第2話 運命の彼女……のはず!

 季節は澄んだ空気に白い息が消える二月。

 そう、世間はバレンタインというイベントに騒いでいる日を迎えていた。教室は朝から甘い匂いと羨望で満ちている。



「見て見て! 本命チョコ、可愛く作れたァ!」

「やば、この友チョコ美味すぎる!」

「お前いいなー……俺なんて二つしかもらえてねぇよ」



 クラス中が浮かれ、笑い声が絶えない。


 その中心で俺、音無蓮は静かに机へ座っていた。


 ……え? 俺? 何個もらったかって?

 ——ゼロだよ。本気のゼロだよ。


 友チョコ? 義理? いやいや、俺にはそれすら都市伝説みたいなもんだ。


(べ、別に……バレンタインなんて、チョコ会社の陰謀だし)


 そう呟きながら、必死に心を守る。

 でも視界に飛び込んでくるのは、幸せそうにチョコを抱えて頬張るクラスメイトたち。


 羨ましくなんて、ない。

 ないけど……でも——ちょっとだけ羨ましい!


 そんな自分に嫌気が差しつつ、俺は放課後まで生徒会の仕事を続けた。



「——はぁ。結局、最後まで残ったのは俺だけだったか」


 何だかんだで恋人がいる副会長や書記、会計たち。どんどん幸せな雰囲気に包まれながら帰っていく同胞たちを見送りながら、俺は帰りの支度を始めた。


「あ、ヤベ。読みかけの小説を置きっぱなしだったな」


 すっかり落陽して影を落とした廊下を歩きながら、忘れ物を取りに教室に戻ろうとしたその時——薄暗い教室に小柄な女子が一人、俺の机の前に立っていた。


 えっ……まさか?


 胸が一気に跳ねる。

 息を殺して扉の陰から様子を伺うと、その子は小さな箱をぎゅっと胸に抱きしめ、震える指で俺の机の中へそっと滑り込ませた。



(ほ、本物……!?)


 嬉しすぎて、反射的に声が出た。


「ちょ、ちょっと待って!」



 その瞬間、彼女はビクリと肩を震わせて俺の方を振り返った。


 ——見えた。

 長い前髪の下、涙みたいに潤んだ瞳。白い肌。小さく結ばれた唇。


 息が止まるほど可愛い——! 俺好みのスゲェ美少女!



「っ……!」


 彼女は顔を真っ赤にし、そのまま走り出した。


「待って! 君……!」



 慌てて追いかけるが、廊下の曲がり角を曲がった瞬間、影も形もなく消えてしまった。


 嘘だろ? 俺、陸上部より足速いんだぞ!?

 なんで見失うんだよ!


 肩で息をしながら戻ると、机の中には淡い色の箱と、小さなカード。


 震える手で開いた。



『いつも頑張っている音無先輩のことを応援しています』



 名前はない。

 でも、胸の奥が熱くて、どうしようもなかった。


「——っ、う、嬉しい……!」


 初めてのラッキーイベントに、俺は思わず拳を突き上げ歓喜の声を上げていた。電気もついていない真っ暗な教室で一人はしゃぐ生徒に、誰一人気づいちゃいなかった。



 そしてこの喜びを分かち合いたくて、俺はそのまま叔父、雅治の店を訪れた。


「れ、蓮。ちょっと泣きすぎじゃない!?」


「ち、違うし……泣いてねぇし……!」



 ジンジャーエール片手に号泣する俺に、叔父の雅治はポンポンと背中をさすってくれた。


「よかったじゃない! 初チョコよ!? 人生で初めてのチョコなんでしょ!? ほら、アンタの良さを分かってくれる女の子もいるって言ったでしょ?」


「うぅ、ほんとに俺……!!」


 嬉しさは止まらなかった。

 だが、この時の俺は、違う形の絶望を思い知ることとなる。



 翌日、俺は朝から昨日の子を探し続けた。


(黒くて厚めの前髪、小柄で目がすっごく綺麗だった美少女!)


 一度見れば絶対に分かる。なのに、全然見つからない。



「……いない。え? なんで? いや、ほんと何処!?」


 他クラス、他の学年、全部見ても見つからない。生徒会の資料室に置かれてる公開名簿も全部確認したのに見つからない。「昨日の子」だけが、綺麗に世界から消えていた。


 その日だけじゃない。一週間経っても数週間経っても、彼女だけは見つからなかった。


 ——結局、俺はバレンタインの彼女を見つけられないまま春を迎えようとしていた。



「あれ? え、俺……幽霊からチョコもらったのか?」


 いや、いっそのこと幽霊でも構わない。一目惚れした彼女にまた会いたい……その一心で探し回ったのに、全く見つけられなかった。


 そんな俺に追い打ちをかけるような母の言葉。

 絶望の顔で家に帰ると、待ち構えていた母が声を掛けてきた。


「あらぁ、蓮。なんて辛気臭い顔をしているの? そんなことだから彼女ができないのよ?」


「うるせぇな……何? 俺に用事?」


 すると母は嬉しそうに口角を上げて言ってきた。



「あなたに紹介したい人がいるの。早瀬コーポレーションの娘さんよ」


 ——早瀬?

 その名字を聞いた瞬間、ゾッ……ッッ!! と背中が冷たくなった。


(は、早瀬って……真由か!? アイツのとこか!? 嫌だ! 死んでも嫌だ!)


「母さん、俺……好きな人がいるから、その縁談は無理!」


「あらそうなの? 残念ねぇ……とっても良い娘さんなのに」


(良い娘!? どの口が言ってんだよ!)



 そもそも俺にはバレンタインのあの子がいる。顔も名前も知らないけど、でも確かに俺に、初めてのチョコをくれた子がいる。


(女々しいと思われるかもしれないけど、その子のこと……ずっと忘れられないんだよ)



 ただ、その肝心の彼女が全っ然見つからないまま、俺は高校、そして大学まで卒業し、気付けば26歳になっていた。



 え? 彼女? そんなものできるわけがない。

 高校の時からずっと俺に張り付いていた真由は、なぜか大学まで同じところに進学してきて、真由や真由の取り巻きのせいで、俺の大学ライフも散々だった。

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