第4話 女神様、教科書を書き換える



 続く三時間目は日本史の授業だ。

 担任は日本の伝統文化を愛する先生で天原を見るや上機嫌になるのがわかる。


「では前回の授業の復習ですが、その前に天原さんの授業深度の確認をさせてください。いま、飛鳥時代なんですけど、隋の皇帝が何故聖徳太子からの国書に憤慨したか、習いましたか?」


 天津神が受けている日本史授業に興味があるのか、先生の声は好奇心で弾んでいた。


 すると、また、天原は不思議そうな、対応に困るような表情をした。


「あの、隋の皇帝が憤慨したというのは江戸時代になってから生まれた俗説で、一次資料にそのような記述はないのですが……」

『えっ!?』


 つい先週、習ったばかりの内容を否定されて、みんなは驚愕の声を上げた。


「待って天原さん、どういうこと?」

「隋の皇帝ってめっちゃ怒って小野妹子を送り返して、苦情文持たされたから小野妹子は返事は失くしたって聖徳太子に報告したんでしょ!?」


「いえ、聖徳太子からの国書には前分として隋の皇帝を【海西の菩薩天子】と称え、仏教を重んじる姿勢を示しています。そのことから隋の皇帝は肯定的に捉えたとされています」


「でもその後、日いずる天子が、日没する国の天子って書き方が失礼だって!」


「いえ。隋の正式な史書の随書の記録には『文辞が尊大である』つまり聖徳太子の国書を偉そう、と評したものの、憤慨したとは書いておりません。むしろ小野妹子達遣隋使は手厚いもてなしを受けています」


 その説明に、みんなは「そうなの?」と驚き、顔を隣近所と顔を見合わせた。


「でも、日没する国の天子ってめっちゃディスってない?」


「ディス……罵倒したということでしょうか? それも誤解です。【日出づる処の】という書き出しは、【大智度論】という仏典で用いられる表現で、日の出、日の入りは単に方角を示すもので上下は無いという意味です。なので【日没する処】とは西の言い換えに過ぎず、むしろ最上級の教養を持っている証明です。この書き出しで、隋の皇帝は聖徳太子を高く評価したというのが学会の見解です」


「じゃあなんで小野妹子は皇帝からの返事を無くしたの? 失礼な内容で見せられなかったんでしょ?」


「あ、いえ、皇帝からの返事については歴史書に一切書かれておりません。それも江戸時代の学者が、記述が無いのは見せられないような内容だったからではないかと解釈したのが現代に広まっただけです。ですが」


 と、結び、天原は先生に視線を投げた。


「歴史とは常に諸説あるもの。何が正解かは当時の人々にしか解りません。先生、テストの時はどちらの説がよろしいでしょうか?」


 天原からの問いかけに、先生は背筋を硬くして恐縮した。


「ど、どっちでも正解とします。いやぁ凄いね天原君、いや、天原様。流石は天津神様。中学時代はどんな授業を?」


 天津神の通う学校に、みんなも前のめりになった。


「様はおやめください。私はただの生徒ですので。しかしそうですね、天津神中学では、大学より日本史の教授をお招きし、皆で古事記や日本書紀、各種歴史書の解読と解釈討論会などが主流でした。生徒同士で忌憚ない意見を披露し、切磋琢磨したのは良い思い出です」


 天原がぬくもりを感じるような声音で胸に手を当てると、誰もが恐れ多いのものを見る目で引いた。


 授業のレベルが違い過ぎる。

 本当に彼女がこんな掃き溜めにいていいのか。

 そんな顔だ。


 ――まっ、実際にそうだろうな。天津神が転校してくるなんて、イギリス王室の人が転校してくるよりあり得ねぇって。


 こんな場所のなんの見分が広まるのかと、俺は自嘲した。


   ◆


 昼休みになると、俺は大塚、千歳と机をくっつけて、母さんが作ってくれた弁当を食べ始めた。


 天原は相変わらず注目の的で、休み時間の度、クラスメイト達から質問攻めにあっている。


 けれど、今は違った。


「恐れ入りますが、図書室を利用してもよろしいでしょうか?」

「図書室? なんで?」

「調べものをしたいのです」

「そんなんネットでいいじゃん?」

「恥ずかしながら、私、ネットというものを使ったことが無いのです」


 驚きの発言に、だけどみんな納得した。


「あ、そういえばさっき、身の回りのことは全部侍女がやるって」

「もしかしてパソコンやスマホの操作も侍女がしているの?」


 ぎょっとする生徒たちに、天原はわずかに頬を紅潮させて、恥じらうように頷いた。


 完璧な美貌を持つ人が見せる弱さの魅力は底なしで、俺でさえ、ちょっとスクショしたくなった。


 ミーハーなクラスメイトたちは言うまでもなく、男女を問わず、顔から恋に落ちるを音をさせていた。


「それに、大衆文学にも興味がございますので。では、失礼致します」


 ぺこりとお辞儀をする天原に、誰も何も言えないし、ついてもいけなかった。

 普段、スマホとウェブ漫画しかいじっていない連中に、現代文学など紹介できるわけもない。


 みんな、己の無教養さを嘆くように、慌ててスマホを操作し始めた。

 どうやら、大衆文学のレビューを漁っているらしい。いまさら間に合うかよ。

 俺は苦笑した。


「和馬君、ついていってあげなくていいんですか? 図書委員ですよね?」


 隣で弁当をついばむ千歳が、俺の顔を覗き込んできた。


「仲良くなるチャンスだぞ?」


 大塚も続いた。


「いらないだろ? 図書室の場所は知っているみたいだし。図書室には当番の図書委員が常駐している。逆に俺が行ってもすることねぇよ」


 ぶっきらぼうに言ってから、俺は卵焼きを食べた。


「お前本当に冷めているっていうか、神様に興味ないのな」

「私なんて未だに連絡先を交換するすべはないかチャットAIに聞いているのに」


 スマホ画面を見せてくる千歳に呆れながら、俺は卵焼きを呑み込んだ。


「どうせ来年にはクラス替え、三年後には卒業だ。天原に頼ると痛い目みるぜ?」


 ――それでもまぁ、人としては、魅力的だけどな。


 知識や教養をひけらかさず、常に相手を立てる姿勢、物腰やわらかい立ち居振る舞いは、流石は神様だと溜息を吐いてしまう。


 だけど、俺と天原とでは住む世界が違う。向こうにしても、迷惑だろう。


 これがラブコメ漫画なら、俺が図書当番の時に天原が図書室に来るのだろうが、そんな都合のいい展開は起きないだろうし、俺も望んでいない。


 教室を出て行く天原の天綯ヘアを見送り、俺はからあげをつまんだ。



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