とある博士のエコ・レイジー理論

花野井あす

モノグサ博士とホームズ助手


「不老不死にと思うのだが、どうだねホームズくん」


 いつも以上に突拍子のない博士の提案に、もはや声も出ない。

 

 ちなみにホームズくん、は僕のことである。

 助手と言えばワトソンくんだろうという反論もあるだろうが、大変申し訳無い。その意見を受け付けたいのはやまやまなのだが、僕も好きでかの有名な英国探偵の名で呼ばれているわけではない。ある時うっかり、「ほおお。……ムズっ!」と叫んでしまったのが運の尽きだったのである。つまり自然発生的ジョークから生じた不本意なニックネームである。

 そんな一時いっときでニックネームが決まってたまるかと顔をしかめる方もいらっしゃるだろう。だが事実、あるのである。人間、ノリがエベレストを突き抜けるくらい勢いづけば、ブラジルでチュチュ着て藤娘が舞えるものなのである。

 

 ついでに伝えておくが、僕は純日本製だ。

 原始時代まで遡っても本当に日本人の血しか混ざっていないのかと詰め寄られればさすがに頷けないが、直近の家系図を見る限り純和製である。

 では田中や鈴木なのかと問われれば、重ねて申し訳ない。左衛門三郎さえもんさぶろうである。フルネームは左衛門三郎さえもんさぶろう狂死郎きょうしろうだ。サブローだかシローだか分かりづらい名だが、左衛門三郎さえもんさぶろうが姓で、狂死郎きょうしろうが名である。誰もが想像した通り、書き間違えたでは済まされない巫山戯た名はたいそう市役所職員を困らせ、数時間に渡る血を血で洗う戦いのすえ授けられたそうだ。

 

 話がそれにそれたが、とにかくこんなダチョウの脳ミソみたいなちっぽけで些細な事情は問題ではない。最大の問題はトチ狂った発言をするこの博士だ。

 

 僕が助手をつとめるあの博士は、たいへんなモノグサである。

 どれくらいモノグサかと言えば、便所虫と友好関係を築くとき時以外ピクリとも動かないミユビナマケモノが働き者に見えるくらいのモノグサである。

 

 なんでもかんでも、面倒くさい。

 

 起き上がるのも立ち上がるのも、歩いて立ち止まるのも、面倒くさい。喋るのも書くのも面倒くさい。食うのも飲むのも面倒くさい。ただし便意をもよおした場合のみその重い腰をあげ、トイレの花子さんとご対面する。鼻の曲がる臭気との対決に労するエネルギーと天秤に掛けた結果だそうだ。

 その用を足す時以外動くことのない博士だが、面倒くさいを解消するために研究室を寝床と講義室にするだけでなく、(一時的に脳のエネルギーを消費して)宅配に注文するところから受け取りところまで全自動で行うシステムを開発してしまった。

 おかげさまで学生たちはベルトコンベアーを跨いで入室するという実にエネルギー消費の激しい行動を強いられるわけである。それはもう学生たちからは不満の嵐で、僕は代弁者となるべく、

 

「教授、たまには動かないと身体に悪いですよ」


 と京都人もびっくりな遠回し技法で注意した。

 するとどうだ。聞く労力と無視して付きまとわられる労力を天秤にかけた結果、後者のほうがエネルギー消費の激しそうだと判断した博士はトンデモ屁理屈でもって僕を黙らせたのである。

 

「確かに身体にはよろしくないのかもしれない。だが省エネであるのとは即ち、エコだ。エコなのだよ、ホームズくん。つまりは地球に優しいということだ。きっと私ほど地球に優しい男はおるまい」


 論理が飛躍しすぎている。頭がいいんだか悪いんだかわからなくなる。だがこのエコ・レイジー理論にかこけて博士はけっして生活を改めたりはしない。どころかどんどんモノグサが進行していくだけである。

 そう。

 最たるが冒頭の言葉だ。

 しめるのも億劫で放置しすぎたネジがとうとうぶっ飛んで亜空間へワープしてしまったに違いない。不老不死にだと。なれるもんならなってみろ!……とはさすがに言えるはずもなく僕は顔をひきつらせるというなんとも無難な反応をする。これぞ社会に揉まれた大人の対応だ。 

 

「教授、落ち着いてください」

 

 僕は本音がうっかり漏れ出ないように喉の奥と気を引き締めて、いっぽうで聞き取れなかったなどという言い訳を封じるためはっきりかつゆっくりと言う。


「不老不死はいまだ誰も実現していません」

 

 だが博士と言えばどうだ。


「ないなら、なれるようにすればいい」


 頭の良い人間は発言の次元が違う。ソユーズ計画でだれがどんな苦労をしたのか、のような歴史についての講義が素粒子物理学のヒッグス粒子だかニュートリノだかについての討論会にすり替わったくらい、頭と心が追いつかない次元だ。

 

「いや、米を噛むのが面倒くさいからと医者になるよりも難しい話ですよ、教授」

 

 何を隠そう、今やウー◯ーイーツは佐◯急便に変わり、ベルトコンベアーが運ぶのは牛丼から静脈注射用の点滴キットである。

 頭の良すぎる男の思い立ったが吉日は凡人と様子が違う。ちょっとエネルギー消費してくるわと言って医学部を卒業し、研修医課程も最速でクリアした上で医師免許を獲得してくるのだから。世の医大受験生が聞いたら出刃包丁をぎっとり研いで訪問しそうだ。ここが米国ならばデザートイーグル.50AEの弾丸をち込んできたであろう。この日ほど銃器が違法の国に生まれて良かったと思ったことはない。

 

「君こそ落ち着きたまえ、ホームズくん」

 

 ずっと冷静ですよ、とはあえて言わず僕は押し黙る。

 

「いいかね、ホームズくん。急に何かをなそうとするから不可能のように思うのだよ。順を立てて着実に積み上げれば、一見不可能のことも可能となるものなのだよ」


 知ってるよそれくらい。喉仏のあたりまで出かかり、それでも僕は堪える。よけいなエネルギーを使わせると、博士は全エネルギーをもって論破しようとしてくるからだ。省エネ信者が一気に浪費愛好家に変貌するのだ。だが――僕だって物申したい時はある。

 

「ですが教授。不老不死はもはや錬金術の領域ですよ。神さまがアダムとイブをつくった辺りからやり直さないと出来ないような……」

「神を持ち出すとは学問の徒として恥ずかしくはないのかね、ホームズくん」

 

 不老だの不死だの言っているあんたが言うか。

 もう我慢の限界で脳血管を破って噴水が作れそうである。いっそ僕も猛勉強してスーパー外科医になったほうが良いかもしれない。そうすればニックネームはホームズくんからドクター大門だいもんになるかもしれない。いや、僕は男で「いたします」けどね。だがしかし、僕にはそれだけの能力と根気がないのも事実。顎が砕けるくらい唇を噛み締め、僕は言葉を飲み込みに飲み込んだ。ここは大人にならねば、それこそ面倒くさくなる。(ああ……僕も博士に毒されてしまっている。)

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