2 実家

 「こんちはー」

 

 少々間の抜けた挨拶をしながら、俺は管理人室、まあつまり実家のドアを開けた。

 先月、我が怠惰なる無職生活に関して、やや激し目の小言を喰らって以来足が遠のいていたので、立ち寄るのは凡そ1ヶ月ぶりになる。

 まあ本音で云うと未だ近付きたくは無かったのだが、数日前にカナトから聞いた不気味な話について、自分でも少し確認しておこうと思ったのだ。


 「はーい」


 奥から声がして、お袋が出てきた。


 「なんだ、タクヤじゃない。」

 「なんだって事はないだろ。」

 「あんたねぇ、自分の家に帰って来るのに『こんちは』なんて言う人、いるかい?」

 「いやまあ、一応自宅じゃないわけだし・・・・」

 「ああ、別の所に住んでるから? ここ実家だよ? 殆ど自宅みたいなもんでしょうに。」

 「そりゃまあそうなんだけどね。」

 「それで、今日は何しに来たの?」

 「・・・実家に帰って来るのに理由が要るのか?」

 「普通は要らないけどねぇ。この間ガミガミ言ったから、暫く帰って来ないと思ってたのよ。そうねぇ、アンタの事だから半年ぐらいは近づきゃしないだろうって。」

 「・・・」

 「それが随分早く現れたから。何か有るのかなってね。」

 

 俺は思わず腕組みをした。

 俺だって半年ぐらいは近づくまいと思ってた。

 だが、あんな話を捨て置けない。

 とは言え、何をどう話したものか・・・。


 「何? お金だったら貸さないよ。」

 「違うよ。っていうか、貸してくれないのかよ。」

 「金が欲しけりゃ働きな。」

 「ふむ、ごもっとも。」


 これ以上この話題には踏み込まない方が良い。

 軽く流す事にした。


 「で? 何よ?」

 「あのさ、ウチの202号室、あるじゃん。」

 「あるよ。」

 「幽霊とか出る?」

 「は? どこによ。」

 「202号室。」


 しばしの沈黙。

 

 「・・・・・はぁ?」


 この反応だと、やはり幽霊なんて出ないな。

 分かってはいたが、お袋の明け透けな性格と今の「何を馬鹿な事を言ってるんだ」と言外に匂わせるリアクションとで、幽霊話がデマに過ぎないと改めて確信した。


 「ウチに幽霊が出るって?」

 「そういう噂があるんだよ。」

 「202号室?」

 「そう。いや、俺もデマだと思うよ。だって俺の知る限りウチには幽霊のタネになりそうな事、何も起こって無いからさ。」

 「何もないって分かってるのに、態々確かめに来たのかい?」

 「まあね。何もないのに噂があるってのはヘンだろ? もしかして俺の知らない事があったりしないか、念の為に確認しようと思ったのさ。」

 「あるわけないだろ?! バカだねこの子は!」

 「大声出すなって。念の為って言ったろ。ところで202号室って今誰か住んでる?」

 「202ねぇ。いや、今は空き部屋だね。暫く空いてるよ。」

 

 お袋は顎に手を当てて考えるような仕草をした。

 この人の言う「暫く」なら2、3ヶ月って事は無いだろう。それこそ、半年ぐらい空いてるんじゃないか。

 自分の家の事を言うのはこそばゆいがコーポ草森は駅からかなり近い好立地だが部屋数が少ない。家賃もこの辺りの相場からすれば少し安めである。

 要は部屋が埋まりやすいのだ。

 余り長期空き部屋があるというイメージが無い。

 

 「最後に住んでた人ってどんな人?」

 「どんな人って言ってもねぇ。昔と違って『大家・店子』の関係ってやつも、それ程濃くないしねぇ。それに確か・・・」

 「確か?」

 「短期だった気がするねぇ。」


 短期、か。

 確かに無くはないが、コーポ草森では珍しいパターンだ。


 「短期ってどのぐらい?」

 「細かい事は覚えて無いけど、1年ぐらいじゃなかったかねぇ。」

 「名簿見せてよ、そうすりゃ一発じゃない。」

 

