葉は空気に溶けた。


「……」


 福寿は、続きを言えなかった。眼帯にかけていた指が、ぎゅっと握られる。


 反論すれば、さらに笑われる。黙れば、負けを認めたことになる。


 どちらを選んでも、ここでは勝てない。


 彼女は今、私と同じ状況だ。

 詰んだ盤面で、動けなくなっている。


 なら——せめて自分で駒を動かそう。


「……福寿さんの言う通りだと思います」


 気づいたら、私は立ち上がっていた。


 周囲の視線が、一斉に集まる。


 心臓が、嫌な音を立てた。けれど、声は意外と落ち着いていた。


「ランクで人を判断するのは、愚かです」


 その言葉に、教室が静まり返る。


「それに——私がFランクです。もう答えは出ましたよね」


 私は、ゆっくりと周囲を見渡した。


「スコアはゼロ。誰からも信頼されていません。でも——」


 白崎を見た。


「それで、私が教室から出ていかなければならない理由は? 学園の規則に、そんなこと書いてありましたか?」


 誰も答えない。

 当然だ。そんな規則は、ない。


「Fランクが三週連続なら退学勧告。それは知っています。でも、『Fランクは教室にいてはいけない』なんて、どこにも書いてありません」


 論理的に、淡々と。

 感情を乗せない方が、この場では効く。


「私は、ここにいます。問題があるなら、理事長にでも言ってください」


 そう言って、私は座った。


 教室が、しんと静まる。

 誰も、何も言わない。


「……ふん」


 神宮が、小さく鼻を鳴らした。


「まあ、いいけどな。どうせ、長くはいられねぇだろ」


 それだけ言って、彼は席に戻った。


「……あら」


 白崎が、小さく息を吐いた。


「勇気がありますわね、横曽根さん。でも——」


 彼女は、優しく微笑んだ。


「規則に書いていないことでも、空気というものがありますでしょう? この学園では、信頼されない人間は、自然と居場所を失っていくものですわ」


 その言葉が、教室にゆっくりと広がる。


「ですから、私が手伝って差し上げます。孤立しないように、ね」


 優しい声。冷たい目。


「それは結構ですわ、白崎さん」


 神宮が、軽い調子で割り込んだ。


「そういうのは、偽善って言うんだよ。俺は嫌いだね」


「あら、神宮さん。偽善ではありませんわ。本心から、心配しているんです」


「はいはい。好きにしろよ」


 神宮は、興味を失ったように手を振った。


 二人の間に、微妙な空気が流れる。


 ——対立、というほどではない。けれど、協力関係でもない。


 白崎は「救済」を掲げ、神宮は「排除」を掲げている。


 目的は違うが、どちらも——私を、この教室から消そうとしている。


 白崎は、満足そうに自分の席へ戻った。



 ◇ ◇ ◇



 私は、静かに息を吐いた。


 完全な勝利ではない。でも、少なくとも——黙って晒されるよりはマシだ。

 どうせ地獄なら、自分で選んだ地獄の方がいい。


 そう思った、その時。


「……其方」


 小さな声が、横から聞こえた。

 振り向くと、福寿が立っていた。眼帯の下、わずかに見える目が、潤んでいる。


「……ありがとう、ございました」


 その声は、さっきまでの尊大な口調ではなく——普通の、女の子の声だった。


「妾は……妾は、何もできなかったのに」


「いえ」


 私は、首を横に振った。


「福寿さんが声を上げてくれたから、私も動けました。ありがとうございます」


 嘘じゃない。


