第35話 ぶどうぶどうぶどうぶどうぶどう

 ――マスカレード。


 こいつはラヴァンダが属する暗殺組織の幹部だ。


 そんな人間が堂々と目の前に立っている。あまりに突然の遭遇に思わず開いた口が塞がらなかった。


 しかし動揺を悟られてはいけない。

 今ここにはラヴァンダもいる。周りの護衛だって、おそらく組織の人間だろう。

 疑われないように冷静でいる必要があった。


「……………………」


 自然体を装いつつも、改めて視線を向ける。

 見た目はどうみても執事だ。でもあの佇まいは執事のそれじゃない。


 微妙を浮かべているが、まったく隙がなく、一瞬でも目を離したらやられてしまいそうな雰囲気があった。


 そしてこいつはカランと名乗り、農園の統括者を自称している。

 そんなはずはなかった。


 ラヴァンダが「合流する」と言った時点で、この農園を普段から管理しているとは思えない。

 だから統括者だというのは間違いなく嘘だ。


 しかしサフィラはその事実を知らないらしい。


 興味なさげに視線を逸らすと、スッと俺の手を掴んだ。そして満面の笑みを浮かべる。


「さあ、部屋に案内するね」


「ああ」


 俺は最後にマスカレードを一瞥すると、平静を装いながらも中へ入った。


 豪邸と呼ぶに相応しい雄大な廊下を歩きながらも問いかける。


「サフィラはここに来たことあるの?」


「最初だけかな。屋敷はもともとあったから少し改装しただけだし、ぶどうの栽培は農家の人に任せてるから」


「なるほど」


 だからマスカレードの存在にも違和感を抱かなかったのか。


「ちなみにこの屋敷にはどれくらいの人がいるの?」


「うーん、どうだろう。最近は後継者の育成にも力を入れているから、結構人が出入りすると思うけど……。でも大丈夫。ちゃんと私たちの部屋は用意してるから!」


「私たちの?」


 別に部屋の心配をしたわけではないのだが、一週間も滞在する以上、重要であることは間違いない。


「ここだよ。ここが私たちの部屋」


「私たちの?」


 案内された部屋は予想の三倍は豪華だった。


 まず広い。俺たちが普段住んでいる寮の五倍はあるだろうという広さだ。

 内装は煌びやかで、まるでお姫様が住んでいるような小物やソファーが並んでいる。


 そして中央には大きなダブルベッド。

 そこには枕が二つ用意されていて、明らかに二人で寝ることを想定されていた。


「あれ? ベッドが一つしかない?」


「来て、こっち」


 そんな疑問を浮かべていると、サフィラにぐいぐいと引っ張られてテラスに出る。


「ぶどう!」


 目の前に広がるのは一面のぶどう畑だ。


 相変わらずぶどうがぶどうしていて、ぶどうがぶどうしていた。

 葉の隙間からは陽光が零れ、宝石のようにキラキラと輝いている。いや、宝石そのものだった。


 鳥肌が立ち、あまりの感動に涙を流してしまうほど美しい。


「……ここで一週間か」


「どう? ワクワクしてきたでしょ?」


「最高だよ」


 本当に最高だった。


 統括者が暗殺組織の幹部でなければ、護衛が全員組織の犬でなければ、専属メイドが裏切り者でなければ、本当に最高の休日だったと思う。

 まさに地上の楽園だ。


「よし、全滅させるか!」


 そうだ、それがいい。俺の理想的なぶどうライフを邪魔する奴なんて、しばいた方がいいに決まっている。


「アスクくん⁉︎ どこ行くの?」


「人類を滅ぼしてくるんだよ」


「アスクくんが言ったら冗談に聞こえないよ」


 部屋から飛び出そうとした俺を必死に引き止めてくるサフィラ。


「確かにアスクくん以外の人間なんてゴミ同然だけど、滅ぼすのはダメだよ」


「ぶどうのためでも?」


「ぶどうのためでもだよ!」


 そうか。それなら仕方がないか。


「とにかく、荷物を下ろしたら近所を散策しよう。近くでぶどう見たいでしょ?」


「ぶどう!」


 そうだ、ぶどうだ。


 まずはぶどうを見て一旦落ち着こう。

 人類を滅ぼすのはぶどうを眺めた後からでもいい。

 そう決めた俺たちは再び外へ向かった。




 気を取り直して、近くのぶどう畑を見学することにした。


 屋敷の正面にある坂を下りていくと、ぶどうの葉が視界いっぱいに広がった。


「こちらはメルローでございます」


 作業をしてきた農家の男性がサフィラの存在に気づくと、丁寧に挨拶してくれた。

 こちらも軽く会釈すると、ぶどう品種を説明してくれる。


「このあたりは比較的冷涼な気候ゆえ、ピノノワールの栽培が主流ですが、サフィラ様はこの土地で多様なワインを造り、一種のブランド化を目指しておられます。そのためメルローやシラーなど、異なる品種の栽培にも挑戦しているのです」


「なるほど、さすがサフィラだな」


「えへへ、そんなに褒められると照れるよ」


 最近彼女に対する評価がぐんぐんと上がっている。


 異なる品種を育てるなんて口で言うのは簡単だが、そんなに容易いことじゃないからな。

 ぶどうにかける情熱が尋常じゃないことが伝わってくる。


「白ぶどうはどうですか?」


「白でしたらシャルドネやソーヴィニヨンブランもございます」


「そんなに種類が?」


「ええ。私一人では到底無理でしたが、周囲の農家の皆様と協力して栽培しております」


 それはすごいな。


「まさにこの農園ならではって感じですね」


「すべてはサフィラ様のお導きの賜物です」


 にこりと微笑むおじいさん。

 彼の言葉はお世辞ではなく、心からの感謝に聞こえた。


 サフィラは農園を買収して権利を得ただけでなく、元々の職人たちを尊重して栽培を任せている。


 だからこそそれぞれの知識や経験が融合し、理想的な形でぶどうが育っているのだ。


「これを全国に拡大できたら、国土すべてがぶどう畑になるんだけどな」


 そうなれば最高なのだが、現実的には厳しいだろう。


 彼女は国王でも王女でもなく、公爵令嬢に過ぎないのだから。できるとしても公爵領をぶどう畑で埋め尽くすことくらい。


「やっぱり人類を滅ぼした方が……」


「アスクくん?」


 それから俺たちは別の畑にも足を運び、様々な農家と話をした。

 それぞれ栽培方法が違うようで、ぶどうの手入れも多種多様だった。


 同じ果物でも作る人間によって全く別物になる。そんなぶどうの奥深さに改めて俺は夢中になっていた。


「もうここに永住しようかな」


 そう思い始めてきたタイミングで、


「そろそろ戻ろっか」


 サフィラが笑顔で提案してきた。ふと空を見上げると、茜色に染まっていて、想像以上に長い時間をぶどう畑で過ごしていたことに気づく。


 そういえば食事すら取ってないな。


 ぶどうを試食させてもらったので腹は減っていないし、水分も足りているが、歩きっぱなしだったため流石にここで休息を取りたい。

 いつ襲われるか分からないし。


「一旦戻るか」


「一旦?」


「一旦」


 サフィラは微妙そうに苦笑を浮かべていたが、すぐに俺の手を取ると駆け出した。

 俺たちはヘトヘトになりながらも、満足した気分で屋敷へと戻った。


 まあ一つだけ心残りがあるとすれば、

 

 ――国土の全てをぶどう畑にできたらなぁ。


 そんな理想が叶えられないことである。

 

 

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