 名簿とは居住者名簿の事である。

 入居時の取り交わしとして、家族構成や勤務先、子供の学校名などをを記載して貰っている。緊急時や修理点検実施の際に連絡先を確認するのが主な目的だ。


 「馬鹿言うんじゃないよ! そうおいそれと見せられるもんかね! 個人情報なんだよ?! 守秘義務って言うんだっけ? そういうのがあるじゃないか!」


 言わんとしている事は分かる。個人情報保護は確かに大事だ。

 ただお袋も親父も、元来そういう事にはかなり疎い。

 まあ昭和のオッサン、オバハンなのだ。良くも悪くも。

 なのでお袋の口から個人情報だの守秘義務だの言う単語が出てきたのには、正直驚いた。少しは勉強しているのか。

 それとも、2時間ドラマかなにかでそういうものを見かけたか。

 後者、だな。お袋の場合は、多分。


 「あのさ、俺は大家の息子だよ? 守秘義務もヘチマも無いだろう。」

 「そうなのかい? だけど親しき中にも礼儀有りって言うじゃないか。」

 「それ使い方間違ってるよ、多分。」

 「兎に角ホイホイ見せるもんじゃないだろうに。大体ね、有りもしない幽霊話で」

 「あ~っ、分かった分かった。それは良いよ。じゃ202号室の鍵貸してよ。中を見たいんだ。」 


 ここでお袋と押し問答をして時間を喰うのは避けたかったので、取り敢えず名簿の件は後回しにする。

 先にもう一つのここへ来た目的、「問題の202号室をこの目で見る」を済ませる事にした。

 鍵を借りたいという俺に、眉を文字通りへの字に曲げたお袋は口を尖らせる。


 「だから、幽霊なんて出ないってば。」

 「分かってるよ、さっきから言ってるだろ? 念のためだよ。全部、念の為。」

 

 俺はそれだけ言うと靴を脱いで中に入った。

 奥の部屋へ行き、キーボックスを開ける。

 ずらりと並んだ様々な鍵、マスターキー、機械室の鍵、ゴミステーションの鍵、屋上の鍵、そして各部屋の鍵・・・・・


 「202・・・202・・・・202号室っと。これだな。」


 俺は202と書かれたプラタグの付いた鍵を取った。

 

 「じゃあ一寸借りるよ。」

 「終わったらちゃんと元の場所に片付けといておくれよ!」

 「分かってるよ、子供じゃないんだし。」


 俺は外へ出ると階段を上がって202号室へ向かった。


 コーポ草森は2階建て、全7室の小さなアパートである。

 1階は101、102号室の2部屋で、残りは管理人住居、要するに俺の実家だ。

 2階は201から始まり204を飛ばして206号室までの5部屋がある。

 ざっと見た限り、202以外はすべて埋まっている。

 俺は少し緊張してながら、202号室の扉の前に立った。

 いや、何を緊張しているんだ?

 何も無いじゃないか、何も。

 無い、筈だ。

 キーを差込、素早く回転させる。

 金属音とともに、滑らかにシリンダーが回転した。

 ノブを廻し、扉を開く。

 

 「何も、無いよな。やっぱり。」


 其処には空っぽの部屋があるだけだった。

 狭小、とまでは言わないがコンパクトな1LDK。

 若い独身者を想定した間取りである。

 家具の類は何もなく、備え付けのエアコン、照明、流し台があるのみだ。

 床は全室フローリングとなっており、特に目立つ傷や汚れは無い。

 壁は白で統一されており、こちらにも異変は無かった。

 軽く溜息をつくと、俺は扉を潜り外へ出る。

 何もない。やっぱり。

 正直な所、内心は複雑だった。

 別に何か期待していたわけではないが、例えば噂が出そうな何らかの事物、壁に染みがあるとか、床に傷がとか、そういった分かりやすい落し処があれば良いのに、などと考えていたからだ。

 俺は扉を閉じると、今度はゆっくりと施錠した。

 鍵を引き抜いた後ノブに力を込めて、施錠出来ている事を確認した。

 

 「あれ? タクヤくんじゃないか。」

 「有川さん。」

 

 階段を降りようとした時、上がって来る男性に声を掛けられた。

 203号室に住む有川勝さんだ。俺が高校生の頃に入居してきた人で、現在2階では最古参という事になる。

 明るくて話が面白くて楽しい人だが、何処と無く掴み所が無いというか、何とも得体の知れない人だった。俺が学校行く頃にジャージ姿に疲れた顔して帰って来たり、日曜日の昼間なのに背広姿で颯爽と出かけたり。一度など何やらグロテスクな金属のオブジェみたいなものを大事そう抱えていたので、何かと聞いたら楽器だと答えた。 

