夏への扉

第2章ー1 ため息

 真っ直ぐに照りつける太陽を避けるように、木陰を歩く。梅雨明け前なのに、すでに夏のような暑さが続いていた。蝉の鳴き声が一層暑さを掻き立てる。

 視界の端を、青いものがかすめた。紫陽花だ。綺麗に咲いているけれど、この花には灰色の空と滴るほどの雫がよく似合う。雨に濡れる様をもっと眺めていたかった。しばらく体調を崩していて、外に出られなかったから。

 長く患っていた小児喘息は、中学にあがるころには良くなっていた。けれど運動の制限期間も長かったためか、いまいち体力がなく、高2になった今でも体調を崩しやすい。


 立ち止まり、ぼうっと紫陽花を眺めていると、隣を行く女子高生たちからヒソヒソ声が聞こえてきた。


 ……今の人、やばっ。

 ……どれどれ。わっ。

 ……めちゃくちゃカッコいい! モデル?


 ふぅ、と溜息をつく。こういうことはよくあって、遠巻きに観察されたり、ひどいときは隠し撮りされたりする。

 中学にあがってからぐんと背が伸び、今は180センチを超えていた。色白で体も細いが、それがかえってモデルみたいだともてはやされる。女子に間違えられるほどの顔はそのままだけど、中性的な男子がモテる風潮もあって、どこに行くにも騒がれた。

 遠慮のない視線と言葉に囚われてはいられないと、周りを気にしない術を身に付けてはいるのだけれど。気を抜くと、飛び込んでくる他人の存在を無視できなくなる。


 遅刻間際に正門をくぐる。通りがかった担任から、全校朝会があるのでそのまま講堂に行くよう急かされた。なんだか忙しないなぁ、と思いつつ、講堂へと向かう列に加わった。

 すこし前を歩く集団のなかに、篤人の横顔を見つけた。男ばかりのむさくるしい雰囲気が一変する、爽やかな笑顔。

 一緒に中学受験をし、同じ中高一貫校に入学できた。クラスはずっと別だけれど、歩けば会える距離にいる幸せを噛みしめている。


 着席すると、ほどなくして壇上に校長が上がり、全校朝会が始まった。


「みなさん、おはようございます。すこし先の話ですが、我が校の体育祭について連絡事項があります」


 校長自ら連絡事項を話す? 若干の違和感を感じつつも、さほど気に留めることなく聞き流そうとしたところだった。


「高校2年生は、S女子高校の生徒と合同で創作ダンスをすることに決定いたしました」


 マジ!?!? 

 普段は冷静なA校生たちが一気にどよめく。ところどころで歓喜や驚きの叫び声が上がり、かたまって大きな波となり講堂中をうねっていく。

「静かにしなさい!」と各クラスの担任が制すも効果はなく、見かねた副校長がマイクを使って怒鳴るまで俺たちは騒ぎ続けた。


 S女子は隣駅にある女子校で、昔からお嬢様学校として有名らしい。通学中によく見かけるけれど、奥ゆかしいお嬢様のイメージとはかけ離れた派手な女子もたくさんいる。両校ともに伝統校とはいえ、合同創作ダンスだなんてなぜそんな話に?


 やっと静かになったところで、校長が経緯について話し出した。

 その昔、伝統校同士であるA校とS女子には合同行事があり、そのなかのひとつが卒業ダンスパーティーだった。けれども何かのきっかけで無くなり、両校の交流も途絶えた。そのことを残念に思ったS女子の校長が復活の相談を持ちかけたという。今日に至るまで両校で協議した結果、ダンスパーティーではなく、高校2年生を対象に体育祭の一部として合同創作ダンスを行うことで決定したという。


 いやいやいや。ありえないでしょ、これ。


「ありえないだろ、これ」


 隣に座っている酒井が吐き捨てるように言った。ちらりと目をやると「マジありえねー」と繰り返す。なぁ?と同意を求められ、黙って頷いた。


「文化祭の準備もあるし、S女子と踊ってるヒマなんてないっつーの。勉強もあるし……」


 酒井は最難関の東大理三、つまり東大医学部を目指している。俺たちの通うA校は県内でもトップレベルだが、死ぬ気で勉強しなければ現役合格は難しい。俺は地元の国立医学部志望なので、酒井ほどでなくても、今から本腰を入れてやらなければならないのは同じ。

 秋には文化祭もある。A校の文化祭は学術的なゴツい内容のクラス発表を伝統としていて、そろそろ内容を決めなければならない時期だというのに。プラス合同創作ダンスなんて……。

 そもそも、A校の一番大きな体育館は改修中で使えない。S女子まで行って練習するのか? 外部の体育館を借りる? 面倒すぎるだろう。

 先生たちも承知しているはずだ。それなのに、なぜ? 別の意図があるのか?


「俺はやらない」


 はっきりと言い放つ酒井を二度見してしまう。そんなことができるのか?



 大きな咳払いをしたあと、校長が続ける。


「他校との合同行事は調整事項も多く、大変なこともあると思うが、いま取り組むことの意味を個々でよく考え、答えを出すように。以上です」


 校長の話が終わり、再び盛り上がりつつあるなかで、俺の周りだけが取り残されていた。

 なんだか面倒なことになった。こぼれた溜息は喧騒にのまれた。

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