第6話

   第2章


   証言者1


 山本は、大学は教育学部だった。小学校の先生になることを目標に励んでいたが、残念ながら教員採用試験に合格するまでに何年もかかってしまった。友人たちがみな新任の教師としてあちこちの学校に配属され、一同が会したときにはそれぞれが受け持つ子供たちの話をよく聞いた。

 山本は、大学を出たあと何もしないわけにもいかず、とりあえずは塾の先生として働き始めた。毎日働きながら勉強するのは大変だった。しかし、彼の熱意はその過酷さを上回っていた。


 彼には、塾で見てきた子供たちの中で一人、今でも鮮明に覚えている生徒がいる。彼が高校二年生だった九月、山本は担当を任された。

 彼は朝丘高校の生徒で、一年生の前期から半年間生徒会副会長を務めたという。どれほど優秀で真面目な生徒なのだろうかと思っていた。しかし、初めて面談したとき、現れた彼は言った。

「俺は大学にはいかない。将来は探偵になるんだ。」

 山本は詳しい理由を問いただしたが、一切口を割らなかった。


 あの日の宣言通り、十八歳で探偵事務所に就職した。その後、彼が山本を訪ねたことがある。彼は山本に不思議なことを訊いた。

 頭がよくなるためにはどうしたらいいか。

 もちろん、たくさん勉強しなさい、と答えた。

 すると、彼は続けてこう言った。

 もし人間の手で人間の脳を作り変えるとしたら、どこまでは技術の領域で、どこからが神の領域なのか。

 自分は考えたこともない問いだった。哲学者なら分かるだろう、と答えた。

 山本にはこの質問の意図がさっぱりわからなかった。しかし、それから十一年、もしやと思う出来事があった。

 また彼が山本を訪ねてきたのである。彼は山本が現在勤めている小学校に突然やって来た。

 高校時代の先輩を、ずっと探し続けている。彼女の弟は二〇〇一年の連続殺人事件の被害者である可能性が高い。見つかった死体はすべて、知的障害者だった。さらに、頭部に手術痕がある。今度来る時、ある高校生を連れてくるが、絶対に事件には触れないでほしい。


 彼は三好君を連れてきた。小学校を卒業し、門出を祝われたばかりで、不幸に見舞われた子。忘れられない子たちのひとり。三好君も、奥田君と同じ朝丘高校に進学したらしい。奥田君は、大事な子を危険に遭わせるわけにはいかないから、だから何も伝えないらしい。でも、奥田君だって、自分の教え子だ。探偵の仕事に就いてから、いったいどんなものを見てきたのだろう。今、幸せなのだろうか。


 *


「今日これから会うのは山本幸宏。お前たちの小学校六年の時の担任だ。

 きっと有益な情報をくれるだろうな。なんてったって、花織が死んだ時の担任だぜ。お前らをよく見てた奴は、さすが詳しいだろうよ。」

「さあ、どうでしょうね。」

「なんだよ、久しぶりに会うんだから、懐かしいとか思わねえのか。」

「よく調べましたか、山本先生の評判。まず見た目からして素敵な人には見えませんよ。背丈は人並みだけど体重は平均を大きく下回るでしょうね。爪楊枝みたいな体つきですから。加えて上から目線で無愛想ときている。あれでは誰も言うこと聞きませんよ、実際クラスは荒れてましたし。」

「そうなのか? いい先生だったらしいがな。」

「まさか。」

「いいか。人間は見た目だけじゃねえんだ。爪楊枝だろうと心はある。本当のいい奴ってのは自分がいいことをしてるとは言わねえし、自分で気付いてすらないことがほとんどだ。無愛想な奴は怖そうだとか何考えてるのか分からないとか散々言われがちだが、つまり静かに見守るタイプだったんだろ。いるよな、そういう先生。小学校も高学年になれば、いろんな奴がいるぜ。」