 まあ兎に角、俺は昔から仲良くさせて貰っている。


 「どうしたんだい? 遂に帰って来たのかい?」

 「遂にって、なんですか。」

 「いや、秘めたる願いを叶えるために為に一念発起して飛び出したけど、刀折れ矢尽きて戻って来たのかなと。国破れて、山河ありというか。」

 「何ですかソレ。大体秘めたる願って何ですか。」

 「知らんよ、キミの願いだろ?」

 「あのね・・・。いや、今日は一寸寄っただけですよ。」

 「管理人室じゃなくて、態々2階に?」

 「・・・・・」


 俺は、もしかしたらと思い、聞いてみる事にした。


 「有川さん、ここに幽霊が出るって話、聞いた事あります?」


 少しの間の後、ああ、という感じで答えた。


 「202号室の噂の事かい? 心霊スポットだとか何とか。」


 やはり、知っていたか。

 と思うと同時に、既に住人の中に知っている人間がいる、という事実に少し危機感を覚えた。

 もしかすると、思ったより広がってるんじゃないか? この噂。


 「ウソだよ、あんなもの。」


 さも「つまらない」と言わんばかりに吐き捨てる。

 

 「ウソ、ですか。」

 「ああ。だって俺は結構長く隣に住んでるけど、幽霊が出るなんて話聞いた事無いぜ? 勿論俺自身は見た事無いし。」

 「そうですか。」

 「タクヤくんだって知ってるだろう? そもそも幽霊が出る原因になるような事が起こって無いよ。」

 「そうですよね。」


 有川さんも俺と同じ考えだ。

 住人だから当たり前だが、事件も事故も起きていない事を知っているのだ。

 そうだ、この人は隣に住んでいるんだ。それも結構長く。

 もしかして、何か分かるかもしれない。


 「202って今は空いてるんですが、その前に住んで人ってどんな人か覚えてます?」

 「どんな、か・・・。う~ん、特に付き合いがあったわけじゃないしなぁ。若い男だったけど。」

 「男ですか。」

 「そう思うよ。何度かすれ違って、会釈する程度だったけど。服装や雰囲気は若い男って感じだったよ。学生って言っても通りそうなぐらいね。」


 噂の幽霊は若い女だから、一致しない。

 

 「ああそうか、幽霊像と合わないか確認かい? 少なくとも俺が記憶している範囲じゃ202に若い女性が入った事は無いぜ。」

 「・・・そうですか。」

 「まあ最近は見た目じゃ性別の分からない奴もいるから、男っぽい女性だったって可能性はゼロじゃないけど、何れにしても長髪じゃなかったな。」


 そういえば「若い女性」というだけで服装や髪形など容姿に関する情報が無い。

 勝手に白い服を着た髪の長い女性を想像していたが。

 そういや髪形がボブカットとかジャージ姿の女性の幽霊って聞いた事ないような気がする。

 頭に沸いた雑多な考えを追い払い、俺は有川さんに礼を言った。


 「誰か入居してくれりゃ良いんだけどな。それで『幽霊なんか出ませんよ』って広めてくれりゃ良いんだ。」


 実家に戻ると、俺は202の鍵をキーボックスに仕舞いながら、さっきの有川さんのセリフについて考えていた。

 確かに、誰かが住んで、何も無い事を証言してくれれば・・・・・

 でも何処に、誰に証言するんだ?

 そもそもこの噂自体、謂わば「火の無い所に立った煙」だ。

 「住人の否定的証言」で火消し出来るものだろうか。


 「なんだタクヤ、帰ってたのか。」

 「親父。」

 

