第3話 神様に頼らない男と、頼られる神様

「あと願い言っていないのお前だけだぞ、早くしろ」


 クラスメイトたちの視線が俺に集まった。

 天原も、静かにこちらに首を回して、光輪の瞳と目が合った。


 何度見ても、やはり神々しいほど美しく、魅力的だ。


 超常の存在感と、だけど、同時に他人ながらおせっかいな不安を感じてしまう。

 俺は子供の頃を思い出しながら、視線を外してスマホを取り出した。


「いいよ、神頼みしない派だから」


 すると、視界の端で高槻がモデルのような顔をゆがめたのがわかる。


「神様を前に失礼だぞ。空気読めよ」

高槻に追従する形で、クラスメイトたちも口々に言った。

「そうだよ東山君」

「天津神様にタダでお願いできる機会なんてめったにないんだから!」

「ノリわるーい」


 みんなが俺を責める中、幼馴染の大塚は沈黙が最善とばかりに事態を見守り、千歳は何をすべきか迷うようにキョドり始めた。有事に弱い。


 すると、桜色の淡いくちびるが開いた。


「恐れ入りますが皆様。神通力も万能ではありません。いかに加護を授けようと、その分、皆様が怠れば意味はありません。今後も弛まぬ努力を尽くすことを忘れませぬよう」


「え~、そうなの~」

「ちぇっ、楽できると思ったのに」

「漫画とは違うのか……」


 あまりの他力本願ぶりに俺は呆れると同時に、安堵した。

 みんなの意識は天原へ集まり、俺は良い意味で蚊帳の外だ。危機は脱した。


 大塚も呆れの息を吐いて、千歳は安堵している。わかりやすい。

 そこからは、先生が来るまでみんなで天原への質問タイムが再会した。


「天原さん、連絡先を交換しましょう!」

「すいません。私、スマホは使えないんです。身の回りのことは全て侍女が行っていたので」


「む、それは残念ですね……」


 天原に夢中な千歳を置いて、大塚が戻ってきた。


「お前、少しは空気読んだ方がいいぞ?」


 心配した語調の幼馴染に、俺はすまんなとばかりに息を吐いた。


「俺のポリシーなんでな。我、神を尊べと神に頼らず。大剣豪宮本武蔵の言葉だ」

「また爺さんの影響か? 日本史の先生だっけか?」

「……ああ」


 短く答えてから、俺は大塚と二人で千歳を見守りながら、先生がくるのを待った。


   ◆


 二時間目の授業は英語だ。


 アメリカに長期留学経験を持つ英語教師は、いつも無駄に流暢な英語で生徒に指名するので困る。


「Can you read from page twenty-three, starting at the word schedule, please?」


 今日も自慢げに、ネイティブ英語を投げる。

 狙いは、天原だった。


 天津神に自分の優秀さを見せつけようとでも思っているのか、いつも以上に発音がわざとらしく聞こえる。


 席が近くの生徒たちが身を硬くしながら、自分が当てられなくてよかったとばかりに胸をなでおろす中、天原の黄金比のように整った美貌に、かすかな戸惑いが浮かんだ。


 すると、英語教師は優越感に浸るように口元歪めた。

 けれど、次の瞬間、天原は困り声を漏らした。


「恐れ入りますが、先生の発音はアメリカ発音とイギリス発音が混じっているのですが、どちらで答えるべきでしょうか?」

「は?」


 英語教師の口がぽかんと開いて、俺らも唖然とした。


 ――そういえば、英語はイギリスが本場で、アメリカ英語は方言みたいなものなんだっけか?


 だとしても、それを聞き分けるって天原すごいな。

 俺が感心する一方で、先生は悔し気に固い笑みを作った。


「ど、どっちでもいいですよ」


 教室のそこかしこで、忍び笑いが漏れた。


「はい。では」


 天原は上品な所作でやわらかく立ち上がると、背筋を伸ばした。

 深窓の令嬢然とした雅な佇まいで、教科書に視線を落とすと、たおやかに口を開いた。


「……Schedule plays an important role in our daily lives. By making a schedule, we can manage our time more efficiently」


 神の朗読に、誰もが目を見張り聞き入った。


 まるでみことのりを唱えるように上品で厳かに、それでいて、音声教材よりも美しい滑らかな発音は、俺らが知るそれではなかった。


 これがイギリス式英語、本場のキングスイングリッシュというものなのか。

 日本の神様だけれど、まるで西洋の聖女様がそこにいるようだった。


 高慢な英語教師ですらその言葉を遮ることはできず、とうとう、天原は教科書の章末まで読み上げてしまった。


 穏やかに教科書から顔を上げると、天原は俺たちへ視線を巡らせた。


「ご清聴頂き、感謝致します」


 優美な所作で軽く会釈をすると、教室中から拍手が巻き起こった。

 まるで、人気アイドルのコンサートだ。


「な、なんか聞き慣れないけど、すげーカッコよかった……」

「あれがイギリス式、クイーンズイングリッシュってやつ?」

「先生より全然綺麗だよ」

「先生の発音、いま思うとちょっとわざとらしいよね」


 俺たちに背を向けて、天原は先生に尋ねた。


「先生、私の朗読に問題はございませんでしたでしょうか?」


 先生は苦笑い浮かべながら、


「……No, th-that’s fine. Good job」


 と返した。


「ねぇ天原さん! どこで英語習ったの?」

「やっぱ専属の家庭教師とか!?」


 好奇心いっぱいのクラスメイト達からの問いかけに、天原はまばたきをした。


「いえ、天津神は海外交流で幼い頃から日常的に英語を話しますので」


 なるほど。つまりガチでネイティブなのか。

 幼い頃、天津神がイギリス王室を訪問するニュースを見たことを思い出す。


 きっと、あれが日常なのだろう。


 教科書なんかで語学を学ぶ俺らとは、住む世界が違う。


「ッ、皆さん静かに! 授業中ですよ!」


 先生は自身の失態を誤魔化すように声を荒立てる。


 でも、その子はどこか空回りしていた。

 天原の言葉に、教室の空気がかわってしまったのだ。

 いつもは先生相手に委縮した息苦しい英語の授業。


 けれど今は、ゆとりを持っていた。

 まるで、天原という女神の加護で守られているように、誰もが安心しきっていた。

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