「説教はやめてくださいよ。」

「まあ、いいじゃねえか。彼女ちゃんのためを思えばよ。」

 インターホンを鳴らすのは僕の役目だが、話をうまく聞き出すのは探偵の仕事だ。終始メモを取り、部下を装うように言いつけられた。

 学校のインターホンを押したことなんてない。緊張の一瞬。

 ピンポーン

「はい。」

「失礼します。探偵の奥田晴嵐とその、まあ子分みたいな者ですが、山本先生はいらっしゃいますか? アポを取ってあるはずです。」

「ああ、奥田様ですね。今お通しします。」 

 探偵に言われた通りの言葉を使うのはなんとしても避けたかったので「名探偵」を「探偵」と変更した。残念ながら彼は気に入らなかったようだ。

「お前さ、真面目にやれよ。名探偵・奥田晴嵐とアシスタントだろ。」

「自分で『名探偵』なんて言ったら、胡散臭くて疑われません?」

「つべこべ言うんじゃねえよ。」

 しばらく黙って突っ立っていると、通用口から華奢な中年男性が出てきた。

「お待たせ致しました。山本です。」

「お手数おかけして申し訳ございません。ご協力いただき感謝します。」

 これが営業スマイルというやつか。

「いえいえ、私に分かることなら何でもお話ししますよ。さあ、どうぞ入って下さい。」

「失礼します。」

「それでは早速本題に入っていこうと思いますが、磯村美和さんをご存知ですか。」

「イソムラミワ……ピンときませんね。」

「磯の香りの磯で、ムラは普通の村。美しいに和風の和。それで磯村美和。」

「はあ、その方は私の知り合いでしょうか。」

「依頼人の話に基づけばご存じのはずですが……まあ良いでしょう。では磯村花織さん、ご存じですよね。」

「ええ、私の教え子です。あの子のことは、ずっと忘れないでしょうね。」

「何か、あったんですね。

 例えば……自殺とか?」

「ええ、まさに自殺です。あのことを調べてらっしゃるのですか?」

「その件について、詳しく知る必要があるんです。ご存じのことを全て、お話し頂けませんか。」

「そうですねぇ、花織さんは、はっきり言ってしまえば、厄介な子でした。

 彼女は四年生のときにいじめをして問題になりましてね。私が異動してくるより前ですから、その時の様子は分かりません。

 でも、とても賢い子でした。初めは天才かと思いましたよ。いや、天才というと彼女にはふさわしくないな。秀才と言ったほうがいいでしょう。何と言っても、親戚がとても立派な方なんだとか。熱心に教育してらっしゃったんだと思います。」

「なるほど。

 それで、いじめというのは?」

「クラスの気に入らない子を仲間外れにしたり無視したり、そういうことをやってたみたいです。

 どうも腑に落ちないところがあるんですよ。何せ静かで真面目で、友達は少なかったし用がなければ喋らない。そういう子でした。定期的な面談をするので、毎回悩みがないか聞いていたんですけど、いつも何を聞いても『ない』としか言わなくて。扱いづらい子でしたが、小六の女の子なんてだいたいそうですからね。お年頃なんですよ。

『ようやく』なのか『もう』なのか、長かったようで短いような、六年生の担任らしい一年だったと思います。でも、卒業式も終わって、他の学年も春休みになったくらいの頃に、職員室で来年度について会議していたら、突然警察から電話があって。磯村さんが地下鉄の線路に飛び込んだ、と。

 私はすぐに花織さんが運び込まれた病院に行きました。まだその時は生きてたんです。でも意識はないし、脳を損傷していて、打つ手はなかった。

「飛び降りた日について、もう少し。」

「はい。

 磯村さんは一人で栄に行って、現場では別の女の子と男の子の二人が近くにいたそうです。男の子は磯村さんの幼馴染で、女の子は磯村さんの従姉妹です。」

「その従姉妹が、磯村美和さんですよ。」

「そうなんですか、初めて聞きました。

 私が知っていることは、あとから事情聴取を受けて、その時に少し聞いただけなもので。警察の方には、家族だとか友人関係だとかを話しました。

 根掘り葉掘り聞かれましたよ。素人目には、どう見ても自殺だと思うんですけど、なにか怪しかったんですかね。」

「それから先に、磯村家で何かあったとか、何かご存じのことはありませんか。」

「ないですね、すみません。

 あの、私は、あの子は将来有望だと思っていました。

 たとえ問題のある子でも、時が経ち環境が変われば、みんな変わっていきます。小学生のいじめなんて、結局のところは子ども同士のゴタゴタです。大人が無理に抑え込むと、余計悪い方向へ進んでしまうかもしれない。