 不意に親父に声を掛けられた。


 「ああ、一寸寄っただけだよ。出かけてたのか?」

 「釣りにな、行ってたんだ。」

 「そういや最近始めたって言ってたな。道具はどうしたんだい? 買ったの?」

 「お前が子供の頃使ってた奴を拝借した。」

 「え? まだ残ってたの?」

 「良く言うよ。物置に入れっ放しにしたのはお前じゃないか。」

 「そりゃそうだけど、あんなちゃちな竿、使えるのかい?」

 「屋内釣り堀だからな、あれで十分だ。」

 「お袋は?」

 「俺と入れ違いに買い物に行ったよ。お前が帰ってるとは言ってなかったがな。」

 「忘れたんじゃないか? お袋の事だし。」

 「まあ、そうだろうな。」


 俺たちは一くさり笑いあった。

 親父は穏やかな性格で、はっきり言ってお袋より話しやすい。


 「今日寄ったのはウチの202号室の事なんだ。」

 「202号室? 何かあったのか?」

 「いやその、その部屋が心霊スポットだって噂があるんだよ。」

 「心霊スポット? なんだそりゃ。」

 「幽霊が出る場所、の事かな。」

 「いや、心霊スポットが何かは知っとるよ。そうじゃなくて、なんでウチが心霊スポットなんかになってるんだってことさ。」

 「良くは分からない。それほど大きな噂でも無いと思うんだけど、さっき話したら有川さんは知ってた。」

 「有川君、そういうの好きそうだな。」

 「俺もこんな話、嘘だってのは分かってるんだけど、噂が広まって入居者に影響あっても嫌だなと思ってさ。」

 「それでさ、名簿が見たいんだよね。」

 「名簿って、居住者名簿か?」

 「そう、それ見れば誰が202に住んでたか分かるだろ? こんな噂が生まれた、ヒントだけでも分かるかもしれないぜ?」


 親父は腕組みをして唸った。


 「古いものは随分奥の方に仕舞ったからな。簡単には出て来ないぞ?」

 「取り敢えず直近のだけで良いよ。噂が出たのはそんな昔じゃないからね。」

 「分かった。」

 

 親父はキャビネットの鍵を開け、リングファイルを取り出した。

 

 「母さんには内緒にしろよ? 最近やれ個人情報だの、守秘義務だのと煩いんだ。大方ドラマかワイドショーかでも見たんだろうけど。」


 それに関しては俺もほぼ同意見だ。

 苦笑しながらファイルを受け取った。

 開こうとしてふと手を止め、念の為に聞いてみる。


 「一応確認したいんだけどさ、この土地に『いわく』ってないよな?」

 「いわく? ・・・・・いや、無いだろう。」

 「ホントに? 例えば昔ここで殺人事件があったとか。」

 「知らんなぁ。無いと思うぞ。」

 「戦争中に空襲で沢山の犠牲者が」

 「その頃のこの辺りと言えば田んぼか畑か野っ原か」

 「戦国時代に大きな戦が」

 「そこまで昔なら、そもそも人なんか住んでないんじゃないのか? 田舎だったらしいし。」


 コーポ草森、即ちにいわくが無くても、にはあるかもしれない。

 そう思って尋ねてみたのだが。

 いわくは無い、か。

 いや、この場合無いのか知らないのか不明、ってトコか。

 これは、ちゃんと確認した方が良いかもしれない。


 「ここの土地はどうやって手に入れたのさ。」

 「手に入れたも何も、元から母さんトコの土地だ。村野家の持ち土地だよ。」


 そう、村野はお袋の姓だ。

 親父は婿養子である。

 そして俺は親父似である。

 お袋の強い所は、俺ではなく妹に遺伝したらしい。

 ちゃんと聞いた事は無いけど、村野家は女系家族なんじゃないかと思っている。


 「その一部を譲ってもらって此処を建てたんだ。まあどちらかというと母さんの押しが強かったが。」

 「まあ、そうなんだろうね。」

 「ウチが持ってる2棟の内じゃ、こっちは収入自体は低い方なんだがね。部屋数も少ないから。だがまあもう一つのマンションと併せて家賃で食っていける。土地を融通してくれたお義父さんには感謝しかないよ。」

 「お爺ちゃんからも何も聞いてないんだね?」

 「諄いねお前も。何も無いって。」


 まあこれ以上は掘っても何も出まい。

 俺はいわくの追及を諦めてファイルを開いた。

 関係無いページをさっさと捲り、202号室の記述を確認する。


 退居したのは・・・・・、7カ月前か。

 入居期間は1年2カ月。確かに短い。

 名前は・・・・・


 徳丸博美


 トクマルヒロミ


 それが現時点での、202号室最後の住人だった。

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