第3話 宮殿

 天の巫女により作られた国、聖花国。

 この国には『聖職者』と呼ばれる者が五人、存在する。

 美味しい食事を捧げる聖食師せいしょくし、綺麗な衣を仕立てる聖衣師せいいし、良い香りの香を焚く聖香師せいこうし、はやり病をいち早く収める聖薬師せいやくし、そして、柔らかい筝の音を響かせる聖琴師せいきんし

 すべては巫女の末裔である帝に贈られる。

 聖花国を作った巫女に仕え、帝を守り、共に良い国を作っていく神職。

 帝の代替わりのときに、聖職者は変わる。

 帝が直々に選ぶからこそ、その時代の安寧が保たれるのだ。


「聖琴師が見つからないって、大変なことなんですか?」


 宰相にあてがわれた部屋は、大きなものだった。

 生けられている芍薬が美しい。

 輝くばかりの存在感を放つそれを、琴は見つめた。


「代々、聖琴師はまったく決まらなくてな。巫女が一番愛した楽器だからこそ、きちんとした技術と想いがこもっていないとならぬのだ」


 和之は、茶を飲みながら息を吐く。

 琴は、冷たい指を湯呑みで温めた。

 



 今日は、帝が都中の筝の名手を集める、いわば選定会の日。

 そのため、宮殿の中は少し慌ただしい。

 近衛兵が何人も歩いているのを見ながら、琴は祖父と共にここへやってきたのだった。


「どこから聴けるんですか?」

「主上から、広間隣の部屋を貸していただいた。そこから聴けるだろう」


 嬉しい。

 一流奏者の筝の音色が聴けるなんて。

 琴の一族は、雅楽に精通している。だからこそ、雅楽への想いは熱い。

 しかし、琴はその一団に入れてもらうことができなかった。いつでもどこでも、琴は迫害される。それが悲しかった。


『皆、琴に嫉妬しているのだよ』


 そうなるといつも、和之がそう言った。

 嫉妬しているのだと。

 だから、琴に冷たく当たるのだと。

 それ以外にも何かありそうだと、琴は内心思っていた。でなければ、あんな酷い仕打ちは間違っている。原因に検討は付くが、自分から言うのは嫌だった。

 

 ともあれ、今日はそんなことを考えている場合ではない。

 筝が聴けるのだから。

 琴は、そわそわとしながら時を待つ。


「そろそろ行くか」


 和之が立ち上がった。

 侍従に湯呑みを下げさせ、琴を見る。


「はい」


 祖父に従って、琴も腰を上げた。

 いよいよだ。

 高鳴る胸を押さえながら、和之の後を追おうとした、そのとき。


「先生」


 からり、と障子が開け放たれた。

 軽やかで透き通っているのに、どこか威厳のある声。

 振り返れば、そこには立派な身なりの青年が佇んでいた。


「主上」


 彼の姿を見た途端、和之は礼をした。

 その礼は、最上級の礼。

 つまり、彼は宰相の身分より高い位の者。

 そして、和之が呼んだ、彼が何者かを示す言葉。

 そこまで考えれば、誰だって分かるだろう。


「帝……さま?」

「この方は、朝陽さまだ。この国の帝であられる。琴、頭を下げなさい」


 やはり、帝。

 栗色の髪に、漆黒の瞳。衣は柔らかいのに威厳のある深い紫色。

 ただ立っているだけなのに、こんなに圧倒されるのは巫女の末裔だからだろう。

 琴は、どくんと大きく鳴った心臓の音をごまかすように、祖父を真似て頭を垂れた。


(あれ、なにこれ)


 この国を治める帝は、神聖なるもの。

 巫女と通じ、巫女の声を聞く、この俗世とかけ離れた存在。

 だから、この胸の高鳴りはその威厳さに触れたからであるはず。

 頭ではそう思っているのに、体が違うと言っている。

 琴の体は、陽をたくさん浴びたかのようにぽかぽかとしていた。

 初めてお会いしたのに、初めてではないような。


「琴?」


 和之の声で、はっとする。


「お、じいさま」

「どうした、緊張しているのか?」


(それは当たり前)


 帝に会って、緊張しない人などいない。

 当たり前のようなことなのに、和之はそこを心配しているようだった。

 その食い違いにくすりと笑うと、帝がすっと目を細めた。


「琴、というのか」

「は、はい」


 帝は、ぐいっと琴の顔を覗き込んできた。


(うわ、綺麗)


 そういえば、今上帝は眩いばかりの美貌を持っていると聞いた。

 その美貌が、今、目の前で自分を見つめている。

 ほぅ、と思わず見入ってしまう。


「琴は、筝が得意だと先生から聞いた。そなたも選定会へ出よ。私が事を進めておく」

「んえ!?」


 変な声が出た。

 筝の音色を楽しみにきた、選定会。

 名手たちの筝を聴くために、ここへ来たはず。

 それが、思わぬ方向へと動いてしまった。


「決定だ。楽しみにしている」


(自分勝手なのか、何か考えがあるのか……)


 今上帝は美貌だけでなく、その頭脳も国内外で随一を誇ると言われている。

 そんな人物の考えることは、一般的な頭脳では計り知れなかった。


「主上。皆の前で『先生』とは呼ばないでくださいね」


 立ち去ろうとしている帝に向かって、和之が声をかけた。

 確か、祖父に聞いたことがある。

 和之は、帝の教育係でもあったと。

 その繋がりで、祖父のことを『先生』と呼んでいるのだろう。


「先生は先生だ。皆の前では慎む」


 帝は、扇で口元を隠しながら笑った。

 その上品な所作に、琴はただ帝を見上げることしかできなかった。

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