 きっと、そういうことなんです。当事者の、被害者の子、私は元気な姿を見ていました。見ていて心配になるのは磯村さんの方でしたよ。

 一体何をされたんですかね。よほどのことがなければ、良くない意味でガラリと人柄が変わることはそうそうありませんし、ひどいことをされたんでしょう。私がその苦しみに気付いてあげられていれば、磯村さんは今、生きていたかもしれない。」

 探偵に左足を軽く踏まれた。今言え、という意味だ。

「すみません、そろそろ時間かと、」

「おっと、もうそんなに経ったか。」

 探偵はあらかじめ決めていた台詞を言った。

 山本先生はすぐに反応した。

「私に聞きたいことというのは以上ですか。」

「ええ。ありがとうございます。また何かあったら伺ってもよろしいですか。」

「はい、大丈夫です。お役に立てたのなら何よりです。」

 互いに挨拶を交わした後、探偵と共に僕は母校を後にした。

 あの山本先生は相変わらずだと思った。平和主義は素晴らしいし思想もしっかりしているが、果たして子供に好かれるタイプには見えない。


「どうだ、初の聞き込みは。」

「まあ、ぼちぼちじゃないですか。美和さんと花織が従姉妹だって分かったし。」

「緊張したか?」

「ああ、そういえば全然。手下としていい線いってたんじゃないですか。それよりも僕が気になることは、先生は僕に全然気付きませんでしたね。だから言ったんですよ。あれは果たして良い教師なのかって。」

 はいはい、とでも言いだしそうな雰囲気で聞いているように見えたが、どうやら聞いていなかったらしい。

「よし。では次は、天陽中だ。相手は松井千里さん。美和と同級の三年生で、女子バスケ部所属。彼女とは中一の頃からの付き合いらしい。」

 はたと思い、一つ探偵に質問する。

「また名探偵とアシスタントですか?」

「そうに決まってんだろ」



   証言者2


 一件のダイレクトメッセージが届いた。

「探偵の奥田晴嵐だ。今、あなたの友達である磯村美和について調べている。その件について、君に訊きたいことがある。」

 一度は通報しようとしたが、止めた。

 美和ちゃん、あんなに普通なのに、何かあったの?

 やり取りをしてみると、確かに美和ちゃんについて探っているみたいだ。美和ちゃん、小学生の頃に大切な人を亡くしたらしい。そして今度は、大切な人が失踪しているという。そんなこと初めて知った。いつもにこにことしているのに、全部隠してるの? なんで何も言ってくれないの?

 DMで言われた通り、やんちゃそうな大人の男性と私と変わらないくらいの年男子が、二人で学校を訪ねてきた。もちろん私が許したからなんだけど。

「俺のことを信じてくれたみたいだね。君には、美和さんのことを、くれぐれも頼んだぞ。」

 何なのよ、この人。美和ちゃんのことは、私の方が探偵なんかよりわかってる。友達を舐めないでよね。


 *


 地下鉄に乗って二回目の乗り換えの後、窓の外は地上の風景に変わった。

 白い建物の傍を、ユニフォーム姿の女子たちが楽しげに歩いている。服の形から、あの中に松井千里がいることは間違いないだろう。バスケのユニフォームはノースリーブに膝丈のズボンだ。

 やはり、その中から一人だけ、こちらに近づいてくる。

「あ、あのう」

 彼女は僕たちに話しかけた。

「松井千里さんかい? 俺が名探偵・奥田晴嵐だ。よろしく。」

 探偵は手を差し出したが松井さんは無視した。僕は彼の背後でクスリと笑った。

「美和ちゃんのことですよね。私、何の役にも立てないと思いますけど。」

「そうか、じゃあ、来たところで無意味だったかな。」

「こんなところに男二人でなんて、体操服泥棒と間違われても知りませんよ。」

「通報されたらこいつが弁解してくれる。」

 なに、僕に押し付けるのか!

