第31話 一滴の誕生──水が形を持った瞬間


練習を終えたあと、

アキトは一度宿へ戻ろうとした。


……が、足が止まった。


(……ここで終わったらもったいないよな)


霧は出た。

冷たい震えも強まっている。


あと一歩。

その感覚がずっと胸に残っていた。


アキトは空き地へ引き返し、

魔導書をもう一度開いた。


――水は「ひとつの形」を強く思い描かない限り、まとまらない。


――最初は“濃い一滴”を作ることが最善。


(……よし。

本当に“一滴”だけを考える)


余計なイメージは全部切る。


流れない。

広がらない。

跳ねない。

揺れない。


ただ、

葉から落ちる“ひとつの雫”。


透明で、丸く、

ゆっくり重さを持って落ちる一滴だけ。


アキトは手のひらを上に向けた。


魔力が、

今までよりはっきりと集まりはじめる。


冷たさではなく、

“冷たさの芯”が手のひらに宿る。


「水……流れ……落ち、集え……」


呼吸を整え、

技名を重ねる。


「《ウォーターボルト》!」


──飛ばない。


けれど。


「……っ……!」


手のひらの中央に、

しっかりとした“重み”が生まれた。


白い霧ではない。


丸く、

透明な、

小さな粒が──


ゆっくりと浮かんでいた。


夕方の光を反射し、

ほのかに青く見える。


(……できた……!

形になった……!)


震えるくらい嬉しかった。


雫はふるりと揺れて、


ぽとん。


静かに地面へ落ちた。


乾いた土の上に、

小さな濡れ跡が広がる。


その跡を見つめながら、

アキトは息を吐いた。


「……一滴……成功した」


たったそれだけ。

武器にもならない。

攻撃にもならない。

魔術としても認識されていない。


でも──確かな進歩だった。


(霧じゃない。

ちゃんと“水”になった……!)


アキトは手のひらを握りしめ、

静かに笑った。


「……よし。今日はここまでだな」


満足した気持ちのまま、

彼は空の色が濃くなる街へ歩いて戻った。


水の扉は、

確かに開き始めていた。

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