第40話 それはぶどうを巡る戦い

【Sideサフィラ・ハーツ】


 正直に言うと私は慢心していた。

 勝てると思っていた。

 今までどんな賊が襲ってきても返り討ちにしていたから。

 学園でも誰にも負けなかったから。


 だからどこかで信じ込んでいた。

 私は強いんだって。襲われても自分の力で切り抜けられるんだって。そう慢心していた。

 

 最初はいつも通りだった。

 十人、二十人。どれだけ襲いかかってきても、相手にならなかった。

 でもそいつだけは違った。


「これで終わりですか?」


 マスカレード。

 この男の存在は異質だった。

 私の剣はこいつに一度も触れられなかったのだ。

 どんな角度から斬りかかっても掠りもしない。あらゆる攻撃を見切り、紙一重で避けていく。


 当たらない。当たらない。当たらない。当たらない。

 しかもあいつはまだ剣を抜いてさえいなかった。


 ――完全に舐められている。


 私を侮っていることはもちろん、ギリギリで避ける戦いを楽しんでいるようにも見えた。


「公爵令嬢を舐めないでくれる?」


 それでも私は立ち向かった。

 何度も何度も剣を振るい、周りの雑魚を倒しながらも、攻撃を届かせようと手を伸ばす。


「それが全力ですか?」


「はぁ……はぁ……まだ」


 でも途中から分かっていた。


 ――勝てないと。


 力量の差は歴然としていた。格が違いすぎる。私の剣は決してあいつには届かないだろう。


 多分これは努力で埋められるような差じゃない。頑張ってもどうにもならない。


 ――私はいずれ負ける。


「……アスクくん」


 私が負けたら、一体彼はどうなるのだろう?

 そこだけが気がかりで、想像するだけで胸が苦しかった。


 私はおそらく殺されない。

 ラヴァンダの言い方からして、殺すのではなく利用するつもりなのだろう。公爵令嬢には人質としての価値があるから。

 だから命を取られる可能性は低いだろう。


 ――でもアスクくんは?


 彼を生かす理由なんて敵にはないはずだ。

 つまりこのままだと殺される。私が眠らせたせいで、状況も知らないまま殺されるんだ。


 そんな未来だけは絶対に嫌だった。


「……おや? どうしましたか?」


 そして気がついたら手から剣が滑り落ちていた。

 カランという硬い音が響き、私はその場に膝をつく。


 それは意思表示だ。

 プライドを捨て、矜持を捨て、公爵令嬢という立場を捨て、ただ一人の人間としての意思表示。


「降参する。だから彼の命だけは取らないで」


 そして私は絞り出すように言葉を吐いた。

 抵抗することを諦めて、勝負から降りて、私はただ懇願するのだ。大切な人の命を守るために。


「降参する」


 再度呟いた後、ふと視線をラヴァンダに向けた。

 彼女はわずかに目を見開いて驚いた後、すぐに黙って頷いた。


「私はもう戦わない。あなたたちの言う通りにする。だからアスクくんだけは……」


 土下座でも何でもするつもりだった。


「お願い」


 声が震えているけど、恐ろしくてたまらないけど、それでも視線だけは逸らさない。

 無言で私を見下ろすマスカレードの瞳を凝視し続けた。


「ふははははっ――」


 すると彼は静かに笑い始めた。それは低く、嗤うような声。


「……これが、公爵令嬢の姿ですか」


「うるさい」


「愛する男のために膝をつくと。人生を差し出すと」


「……………………」


「――滑稽だ」


「それでいいの」


 彼が生きてくれるならそれでいい。

 私の世界はアスクくんを中心に回っている。

 私にとって彼の命こそが全てだった。


「煮るなり焼くなり好きにしなさい!」


「お嬢様!」


 私が全力で叫ぶと、ラヴァンダが駆け寄ってこようと一歩踏み出す。

 しかしその瞬間、


「囲め」


 マスカレードの号令が響く。残っていた賊たちが一斉に私を取り囲んだ。


「……………………」


 もはや抵抗する気力はない。

 武器を手放して、周りを囲まれていて、状況は完全に詰んでいた。


 ――これで終わりだ。


 それでも構わない。構わなかった。


「約束……守ってくれるわよね?」


 ――彼が生きてさえいてくれるのなら。


「……いいでしょう。愛する男の命は保証します。公爵令嬢の覚悟に免じて、彼には自由に行動させてあげましょう」


「よかった……」


 その言葉を聞いて、ほんの少しだけ肩の力が抜けた。

 安堵から思わずバランスを崩しそうになる。


「………………」


 でも同時に寂しさのような、胸の奥にぽっかりと穴が開いたような感覚に襲われた。


 ――本当にこれでよかったのかな。

 

 ――こんな人生で満足なのかな。


 考えてはいけないのに、そんなことを考えてしまって。

 手に入らないものを、手に入れたいと思ってしまって。

 想像しても意味ないのに、彼との幸せを想像してしまう。

 

 やっぱり満足なんてできるはずがなかった。

 だってまだアスクくんとは再会したばかりで、やりたいことはたくさんあるのだ。


 彼と一緒にたくさんご飯を食べたい。

 彼と一緒にたくさんデートをしたい。

 せっかく学園に通ってるんだから放課後デートとか、もっと学生っぽいことをしたい。


 キスだって全然していないし、会話だって全然足りない。

 もっと互いのことを知りたい。たくさん知って、知り尽くして、分かり合いたい。


「…………っ!」


 将来だってそうだ。

 五年後、十年後の未来を想像するだけで様々な欲望が溢れてきた。

 

 将来は彼と結婚したい。

 将来は彼と家庭を築きたい。

 将来は彼との子どもを授かりたい。


 将来は家族で旅行に行くのもいいな。今度は海が見える場所がいい。家族で海を眺めながらゆっくり過ごすんだ。

 誰にも邪魔されず、誰にも命を狙わず、ゆっくり。


 そしていつかは子どもが成人して、夫婦だけの時間ができて。


 将来は素敵な老後を過ごしたい。ぶどう畑の中で慎ましくも穏やかな日々を過ごして。周囲からおしどり夫婦なんて言われちゃったりして。


 最後は彼に看取ってもらって息を引き取りたい。


 それが私の理想とする人生。将来だ。

 そのたくさんの将来を思い浮かべて、私は笑みを溢した。


 ――あーあ、そんな将来が訪れたらいいのになぁ。


「……アスクくん」


 思わずその名前を呼んでしまった。

 切なくなるだけなのに、虚しくなるだけなのに。呼ばずにはいられなかった。


 せめて最後に一度でいいから顔を見たい。

 そんなことを思いつつも、腕を紐で縛り上げられた私はその場に項垂れる。


 そして賊どもに連れて行かれるのを待っていた、その瞬間だった。


「……ぶどうはな、植えてから実がなるまでに三年かかるんだよ。そして収穫できるようになるには五年以上かかる」


 聞き慣れた声が空気を震わせた。

 それは私が愛してやまない声。

 今一番聞きたくて、思わず胸が高鳴ってしまう声。


「なあサフィラ」


 その声に私は顔を上げる。


 するとそこには月明かりを背にこちらへと近づいてくるアスクくんの姿があった。


 彼は、私の愛する人は、真っ直ぐ私の瞳を見据えると、こう問いかけてきたのであった。



 





「――ぶどうは好きか?」

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