「今日はとにかく、最近の美和さんについて知りたいんだ。何か変わったことはないかい。」

「普通に学校来てます。」

「ちょっと、ちょっと待ってください。学校、普通に来てるんですか⁉」

「ええ。それに、部活に行かないのはいつものことだし。くだらないことしかないですって。」

「あの、美和さんに会わせてください! 学校に来てるんですよね、だったら早く会わせてください!」

「無理です! あなたがどこの誰かもわからない。」

 松井は怒った。

「僕は美和さんを心配しているんです。ただ彼女に会いたいだけなんです。」

「それなら天陽中学校を頼らずに、あなたたちが何とかしてくださいよ。美和ちゃんは何も言ってないし、変わった様子もないのに、探偵が来るって……戸惑うのは私の方です。

 いなくなったのは本当みたいですね。私だってもう、何が何だか。毎日どこに帰ってるんです? それを突き止めるのがあなたたちの目的でしょう?

 あなたが美和ちゃんにここを使って会おうとしたら、全力で私が阻止します。美和ちゃんから無理に聞き出すなんて、きっと話せなくて一人で抱え込んでるから、そんなこと私にはできません。ここでは変わりありません。」

 松井はほとんど息継ぎをせずに話し続ける。

「本当にあなたにとって美和ちゃんが大切なら、私が心配しているのもわかるでしょう?

 決してあなた方を信じるとは言いません。でも既に捜しているという行動は信じてます。だから私は、あなた方の力を利用するんです、美和ちゃんのために。」

「やってやりますよ。」

「まあ二人とも、本題の話をしよう。

 松井さん、それで変わったことというのは何だい?」

「だから、たぶんお役に立つ話ではないですよ。初めに言っておきますが、期待なさらないでくださいね。

 この間、駅前の本屋に寄ったら、美和ちゃんが雑誌を何冊もキープしていました。の人が来月からドラマやるから、それで特集記事がいっぱいあって。」

「アースって、えっ、地球?」

「知らないんですか? ほら、どのパートの人もプロ級っていう、だから英語のerに複数形のsでアースって読む、ほら、いい曲ばっかりだし、名前の由来までみんな知ってる。ですよね?」

「ああ。お前そんなことも知らないのか。」

「美和ちゃん、テレビの話なんてしないし流行りに全く乗らなくて、ホントに地味なんです。一年の時なんて、ほとんど誰とも喋ってませんでした。あ、だから私が気になって声かけて、友達になったんですけど。」

「松井さん、悪いが、話が長引くと体操服泥棒にされちまう。」

「すみません。あの、それで不思議に思ったのは確かに雑誌を読んでたことなんですけど、そのあとお会計を待ってる時にちょうど一緒になって。美和ちゃん、ものすごく分厚い脳の本を買ってました。」

「脳の本って、もしかしてかなり専門的なやつですか?」

「そうですそうです。」

「僕、見ました。その一冊だけじゃないですよ。部屋の棚に脳の本がずらっと並んでます。」

「部屋の中見たって……彼氏さん?」

「いや全然、そういう関係じゃないです。」

「ふーん、そうですか……まあ、私にわかることはそれだけです。脳の話をしていたことはないし、好きな人の話をしたことなんかありません。本当に地味で、勉強ばっかりの子です。事件に巻き込まれてるって言ってくれればいいのに。

 探偵さんたち、絶対、解決してくださいね。」

「もちろん、この名探偵が解決します。松井さん、ありがとう。」

「いえ。では私はこれで。」

 松井が去っていく足取りは、美和さんのそれより、軽いように見えた。

 僕はスマホをポケットから取り出し、検索エンジンに「ers」と入力して虫眼鏡マークをタップした。その人気を示すかのごとく、ネットニュースがあれやこれやと書き立てていた。

