第1話:変身

「ハア……、ハア……」


 人里から離れ、木々から僅かに月明かりが入る静寂の中、荒い息づかいが聞こえる。


 さっきのは一体なんなのだ?


 そう、勇者は思わず額を抑えた。


「……は?」


 なにかが、手に当たる。


「なんだ? これは……」


 そう言いながらも湧き上がる衝動に、服の胸元を強く握りしめた。


「フー……、フー……」


 服に纏わりつく鉄の匂いが、脳内をかき乱す。


 蹲って頭を抱えた時には服には掴んだ皺ができていた。


「あ〜! いたいた! 新魔王様、発見!」


 ドクン……


 よく澄んだ声だけが頭に響いてきて、堪えながらも後ろを向く。


「……。魔人か」


 黒い服に黒い髪。

 だがその額にはツノが生えている。


  冷静に、と思いながら剣の方に手をやると、勢いよく剣の握りの方に手が走った。


 だがその手は宙を掴む。

 剣は先程、投げ捨ててしまったからだ。


「ウッ……」


 魔人の前であるというのにふらついてしまう。


「魔人って……。そっちも似たようなもんでしょーに」


 カラカラ笑う魔人。


「……なに?」

「あ、鏡見ればわかると思う〜。鏡鏡……。あ、あった! はい!」


 魔人が一歩前に出てくる。


 その魔人の額には、鈍く光った黒い、右側は長く左はその半分のサイズである、二本のツノ見られた。


 黒。

 闇魔法系のものだ。


 警戒し、一歩後ろに退がる。


「え、退がっちゃったら渡せないよ?……ほい」


 前に出て来る。後ろに下がる。


 それを三回繰り返す。


「……ま、いっか。これで見える?」

「……!」


 薄らぼんやりとした光で見えたその手鏡に映ったものは、自分の顔だった。

 いや、自分の顔だが……。


 ツノが生えている。


「どう、いう、こと、だ……?」


 紫の二本ヅノに、雷のような模様。

 これは、魔王にそっくりの……。


「実は〜。なんかよくわからんけど、魔王倒した人は、魔王になるのですぅ〜」


 カラカラ笑う魔人。


 その声が嫌に鮮明だ。


「……つまり、俺が倒したのは、前の勇者様だった、ということ、か……?」

「ン〜。つまりそういうことだね〜」


 ウインクされる。


 それを聞き、勇者は蒼白な顔をして、思わず手を下げた。


「どうりで……、魔王が消えないわけだ……」

「そうそう〜。ちなみに、今回は珍しいよ〜。なんせ、前の魔王様の以外、死者がいなかったし、襲わなかったから〜」

「……」


 別に、それはどうでもよい。


 魔王になってしまった勇者にとって、殺される方がよいだろう。


 俺もそれを望むだろうから。


 だが、これではいくら倒しても魔王が蘇ってしまう。


 どうすれば……。

 いや、方法はある。


「なあ。おまえ」

「ん?」


 魔人に向かって声をかける。

 初めての行動だ。


 しかし、これしか方法がない。


 万が一、俺をこいつが殺そうとしたとしても、離れればいいだけのこと。


 その程度のことならうまく頭が回らない今でもできる。

 この魔人も相当強いだろうが、それでも速さでは劣りはしないだろう。


 そう思って、その魔人を見る。


 魔人は全滅させたかった。


 だが、それは他の人に任せておけばいい。

 きっと魔王がいなくなれば、そこまでの脅威は残っていないだろう。


 だから。


「……剣」

「けん?」

「剣を貸してくれないか?」

「うん! いる?」


 てちてちと歩き、両腰に差している剣の片側を渡す魔人。


 それを受け取る。

 そして……


 ドスッ


 首に前から突き刺した。

 激痛と共に力が抜けて、倒れる。


「……」


 周りから音が消える。


「あ〜あ」


 やがて魔人が沈黙を破った。


「よっこいしょと」


 首に刺さっている剣が抜かれ、手の近くに置かれる。


 出血し、血が一面に広がるはずが、全くと言っていいほどにその気配はなかった。


「……魔王サマ〜。そろそろ起きたら〜?」

「……なぜ……?」


 おかしい。


 その声が聞こえるはずもないのに。


 痛みもなくなる。

 喉ごと刺したはずなのに声も出た。


 体を起こし、自分の首を触る。

 瘡蓋すらもない。


 まるで、最初からなかったかのように。


 思えば魔王との戦闘で負ったはずの傷も見当たらなくなっていた。


 まさか……。


「んーっとね〜。なぜか、魔王サマはすぐに傷がなくなるし、自殺もできんのですぅ〜!」


 気づき、その結論と事実に辿りついた勇者は、それを確定させる魔人の言葉に、思わず地を叩いた。


「なぜこんなことが起こりうる……! しかもなぜ……! なぜ魔王に……!」

「そりゃ、兄ちゃんが前の魔王サマ殺しちゃったからだよ〜。そういや、魔王サマ、名前は?」

「……魔人になど、名乗る名を持ち合わせているはずがないだろう」


 呟くように言う。


「んじゃ、魔王サマと兄ちゃん継続で。僕はミカゲ。ミカって呼んで〜」

「……やめろ」

「じゃ、兄ちゃん」


 その時、空気が変わった。


 どこからともなく獣の匂いがする。


「あ〜。魔王サマ、じゃなくて、兄ちゃん、こんなとこで血の臭い、プンプンさせるから……」


 たくさんの目。

 囲まれている。


 最悪だ。


 なぜ死ねない……!


 そして魔人の言う血の臭いが、頭の回転を鈍くさせる。


 置かれた剣を持ち、立ち上がる。

 乾いてきているものの、血を吸い込んだ服が重たく冷たい。


 そして、それが合図だとばかりに、ツノが生えた狼のような魔獣に囲まれた。


「どーする? ボクがやる?」

「……」


 殺したいという欲求と、死ねないことへの苛立ちが募る。


 少し倒せばこれはマシになるだろうか。


 魔人に答えずに、勇者は先程貰った剣を腰につけ、手を当てる。


 抜刀。


 稲妻が辺り一面を薙ぎ払う。


 勇者の属性は光、もとい雷だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る