第36話 公爵令嬢と風呂に入った

 屋敷に戻ると、食事の前に汗を流すことになった。大浴場があるらしく、そこでゆっくりと疲れを癒せるらしい。

 かなり疲労が溜まっていたため、個人的には非常に有り難かった。


 しかしそこで問題が生じた。大浴場は男湯と女湯の区別がないのだ。


「は、恥ずかしいよ」


 つまるところ、サフィラと一緒に入ることになってしまったのだ。


 いや、正確にはなってしまったのではない。サフィラがゴリ押してきたのだ。


 もちろん俺は彼女に譲って、先に入ってもらうつもりだった。しかし彼女がこう言い張るのだ。


「私はアスクくんの護衛だよ? お風呂に入ってる時も守らないと」


 確かに護衛という意味では間違ってはいないのだろうが、


「学生寮では普通に俺一人で入ってるよな? そう言う意味では同じだろ」


「あそこは虫が飛んでるから入れないの」


「虫って誰?」


「ルクソール」


「あぁ……」


 よくあいつと一緒に風呂に入ってるからな。


 向こうは露骨に嫌そうな顔をしているが、なんだかんだで俺のぶどうトークを聞いてくれている。聞き上手というのも主人公の特性なのだろう。


 そんなわけで笑顔を浮かべるサフィラとともに脱衣所まで来てしまったわけである。


 彼女は恥ずかしそうに顔を赤らめながらも、チラチラとこちらに視線を送ってくる。

 気まずいなんてレベルじゃなかった。


「やっぱり別々の方がいいんじゃ」


「先に行ってて。私は後から行くから」


「でも……」


「じゃないとずっとこのままだよ!そんなに私の裸が見たいの?」


 そう言われたら留まることなどできるはずもない。

 俺は急いで服を脱ぐと、タオルで大切な部分を隠しながら大浴場へ。


「うっっっ……」


 その途中で背後から唸るような声が聞こえたが、必死に聞こえないふりをする。


 どうしてこうなってしまったのだろうか。


 そんなことを考えつつもシャワーを流す。

 ごしごしと頭を洗い、シャンプーの香りが立ち込めたところで、ガラッと背後の扉が開く音が聞こえてきた。


 サフィラが入ってきたのだろう。


 気配は感じたが、視線をそちらに向けることはできない。

 シャンプーで目元が覆われていることもあり、音のする方には一切視線を向けず、俺はただ頭をこすり続けることだけを考える。


 ――無心だ。そう、無心になるんだ。


 すると隣のシャワーから水が流れる音が響く。

 ちょうど頭を流し終えたので、もし隣を向けば彼女の肢体を拝むことができるだろう。


「っっ……」


 そんな状況に平静を保てるはずがなかった。

 心臓が激しく鼓動し、身体中の血液が活性化しているように感じる。


 そんな状態でシャワーの音を聞き続けるなんて拷問以外の何者でもない。


 俺は目を閉じたままさっと体を洗い流すと、視線を逆方向に切りながら浴槽の方へと向かった。


「ふぅ……」


 頭の上にタオルを置いてお湯に浸かると、全身がポカポカとしてきて、自然とぶどうのことが頭に浮かぶ。


 目を閉じていても容易にぶどう畑の光景が想像できた。

 今日はたくさんのぶどうたちと出会ったからな。


 ピノノワール、カベルネソーヴィニヨン、カベルネフラン、メルロー、シャルドネ、ゾーヴィニオンブラン。


 一日でこんなに拝めていいのかと思うほどである。贅沢すぎる。

 しかし拝むという意味では、別のものを拝むことにもなりそうで、


「アスクくん、こっち見てる?」


「見てないよ」


「本当に見てない?」


「ああ。目を閉じてるから」


 シャワーが止まり、それと同時にサフィラの声が響いてきた。目を閉じているので正確には分からないが、おそらく体を洗い終えたのだろう。


 パタパタと足音が近づいてくる。

 そして次の瞬間、水面が揺れた。


「本当は覗いてたりしない?」


「ガッチリ目を閉じてるよ」


 声がさらに近くなる。目を開けたら視界の全てがサフィラで埋め尽くされることだろう。

 改めて目をギュッと閉じていると、


「サフィラ⁉︎」


 突然、左腕に何かが当てられた感触があった。


 おそらくいつも通り抱きついてきたのだろう。

 しかしお互いに素肌で接しているということもあり、さらさらな肌の感触がダイレクトで伝わってくる。


 これはあまりにも刺激的だった。


「ピノノワール、カベルネソーヴィニヨン、カベルネフラン、メルロー、シャルドネ、ゾーヴィニオンブラン……」


「アスクくん⁉︎」


 刺激的過ぎて思わずぶどう品種を口にしてしまった。


 ぶどうだ、そうだぶどうだ。ぶどうでしかないのだ。ぶどうとしか言いようがない。


「もしかしてのぼせちゃった?」


 ――ぶどう⁉︎


 心配されているのか、彼女の声が耳元で聞こえる。と同時に、ぐいっと腕を引っ張ってきて、その拍子でさらに何かが押し当てられる。


「ぶどうだ!」


「大丈夫?」


「大丈夫なわけあるか!」


 限界を迎えた俺は思いっきり立ち上がる。

 そして天井を見上げながら、全速力で駆け出した。


「アスクくん、タオル忘れてるよ?」


 しかし勢いが強すぎたからか、頭の上のタオルが落ちてしまう。俺は大慌て振り返って、手を伸ばした。


「っ――⁉︎」


 その瞬間、彼女の姿が目に入る。

 金色の髪を濡らし、真っ白な肌からはポタポタと水滴を垂らしている。そして胸元には大きな果実が実っていて、


「ぶどうだ!」


「アスクくん⁉︎」


「人間は全員ぶどうだ!」


 頭が混乱してどうしようもなくなった俺は叫ぶ。

 そしてタオルすら回収せずに風呂場から出た。


「ぶどうだ。ぶどうなんだ。ぶどう以外の何者でもないんだ。ぶどうだ。ぶどうってなんだ? ぶどうとぶどうは何が違うんだ? ぶどうは……ぶどうなのか?」


 ぶつぶつと呟きつつもタオルで体を拭くと、大急ぎで着替える。

 その間も俺はひたすら無心になってぶどうのことを考え続けた。





「俺は……ぶどうだ」

 

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