「探偵助手一日目、どうだった?」

「疲れました。」

 これは心の底から言える本音だ。

「来週も調査だ。体力を温存しておけ。」

 美和さんには素敵な友達がいるんだ。あの子のためにも、僕はやり遂げる。

 疲れなんてカフェインで蹴散らして、来週もこの足で歩き回りたい。



   依頼人


 奥田晴嵐は不思議な人だ。そう思った時には、もう口が動いていた。

「あの、」

「なんだよ。」

「すいません。少し気になっただけなんですけど、どうしてこんなボランティア紛いの探偵をやってるんですか? 代金の代わりに他の事件の調査への協力を言い付けてるだけじゃ、お金に困りますよね。」

「そういう個人情報をな、ペラペラ喋る奴が探偵なんかできねえよ。

 ほら、持ってけ。」

 最重要案件について人に協力してもらうからには、相手の内面をきちんと知らねばなるまい。案件のための条件として良からぬ企みを実行するなら、相応の相手でなければならない。僕は、崇高な理念を語らなかったからか、ただの直感なのか。探偵奥田さんは頼りになりそうだと感じた。

 いや、理念を知らずとも頼りになると思ったに違いない。直感だ。なにしろ、あのことを僕から進んで打ち明けたのは、奥田さんが初めてだった。


「僕が探している人ですが、磯村美和という子です。天陽中学の三年生。住所は名古屋市緑区渡虹橋一丁目九一八番地。」

 スマホで写真を見せた。

「ほう。それで?」

「二週間ほど前、進路のことで両親と揉めたあと、姿を消しました。連絡を取ろうにも、携帯持ってないし、家でいつも会うから、必要ないし……。それで、揉めてた時、聞いてしまったんです。カオリという人が関わっているって。」

「そいつは誰だ?」

「花織という昔の友達はいるんですけど、その子は絶対……でも苗字は磯村なんです。何かありそうですよね。美和さんはあの子のこと知ってるみたいだったけど、でも何も言ってくれなかった。何かあるんじゃないでしょうか……。」

「その昔の友達だっていうカオリは、今どうしてるんだ。」

「死にました。小学校を卒業してすぐの春休みに、電車に轢かれて。」

「電車?」

「過去にいじめをやってて。荒れた学校だったからそんなのどこのクラスでもありました。注意を受けて、反省してやり直そうって時に先生から随分な仕打ちを受けたらしくて。

 花織は、小一の時に同じクラスで、仲良くなりました。家は遠かったですけど、何度も遊びに行った。」

「お前、大丈夫か?」

「もう昔のことですよ。」

 強い視線を僕の目に向けられた。

「あの、美和さんは『会いたい人がいる』って言って、会うためにどこかへ行ったみたいで。」

「誰だ?」

「分からない。僕だって探したんです。でも何の情報もない。」

「捜索願は?」

「たぶん出されてないです。警察が動いている様子はないので。」

「親は何してるんだ?」

「さあ、分かりません。父親は医者であまり家にいないですし、母親は成績しか興味ない感じでしたよ。

 あと、『私を美和にしたのはあなたじゃない』って、言ってました。」

「美和にした? 何だそれは。」

「もう何が何だか。助けてください。

 美和さん、天陽の生徒だけど、朝丘に行きたいって、揉めてた原因はそれです。『自分の居場所はここじゃない』って、何としても受けるつもりでした。受験したいはずなのに、リュックひとつで出ていって、何か隠していて、もうどうすればいいのか……」

 奥田さんは頭を掻きむしった。髪が何本か抜けて地面に落ちる。

「なるほどな。単純に家出した中坊を捜すってことではない。」

「はい」

「他に何か情報はあるか?」

「もうないです。」

「よしわかった。じゃ、俺の依頼だ。晴留から聞いているなら、引き受ける時の条件は知ってるだろ。」

「はい。」

「俺はな、お前みたいな奴を使って金儲けがしたいわけじゃないんだ。でもお前みたいな若くて体力のある奴の労働力は欲しい。」



 昨日、探偵の「条件」をやり遂げた。思いの外面倒な仕事だった。

 教職員打ち合わせは生徒に内緒で不定期に行われる。ランキングを盗撮するためには、打ち合わせで職員室が空になるタイミングを探らなければならなかった。予定表を入手するためにわざわざ日直の仕事を代わってもらい、それから日誌を担任のところに届ける時に、こっそり担任の机の中を拝見した。都合が良いことに、担任の席は職員室の一番奥にあって、人目につく心配はなかった。


