第06話「辺境の日常と王都の影」

 アナベルの辺境での生活は、穏やかで満ち足りたものになりつつあった。

 レオニールは多忙な公務の合間を縫って、アナベルを連れ出すようになった。城の裏手にある温室では、極寒の地でも育つ珍しい花々を見せてくれたし、天気の良い日には城壁の上から広大な雪原を見渡した。

 アナベルの博識さや聡明さは、レオニールを驚かせた。彼女は幽閉されていた間、本だけを友として過ごしてきたため、歴史や植物、古代語に詳しかったのだ。


『彼女の話を聞くのは心地よい』


 レオニールは執務室の窓から、中庭で雪兎を見つけてはしゃぐアナベルの姿を見下ろし、自然と頬を緩めていた。

 最初、彼女を妻に迎えることには何の期待もなかった。ただの政略、あるいは呪い持ち同士の傷の舐め合いになると思っていた。だが、彼女は違った。

 弱々しく見えるのに、芯は驚くほど強い。あの夜、恐怖に震えながらも、俺の痛みに触れようとした手。その温もりが、今も忘れられない。

 アナベルの鱗が放つ光は、俺の呪いを抑え込むだけでなく、心にこびりついた氷さえも溶かしていくようだ。

 守りたい。愛おしい。そんな感情が、日に日に増していくのをレオニールは自覚していた。


 ***


 一方、遠く離れた王都では、事態は暗転しつつあった。

 ラインハルト王子とセレスティアが主催する夜会は相変わらず華やかだったが、出席者たちの表情には陰りが見え始めていた。

 原因は、国各地で発生し始めた「黒い霧」だ。農作物を枯らし、家畜を病気にさせる正体不明の瘴気。

 人々は「聖女」であるセレスティアに助けを求めた。


「セレスティア様、どうか我が村をお救いください!」


「ええ、任せて。聖なる光よ!」


 セレスティアは大げさな身振りで杖を掲げ、古代の魔道具である指輪を発動させる。パッと光が灯り、周囲の人々は歓声を上げる。

 しかし、それはただ光るだけの演出に過ぎなかった。瘴気は一時的に薄まるように見えても、すぐにまた濃くなって戻ってくる。根本的な浄化は行われていなかったのだ。


「くそっ、なぜ消えないのだ!」


 王子の私室で、ラインハルトはグラスを壁に投げつけた。

 セレスティアは青ざめた顔でソファに縮こまっている。


「わ、私のせいじゃありませんわ! きっと瘴気が強すぎるのです。もっと強力な魔道具があれば……」


「魔道具だと? 教会にある聖遺物はすべて試したではないか! ……まさか、お前の力は偽物なのではないだろうな?」


 ラインハルトの疑いの眼差しに、セレスティアは冷や汗を流した。

 本物の聖女の力などない。ただ、古代遺跡から掘り出した発光するアーティファクトを使っているだけだ。バレれば処刑は免れない。


「そ、そんなことありません! ただ……そう、あのアナベルですわ! あの女が北へ行ってから、瘴気が増えた気がしませんか? きっとあの呪われた女が、遠くから呪いを送っているのです!」


 苦し紛れの出任せだったが、責任転嫁先を探していたラインハルトには都合の良い言い訳だった。


「なるほど……やはりあの女は災いの元凶だったか。呪われた鱗を持つ魔女め」


 ラインハルトの目に狂気じみた光が宿る。

 自分たちの無能さを棚に上げ、二人の悪意は再びアナベルへと向けられようとしていた。

 だが、彼らはまだ知らない。自分たちが追い出した「呪われた女」こそが、国を救う鍵を握る真の存在であるということを。

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