③舞台は10年以上前の設定です。

 那須田がパソコンにかじりついて、ワードを開こうとしていると、扉が開いた。

「遅くなってゴメンナサイね」

 学務のオバチャンが懐中電灯をテーブルに置いた。

「近くの変電所で工事の事故が起きたみたいなの。ここの部屋だけ鍵が電気由来なの忘れてたわ。でもさっき、学内の非常電源を充てたから」

「いえ⋯助けていただいたし」

「あら。内線。切れてるわね、これ」

「イタズラっぽいですよね…綺麗に切れてて…」

 俺とオバチャンの話し声に、那須田の絶叫が被さった。

「うぉーーーーーー!!! 何これ?! 残ってるううう!!」

「あ、ワード? 今回のアップデートで、定期的にバックアップ取ってくれるようになったみたいよ?」

「最高ですね!」

 エアコンを切り、窓を閉めていくオバチャン。

「大事なデータが残っててよかったねえ」

「です!! マジで感謝ぁ!!」

 学務のオバチャンとニコニコと、ワードの、Windowsの素晴らしさを語りあう那須田。

なんだ? 熟女専か?

「⋯⋯今日はもう遅いから。USBにデータ移したら帰りなよ。電車はさっき動き出したらしいから、混んでるだけど、乗れると思うよ」

 そう言って、別の部屋の施錠をしてくると言い残して退室していくオバチャン。

 ルンルンでUSBにデータを移す那須田。

「⋯⋯残ってて良かったな?」

「なー? Windows、流石だわあ」

「⋯⋯俺の、エクセルスキル⋯」

「勉強だ。しなおそうぜ?」

 荷物をまとめると、俺の肩を叩いて戸締りと消灯していく那須田。

「たぶんな? ゼロからよりずっと覚えるの早いはずだから。努力ってそういうもんだよ。無駄になったこと、俺は一回も無いもん」

「えええー? それはお前が要領良いからで」

 通路へ出ると、学務のオバチャンとすれ違う。

 挨拶をしてエレベーターのボタンを押そうとしたら、那須田が止めた。

「まーた、電気止まったら嫌じゃねえ? なんなら電車じゃなくて、歩いて帰ったほうが安全かも」

「⋯⋯エレベーターはそうだけど、電車まで疑う?」

「や、電波が死んでる以上⋯ってまだ死んでんな⋯」

 階段を降りながら、途中トイレへ向かうことにした俺たち。 

 手を洗った後、俺は街灯が殆ど消えた道を歩くために、スマホのライトを使おうと取り出した。

「ん?⋯⋯電波、俺のは生きてるんだけど?」

「え」

 那須田が電波塔とか言ってたから、俺は自分のを見ていなかったが⋯もしかして最初から生きてたのか?

「え、じゃあ⋯あ、わかった⋯俺だけか⋯」

 そう言うと、那須田はそのまんま黙ってしまった。

「なに? どうした?」

「やー⋯あの。ええと」

「料金払うの、忘れてた?」

「⋯⋯そう。入学準備で沢山使ったからって⋯母さん後回しにしてたっぽい」

「あー⋯」

(そもそも、引き落としじゃないのか⋯?)

 俺の心を読んだのか、那須田がため息混じりにボヤく。

「いや、固定費はクレカ払いの引き落としのハズなんだけど⋯なんでだろう⋯え、じゃあもしかして、水道とかも⋯」

 ピタと立ち止まり、青ざめる那須田。

「え、ガスとか⋯だよな? 最初に止まるのって、確か」

 スマホの引き落とし口座に残高がない、ということは光熱費の引き落としも滞っている、ということだろうか?

「ごめん知らん。え、残高とか見れんの?」

「母さんしか⋯どうしよう⋯俺、大学デビューだって浮かれてて…バイト、あんま入れなかったせいだ⋯」

 みるみる血の気を失っていく那須田に、俺は財布を出した。

「えと⋯5000円しか出せないけど⋯」

「い、いらねえよ」

「でもスマホ止まったら何も⋯出来ないじゃん」

「死なない! 大丈夫!」

「大丈夫じゃねーだろ。講義場所変更の情報とかも、コレなのに」

「店のWi-Fi使うし」

「⋯⋯それがお前の『努力』なのか?」

 差し出した5000円をそのままに、俺は聞いた。

「講義場所変更の情報も、ゼミのLINEも見逃して、それでお前は目指してる大手IT企業に入れるのかよ?」

「バイト⋯沢山入れるから⋯来月には復活するだろうし」

「最初は慣れてないから、手さぐりしながらだろうが?! そんな中で情報手段をほぼ持ってかれるなんて、ハンデでしかないだろ?」

「⋯⋯だからって、友達から⋯」

「借りるのだって努力だ。プライドを説き伏せる努力、しろよ」

 那須田の潤んだ瞳が俺を見た。

 やがてギュッと唇を噛むと、5000円を受け取る。

「⋯⋯恩に着る。必ず、返す」

 那須田の財布に、四つ折りにして入れられた   5000円札を見送った。


***


 俺はふっとため息を着くと、

「じゃあ……。お母さんにも、ちゃんと頼ってもらえよ?」

 と軽口を叩いた。

 俯くと唇を尖らせる那須田。

「ヤダ⋯ずっと母さんの子供で、いたい。から⋯」

 財布を大事そうに鞄へ仕舞う。

「あー? 熟女専の由来はそこから?」

 後ろを歩いていた那須田を振り返った。

 奴は口をパクパクさせる。

「熟女専とか!

 イキナリ変なキャラつけてくんじゃねーよ!!」

 肩を殴ろうと手を振りかざす。

 俺はその手を避けると、那須田を通り過ぎ、ギューーーンと走り出した。

「違うのかよ?! マッザコーーーン!」

「おま⋯3発ぐらい殴らせろ!!」

 公園を抜けると、駅の改札がある。

 でも俺は改札へ向かわずに、歩いて帰る道の方へ曲がった。


 まだまだコイツと、道すがら、沢山話すことがある気がしたから。




おしまい。

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窓ー突然パソコンが消えた時の焦りを君は覚えているか?ー 花雲ユラ @hanagumo_yura

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