 これでよし。僕がやるべきことは順調だ。明日はゆっくり起きようか。でも美和さんは今どこで何をしているのか。そう考えると、呑気に過ごす気にはなれず、いつも通りの時間に目覚ましを設定し、そのままベッドに入った。

 ランキングなんか手に入れて、何に使うつもりだろう。礼を言われただけで何の説明もないのだから、妙な胸騒ぎがする。眼鏡女子からも聞いた事件の話と、何か関係あるのかもしれない。まあ、僕としては、美和さんを探し出してもらえればそれで良い。このことは、考えない方が良いように思う。


 今日の始まりは急激だった。

 スマホの通知音が、立て続けに鳴り響いた。眠目をこすりながら通知を見ると、送り主は奥田晴嵐。何事かと、飛び起きると、今度は着信音が鳴り響いた。

「おい、出かけるぞ。」

「いつですか。」

「今からに決まってんだろ。」

 なんて唐突なんだ。ずいぶんやり方が荒っぽい。

 いや、彼女のためだ。探偵に多少イラついたくらいどうでもいい。

「出かけるっつってんだろ、さっさと準備しろ。俺は十分後、お前ん家に着く。」

 言い捨てて、探偵は電話を切った。

 とりあえずクローゼットの中から無難な服を選ぶ。暑いが、一応長ズボンだ。緑色のまだヨレていないTシャツとジーンズを身に着け、慌てて玄関を飛び出した。

「お待たせしました。」

「お前さ、そんな恰好で行くつもりか。せめて制服着て来いよ。」

 制服だと? 探偵は僕をどこへ連れていくつもりなのだろう。たまらず僕は言い返した。

「何も言ってくれないから、適当な服選んだんですよ!」

「いいから、早く着替えてこい。」

 しかたなく、閉めたばかりの玄関ドアを開け、もう一度自室に戻った。わざわざ学ランを着なければならない場所って、いったいどこだろうと思った。

 小学校だった。

 先生は、僕の記憶の中よりずっと、良い人に思えた。



 夕方、探偵と別れた後、僕は一人で学校へ向かった。前原から呼び出されたせいだ。

(お前のこと、奥田さんから詳しく聞いた。)

(明日の夕方、学校の屋上に来い。)

(どうしても話したいことがある。)

 僕は会いに行くことにした。


 屋上に到着すると、前原は柵に寄りかかりながらコーラを飲んで待っていた。

「よう。久しぶり。」

「んだよ、お前。」

「話は奥田さんに聞いた。ほら、お兄さんが探偵だろ。それで、詳しく聞いてみたんだ。」

「だから何?」

「俺が思うに、その探偵と絡むのは危険だ。奥田さんにもあまり近づかない方がいいかもしれない。」

「お前に何が分かる?」

「瑞浪市知的障害者連続殺人事件。捜査に協力してるのか。」

 前原は、悔しそうな悲しそうな、見苦しい表情をしている。

「どう考えてもおかしいぜ。仕事で探偵をしてるのに金はいらないって、何で飯食ってんだよ。」

「そういう事情は言わないって。ペラペラしゃべる奴が探偵なんかできないだろ? 確かに書類を盗撮したけど、それでタダにしてくれるってんだから有難いよ。」

「お前を未解決事件に巻き込むなんて、どういう魂胆だ? 奥田さんは、お兄さんは有名だって、言ったらしいな。そんなの嘘っぱちだぜ? 少なくとも俺は知らない。江口先輩だって知らない。生徒会役員が就職して探偵になったとか、そんなことまでいちいち有名にならないって、よく考えれば分かるだろ。お前は信じたんだろうけどよ。」