 彼女がいなければ、私は黙ったままだった。詰んだ盤面で、何もできずに終わっていた。


「……妾の名は、奏歌じゃ」


 福寿が、少しだけ笑った。


「其方の名も、教えてくれぬか」


「……和花です。横曽根和花」


「和花……良い名じゃのう」


 彼女は、そう言って席に戻った。

 背中が、さっきよりも少しだけ、軽く見えた。



 ◇ ◇ ◇



「おい、お前ら席に着け」


 教室の入り口に、男性教師が立っていた。四十代くらい。無精髭を生やした、だるそうな顔。


「このクラスだけだぞ、こんなに騒いでいたのは」


 生徒たちが、ばらばらと席に戻る。


 教師は教卓の前に立つと、大きくあくびをした。


「俺は担任の外沖そとおき勿草なぐさ。めんどくさいことは嫌いだ。お前らも、めんどくさいことはするな」


 投げやりな自己紹介。

 期待できる雰囲気ではない。


「ランクがどうとか、くだらねえことで揉めるな。学園の評価が下がる」


 外沖は、そう言って椅子に座った。


「じゃあ、ホームルーム始める。出席取るぞ」


 淡々とした声で、教室の空気が強引に切り替えられた。


 さっきまでの騒ぎなど、最初から存在しなかったかのように。


 名前が、順番に読み上げられていく。


神宮じんぐう槿あさ


「へーい」


 軽い返事。


 さっきまで、私と福寿を面白がるように煽っていた男子生徒だ。


 性格と態度のわりに、やけに整った名前。


 それが、どうしようもなく腹立たしかった。


「横曽根和花」


 私の名前が呼ばれた時、教室のあちこちから視線を感じた。


「……はい」


 小さく返事をする。


 外沖は、何も言わずに次の名前へ進んだ。



 ◇ ◇ ◇



 授業が始まった。


 初日ということもあって、内容はほとんど行われなかった。教師たちの自己紹介で時間は潰れ、各教科とも顔見せ程度。


 気づけば、授業も終わっていた。


 スマホを見る。四時半。


 答えは知っている。あとは、これを真相研究部に提出するだけだ。


 私は席を立ち、そのまま教室を出ようとした——その時。


 廊下の向こうに、人影があった。

 教室の前に、じっと立っている女子生徒。

 前髪が長く、目元はよく見えない。


 ……見覚えがある。


 翠雨水茜。


 私を「嫌い」と言い切った彼女が、どうしてここに?


 同じ一年生だとしても、クラスは違う。

 用事がなければ、立ち止まる理由はないはずだ。


 ——偶然?


 いや。

 このタイミングで、それは考えにくい。


 胸騒ぎを無視するように、私は一歩、足を踏み出した。


 翠雨の横を、何事もなかったかのように通り過ぎようとした。


 「痛……っ」


 足元に、何かが転がってきた。

 カランッという金属音。


 見下ろすと——錆びた金属製のプレートだった。

 角が鋭く、重い。


 翠雨は、私の足元に「落とした」のだ。

 わざと、という感じでもない。

 けれど、拾って渡すつもりもないらしい。


 私は、屈んでプレートを拾い上げた。

 金属製。表面に、文字が刻まれている。


『信じた者は、裏切られる』


 ——これが、二つ目のヒント。

 もう必要ないが。


「翠雨さん……どうして、こんなことを……」


 声が、思ったよりも震えていた。


「手渡し、したくなかったから」


 淡々とした答えだった。

 言い訳も、感情も、そこにはない。


 私は言葉を失った。


 ……そんな理由で?


