第4話 選定会

 選定会は、宮殿内の大広間で行われた。

 全部で五人の弾き手が集められ、そこに琴も加わることになった。


(これ、いくらするんだろう)


 急遽用意された、宮廷雅楽団の筝。品質の高い素材と、細かな意匠が施されている。

 触るのも恐れるくらい、高価な筝だった。


 他の弾き手たちと同じように、帝がお出でになる御簾の方を向いて座る。

 周りには、貴人たちがずらりと並んでいた。

 貴人たちは静かに座り、鋭い眼光で辺りを見回している。

 ただならぬ空気に、琴が少しひるんでいたときだった。

 隣の男性に声をかけられたのは。


「おい、なぜお前がここにいる」

「あ、お義兄さま」


 琴の一族は、雅楽の座を結成するくらい有名な雅楽一族。

 そんな一族の中で最も筝の名手なのが、琴の五つ年上の義兄だった。


「……知らないです。私だって知りたい」


 あぁ、会いたくなかったのに。

 この『義兄』は、一族の中でも特に琴をいじめてくる。

 なるべく会わないよう、屋敷での行動範囲も考慮してきていたのに。

 まさか、ここで会うなんて思ってもみなかった。


「生意気な。少し筝が得意だからって、偉そうに」


(私は、ただ筝を聴きたかっただけなの)


 宮殿に、筝を聴きに来たはずだった。弾くことになるなんて、考えてもみなかったのだから。


「まぁ、いい。どうせ選ばれないだろうしな」

「そうですね」


 相手にするのもめんどくさい。

 きっと、自分の声は冷たいものになっているだろう。

 そうでなければ、こんな風に義兄に睨まれていないだろうから。


「いつも通り、緊張して何もできなくなるお前でいろ。失敗すれば、帝はお前など見ない。聖琴師の座は、この僕がいただくのだからな」


(だから、私は筝を弾きにきた訳じゃないの!)


 弾きにきた訳じゃない。

 断じて。


 *


(うわ、最高)

 

 帝が御簾の向こう側にお出でになり、司会を務める役人の進行で選定会は開始された。

 順番に筝を弾いていき、帝が誰を聖琴師として命ずるのかを決める。

 緊張感漂う中で、琴は一人ひとりの筝を心から楽しんでいた。


 音が踊っている。

 同じ曲、同じ音なのに、弾き方によってそれぞれの味が出る。

 目を閉じて聴けば、奏者の世界が目の前に現れてくるようだった。


(あ、お義兄さまの番だ)


 義兄の番。

 彼は、自信満々に弾き始めた。

 いじめてくる者の筝なんて、褒めたくはない。

 しかし、彼の筝はここまでで一番の出来だった。

 悔しいほどに、美しい音色。

 それでいて、力強い弦の余韻。

 すべてが最高だった。


(悔しい)


 さすがは、一座の中で上位を争う奏者だ。

 悔しいが、これは最高の音色だった。


 聖琴師は、名誉ある役職。

 聖職者と呼ばれる神職は、帝が雲隠れなさるまでずっとその位に立つことができる。

 つまり、永年保障が付くのだ。


(悔しいけど、聖職者になりたい訳じゃない)


 琴の夢は、筝の奏者になること。

 聖職者ではない。

 それでも、なぜか悔しかった。

 筝でしか義兄に勝てないと思っていたのに、もしかしたら負けるかもしれないと感じてしまった。それくらい、義兄の筝は一際美しく響き渡ったのだ。


「決まりではないですか?」

「えぇ、そう思います」


 貴人たちがざわざわとし始める。

 ちらりと義兄を見れば、「どうだ」と言わんばかりの顔をしていた。


(むかつく)


 あんなにいじめておいて。

 唯一のものまで、持っていこうとして。

 許せない。


「主上。決定なさいますか?」


 どこかで、誰かがそう発した。

 それを聞いて、義兄の顔がぱっと明るくなる。

 

 皆の視線が、御簾へ集まる。

 御簾から薄らと見える、帝の姿。

 その顔は見えず、何を考えているのかは分からない。

 ふと、開けられていた戸から風が入り込んできた。

 その風は、帝の御簾をふわりと動かす。


 ──こちらを、見ている?


 御簾が風に揺れた、一瞬の出来事。

 その隙間から見えた帝は、琴を見ていた。

 

(なんで、私の方を……?)


 ほんの少しだけ、目が合ったような気がした。

 栗色の瞳は、何かを言いたげな光を宿していた。


「俺で決まりだな。残念だ、琴。お前は弾かなくてもいいらしいぞ。そうだ、聖琴師になった暁には、お前を一族から追い出してやろう。それが嫌だったら、僕を敬うんだな」


 小声で、義兄がそう言ってきた。

 にやにやとした笑いを浮かべながら、琴を小突いてくる。

 最悪だ。

 こんな奴に負けるなんて。

 自分の方が、もっと筝を愛しているのに。

 筝があれば、他に何もいらないのに。

 それさえも取り上げられるのは、許せなかった。


「やらせてください!」


 気付けば、琴は手をまっすぐ挙げていた。

 皆の視線が、一気に琴に集まる。

 そのおかげで、琴は我に返った。


「え、あ、その……すみません」


 もう、義兄に決まることは確定なのだ。

 弾かなくても結果が出ているのだから、弾いたところで何もならない。

 勝手に燃えていた自分が恥ずかしくなる。

 慌てて、挙げた手を下げた。


「良い」


 凜とした声が、広間に響き渡った。

 ぱちん、という音。

 顔を上げれば、御簾越しに帝が微笑んでいるように見えた。


「弾くが良い。そなたの筝も聴いてから、決定をするとしよう」

「そんなっ。主上、お待ちくだ……」

「お静かに。主上がお決めなさったのです、貴方は黙りなさい」


 意義を唱えようとした義兄を、役人が止める。

 ぎり、と悔しそうに歯を噛みしめる義兄。

 そんな彼を尻目に、役人が告げた。


「宰相のご令孫であり、清原の娘、琴よ。筝を奏でなさい」


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