「確かにそうだけど、あの人には助かってるんだよ。

 だから僕からも言わせろ。」

「何だよ」

「彼女、学校は普段通りに通ってるらしいんだ。きっと普通を装ってる。だから探偵の力を借りて、彼女がどうして家を出たのか探るしかない。」

「お前の決意は固いのか?」

「やってみせるよ。」

「わかった。決意表明として受け止めておく。

 一つだけ知っておいてほしいのは、応援はしても理解したわけじゃない。事件に首を突っ込むのは断固反対だ。」

「わかった。それでいい。」

「こうして話すの、なんか久しぶりだな。」

 フッと笑えた。そして彼に背を向け、手を振りながら立ち去った。



   証言者3


「いらっしゃい。まあ、若いお兄ちゃんたちだこと。」

「お邪魔します。」

 朝イチで探偵とそのアシスタントが訪ねて来た。

 アシスタントの方の男の子は、三好さん家の子だ。アルバイトだろうか、でも表情が違うと語っている。

 その昔、何度もお見合いをした。相手たちはみな自分の理想からは遠く、結婚には苦労した。十人以上と食事を共にしてやっと一人、良いと思える男性と出会った。その男こそ何十年と連れ添ってきた夫である。高学歴で将来の展望があって性格が良くて、見た目も良い。結婚相手には、そんな完璧を求めたかった。しかし、相手に求めすぎてはいけないと、夫と出会ってからわかった。彼は、妻の考え方を尊重してくれるし、彼自身の考えも話してくれる。互いに認め合える。

 ある日、家に一本の電話がかかってきた。その人物は名探偵の奥田晴嵐と名乗った。町内会の磯村さんについて調べている、と。特段不審には思わなかったので、できることがあれば協力すると答えた。すると、探偵は電話口でこう言った。

「磯村美和が失踪しました。彼女について調べています。ほんの少しでも彼女のことが知りたいんです。ただ、その件は本丸ではない。俺が追っているのは、前原という人物です。」

「前原? 孝二さんのことかしら。」

 前原孝二は、大学時代の恋人だ。学食で何度か会って一緒に食事をした。顔を合わせれば話が弾み、いつしか食堂では彼の姿を探すようになった。

 私は経済学部、孝二さんは医学部だった。四年間を終えて卒業したとき、彼にはまだ二年間のカリキュラムが残っていた。生活がすれ違い、次第に疎遠になっていってしまい、そして別れた。

 前原は大学を出て脳科学者になったと、当時からの友人に聞いた。人間の叡知が記録された脳は果たしてどのような仕組みで成り立っているのか。それを解明すれば、人類はもっと発展する。彼はいつも目を輝かせて語っていた。そういう若かったあの頃の想いを貫いたと知り、なんだか自分も誇らしい気分だった。

「前原孝二は、二〇〇一年に起こった連続殺人事件に関わっています。それも首謀者なんです。だから協力して欲しいんです。宇野さんなら彼をよく知っているでしょう。どうかお願いします。」

 夫に相談した。かつての恋人と言ったら、史高ふみたかさんは何て言うだろう。でも、やっぱり、私の選択は間違ってなかった。過去に愛した男性と再び関わると言っても、怒るどころか賛成してくれた。放っておけないんだろ、気になるんだろ、と私の気持ちを悟ってくれた。

 孝二さんは今、どこで何をしているのか、探偵が言う人類の叡知とは何なのか、それを知るためには行動するしかない。長年守ってきたこの家は私が帰ってくる場所だから、史高さんが待っていてくれる。

 この子は、磯村さん家の娘を、待っているのだろうか。


 *


「磯村さんとこよね。あそこは変わってるわよねえ。うちも困っとったんよ。」

 急須で茶を淹れながらさんは話す。

「と、いいますと?」

「公園掃除とか来ないし、会合は全部欠席だし、ゴミ捨て場の見回りは雑だし。最近の若い家庭はこんなもんなのかしら。

 しかも娘は私立の中学なんでしょ。しかもえらいええとこの。わざわざお受験なんかせんでもええのにね、せっかく緑川中から近いんだから。あの夫婦、妙によそよそしくて、全く、昭和の頃が懐かしいわ。みんな仲良く地元で暮らして、地域の絆ってものがあったのに。今はなくなっちゃったわねえ。