「触りたくない、ってこと?」


「……そう」


 翠雨は、一瞬だけ目を伏せた。


「あなたに、触れたくない」


 その声は、震えていた。

 怒りでも、憎しみでもない。

 何か——もっと深い、拒絶。


「これ、異常のヒント」


 そう前置きしてから、翠雨は続けた。


「答えは……葛城朝晩」


 それだけ言うと、もう用は済んだと言わんばかりに、踵を返す。


「ちょっ……待っ、まだ話は――」


「話すことなんてないよ。嫌いって言ったでしょ」


 振り返りもしない。


 腹部を押さえてうずくまる私の存在など、最初から視界に入っていなかったかのように、翠雨は廊下の奥へ消えていった。



 ◇ ◇ ◇



 私は、ゆっくりと立ち上がった。

 横腹が、まだ鈍く痛む。


 プレートを握りしめ、私は部活棟へ向かった。


 制限時間まで、あと三時間半。


 真相研究部に、この答えを提出しなければならない。

 そして——この二つの名前が、何を意味するのかを知らなければならない。



 ◇ ◇ ◇



 部活棟三階。

 真相研究部の扉の前に立つ。


 深く息を吸い、ノックする。


「入ってください」


 柊の声。


 扉を開けると、部室には柊と小月がいた。


 翠雨の姿は、ない。


 ——もう、帰ったのだろうか。

 それとも、最初から来ていなかったのか。


「おお、来たか。どうだった? 謎は解けた?」


 小月が、軽い調子で聞いてくる。


「……はい」


 私は、ポケットからプラスチックの葉とプレートを取り出した。


「二つのヒントを、見つけました」


 柊が、目を細める。


「早かったですね。では、答えを聞かせてください」


 私は、一拍置いてから答えた。


「一つ目。『信頼される者は、信頼されない人を見下す』——答えは、一年B組、白崎阿佐美」


 小月が、口笛を吹いた。


「へえ。同じクラスの奴か。しかも、もう特定したんだ」


「二つ目。『信じた者は、裏切られる』——答えは、葛城朝晩」


 その名前を口にした瞬間、部室の空気が変わった。


 柊の表情が、わずかに強張る。


 小月は、笑顔を消した。


「……なるほどですね」


 柊が、ゆっくりと立ち上がった。


「正解です。二つとも」


 彼女は、私をまっすぐ見つめた。


「では、質問です。その二つの答えに、共通点はありますか?」


 共通点。

 白崎阿佐美と、葛城朝晩。

 一人は中学からの因縁。もう一人は、入学初日に消えた謎の人物。


 そして——。


「……どちらも、この学園の『異常』に関わっている」


 私は、そう答えた。


「白崎は、中学時代にSNSでクラスを壊した。今も、同じことをしようとしている」


「葛城朝晩は、初日にマイナススコアで退学になった。システムエラー――いや、学園のシステムによって消された」


 柊が、小さく頷いた。


「その通りです。では、もう一つ」


 彼女は、窓の外を見た。


「あなたは、どうしてその答えにたどり着けたと思いますか?」


「……」


 どうして?


 白崎は、私が知っていた。

 葛城は——翠雨が教えてくれた。


 いや、違う。

 私は、どちらも「見て」いた。


 白崎が、クラスを支配する様子を。

 葛城が、廊下で絶望する姿を。


「……私が、そこにいたから」


 柊が、静かに微笑んだ。


「正解です。あなたは、観察者として優れている。そして——」


 彼女は、私に近づいた。


「あなたは、もう巻き込まれています。この学園の異常に」


 その言葉が、胸に刺さる。


「入部試験は、合格です。横曽根和花さん。そして、翠雨水茜さん。ようこそ、真相研究部へ」


 小月が、拍手した。


「おめでとう。これで、廃部は回避だ」


 けれど、その笑顔には——何か、冷たいものが混じっていた。


「さて、これからが本番だよ。和花」


 小月は、そう言って窓の外を指差した。


「この学園の真相を、一緒に暴こうじゃないか」


 タワーマンションの明かりが、夕暮れの中で輝いている。


 あの上層に、何があるのか。

 この学園で、何が起こっているのか。


 私は——もう、後戻りできない。


 真相研究部という名の、もう一つの檻に入った。


 スマホの画面を見る。


 横曽根和花

 信頼度スコア:0(信頼人数0)

 現在ランク:F


 いつ見ても、ゼロのまま。

 けれど——これから、変わるかもしれない。


 良い方向にか、悪い方向にか。

 それは、まだ分からない。

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不実な花園、信頼の秤——信頼度ゼロの少女が、腐った学園の真相を暴くまで。 @Tuyusaki

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