ネレイドバースト
たこまき
第1章 儀式
白一色の部屋。
インド系の血を引く彼女の褐色の肌に、無機質な機械アームが旋回し、ノズルから霧状の液体を噴射する。
NSFコーティング。インナーウェアの上から吹き付けられた微粒子は、瞬時に硬化し、水着状のボディスーツを形成する。
最後に、陸上移動用の保護コートが形成された。
処理完了のブザー。
真弥は台座から降り、カタパルトデッキへ続く廊下を移動する。保護コートの袖口や裾から内側のスーツの青白い光が漏れ出し、床をぼんやりと照らす。
真弥は、カタパルトチューブの中で目を閉じた。
冷たい海水が満ちていく。肺での呼吸は、ここで最後だ。大きく息を吸い込む。
体がふわりと浮き、保護コートが溶けていく。海水に触れた特殊素材が、泡のように消え、ボディスーツの青白い光が解き放たれる。
首筋が熱くなる。O2インフュージョンが起動した。ナノマシンが肺の機能を代替する。息ができない。でも、苦しくない。
透明な膜が顔を含む全身を覆う。NSFコーティングの最終段階だ。
マーリンレンズが起動し、視界の端に緑色の数値が浮かぶ。
指の間にウェビング(透明な水かき)、つま先にはフルーク(小型のヒレ)が形成される。
準備完了――人類は、水中最速の生物になる
「5・4・3・2・1 ――Dive!」
全身を包む青白い光『ルミナスシールド』――水の抵抗を削り、肉体を守る光の膜。
体が滑るように加速していく。
時速50キロ。真弥は海へと躍り出た。
視界が開けた瞬間、圧倒的な光景が飛び込んでくる。
オールド・シブヤ。
水深25メートル。渋谷の谷底を満たす海水の中に、かつての「109」が沈んでいる。低層階は崩壊し、シンボルだった円柱が佇んでいる。ビル群はネオンライトとホログラムで装飾され、光の峡谷を形作っていた。
その光の峡谷を、十二筋の流星が駆ける。
先頭を行くのは、プラチナブロンドの髪、ドイツのアストリッド・フォン・ベルク。
世界選手権5連覇の絶対女王。そして、今日が彼女の引退レースだ。
彼女のルミナスシールドは、他の誰よりも鋭く、冷たく澄んでいる。
すぐ後ろにノルウェーのシグリッド、シンガポールのミラが続く。
実況:「さあ始まりました! 『アクアグライド』特別招待試合、絶対女王アストリッド・フォン・ベルクの引退記念エキシビジョンレース! 海の精霊の名を冠するネレイドたち12人が、今スタートしました!」
解説:「本日のコースは『オールド・シブヤ』。かつての渋谷駅周辺をそのまま利用した、全長22キロの難関コースです」
実況:「美しい光景ですね。ビル群の間を泳ぐ銀色の魚影、あれは本物の魚ではありません」
解説:「魚型カメラドローン『カム・フィッシュ』の群れですね。コース全体に数千匹が放たれ、選手たちをあらゆる角度から撮影しています」
実況:「そして選手の背後に控える円盤型ドローン」
解説:「サポート&レスキュードローン――通称『ピット』です。装備交換と緊急救護を担う頼れる相棒です」
真弥は中団8番手につけた。
ふと、胸元のスポンサーロゴが揺らいだ。カメラに捉えられると自動でアニメーションCMを始める。今、世界があなたを見ていますよ、という合図。
(……見ないでよ)
真弥は奥歯を噛み締めた。
注目されているのは、期待からじゃない。「なぜお前がここにいる」という、値踏みの視線だ。
実況:「カメラが捉えたのは、日本の深水真弥選手です。プレミア・クラス所属ですが……正直に申し上げましょう、今シーズンは崖っぷちです」
解説:「ランキング28位。プレミア残留のボーダーライン上ですね。ここ数戦は決勝進出も逃していますし、メンタル面の影響が心配されます」
実況:「そんな彼女が、なぜ女王の引退レースに招待されたのか? SNSでは『思い出作り』『数合わせ』なんて辛辣な声も飛んでいますが……おっと!?」
実況の声が弾んだ。
真弥の視界の端で、乱暴な光が動いた。中堅選手のカーラが、前を行く選手、ベラのインサイドへ強引に突っ込んでいく。
実況:「カーラ選手が仕掛けた! しかし強引すぎる!」
解説:「近すぎる! その距離は自殺行為だ!」
カーラのルミナスが、ベラのルミナスに接触した。
瞬間、爆発的な衝撃波が水中に広がる。
ルミナスシールド同士が触れたことによって起きるリパルション――反発だ。
カーラとベラが、きりもみ回転しながら弾け飛んだ。
壁に激突する――その直前、2機のピットが、猛烈な加速で割り込んだ。
保護フィールドが展開され、2人の体を受け止める。
鈍い衝撃と共に、2人は壁の手前で停止した。
ルミナスの光は消え、共倒れ。ピットによるレスキューの介入は即リタイアだ。
実況:「クラッシュ発生! カーラ選手、ベラ選手、両者リタイアです!」
解説:「カーラ選手、反発力を利用したテクニック『リパルション・ターン』を狙ったんでしょうが、失敗すればご覧の通り。自分も相手も終わらせる危険な賭けです」
だが、真弥にとっては他人事ではなかった。弾かれた2人の余波で生じた激しい水流が、後続の真弥を襲ったのだ。
真弥は咄嗟に身を捻り、乱流を回避しようとする。
コンタクトレンズ型ARデバイス『マーリンレンズ』のアラートが真っ赤に染まった。
回避した先には、別の選手がいた。
ルミナスが擦れる嫌な感触。
完全な衝突ではなかったが、強烈な反発力が真弥の体を横へと弾き飛ばした。
体勢を立て直すのに数秒。
その間に、他の選手たちが次々と横をすり抜けていく。
8位……10位……、そして、最後尾。
遠ざかる先頭集団。アストリッドの輝きは、もう遥か彼方だ。
真弥のスーツの上で、ロゴマークが激しく点滅している。
無様に弾き飛ばされた姿を、世界中が、スポンサーが見ている。
その光は、まるで真弥を嘲笑っているかのようだった。
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ネレイドバースト たこまき @takomaki
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