 そうだ、ご存じかしら。こないだ美容院行ったときにね、週刊誌で読んだのよ。習い事やらなんやらやらせるために、親が子供を子ども会に入れさせない家庭が増えているけど、それは良くないんだって。やっぱり子どもは遊んでるのがいいのよ。年齢に合った過ごし方ってのがあるんやね。」

「あの、今日聞きたいのはそういう話ではなくて。」

「あら、違ったの? 磯村さんのことなら、このくらいしかないけど。」

「あの家の娘のことです。例えば、最近様子が変だった、とか。」

「あの子、越して時にはもう中学生やなかったっけ。

 小さいうちならまだしも、そんな大きい子じゃあなあ。しかもあの親でしょ。付き合いがないのよ。

 あんたの方が詳しいんやない? 隣の家やし。」

 僕を顎でしゃくった。

「他にも当たってるんですけど、分からなかったんです。宇野さんなら何かご存じかと思いまして。」

「残念だけど、お話することはないわ。

 あらそうだ、SNSを使ってみればええんやない? 誰かが書き込みした情報を集めればなんでも分かっちゃうらしいやないの。恐ろしいけど、若い子には良いんでしょ? うちの孫だって、まだ三年生なのにスマホを持たされて、いつもラインをやっとるわ。まだ習ってない漢字のはずやのに、既読ってのはわかるんやね。」

「俺らも活用しながら頑張ってますよ。ネットは便利です。」

「既にやってたの。じゃあ私がいろいろ言っても無意味やない。」

 宇野さんは大声で笑った。

「しっかし、あんたらも大変ね。家出少女を捜すために、こんなとこまで話を聞きに来るなんてね。ほら、何でも答えるから、知りたいことがあったらいつでも言うんやよ。」

「ありがたいです。」

「今日はもうええの?」

「はい、ありがとうございます。」

「これお菓子、あげるわ。うちの孫、ピアノを習っとって忙しくてね、なかなか顔見せてくれんから、食べる人がおらんのよ。ほら、好きなだけ持ってき。」

 これは、何の意味があるのだろう。分かることは何もないまま、あっという間に切り上げた。

「それにしてもよく喋るおばさんだったな。」

「なんで宇野さんを訪ねようと思ったんですか。無駄足だったじゃないですか。」

「まあ、なんでもそうなんだが、近隣住民はマストで当たるんだ。近所との繋がりが薄いということが分かっただけでも、何かの役に立つかもしれない。」

「それが探偵のノウハウってやつなんですね。」

「今日の本命は次だからな。磯村美和の祖母だぞ。」

 磯村礼子は夫と大学時代に知り合ったらしい。探偵から知らされた。

 礼子の夫、つまり美和の父は正といい、二人の姉がいる。五つ上の加奈子と二つ上の奈々子だ。三姉弟が産まれた家は代々医者として生計を立てていて、もちろん彼らは将来の活躍を期待されていた。

 礼子の母は娘を経済力のある家に嫁がせたがっていたらしい。偶然とはいえ、礼子が恋した相手が裕福な家柄だった。正の両親も礼子を気に入り、二人はスムーズに結婚に至った。

小島こじま智子さとこ、七十八歳。四年前に旦那が死んで、今は独居老人だ。

 渡虹橋に住んでいる者からの依頼で話を聞きたいと伝えたら、何を勘違いしているのか、自分から出向きたいそうだ。もしかしたら案内しろと言ってきたり、面倒なことになるかもしれないが、その時はお前の出番だからな。」    

 今度は接待係かと思うと、今度は不安になる。人を楽しませるのは得意じゃない。

 でもこれは、美和さんのためだ。


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雨が降れば街は輝く 紫田 夏来 @Natsuki_Shida

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