第27話 寝込みを襲われた

「アスクくん、ただいま」


「おやすみ」


「アスクくん⁉︎」


 同居生活一日目の夜。


 普段早寝早起きを心がけている俺はサフィラが帰ってくる前から布団に入り、ちょうど彼女が扉を開けたタイミングで目を閉じた。


 もうすでに限界なのだ。


 そもそも同居の許可は一切出していないし、仮に一緒に暮らすにしろこの部屋にはシングルベッドが一つしかない。


 二人で寝ることなど現実的ではないのだ。


 だからもう寝ることにした。

 おやすみなさいおやすみなさいおやすみなさいおやすみなさいおやすみなさいおやすみなさいおやすみなさいおやすみなさいおやすみなさいおやすみなさい……


「もしかして誘ってるの?」


「おはよう」


 目が覚めた。


 ついさっきまで瞼が落ちそうだったのに、サフィラの一言を聞いた瞬間に貞操の危機を感じて眠気が吹き飛んだのだ。


「せっかくの初めての夜だもんね」


 次の瞬間、ベッドが軋むような重みが加わった。

 目を開けるとサフィラが腰を下ろしていて、ゆっくりと這うように体を近づけてくる。


 ――まずい。


 距離が近い。いや、近すぎる。


 このままだと唇を奪われそうな気がしたので、咄嗟に寝返りを打とうと試みる。

 しかしその瞬間、手を押さえられて動けなくってしまった。


 彼女は四つん這いの姿勢で俺を囲い込み、完全に逃げ道を塞いでいるのだ。


「遠慮しなくていいよ。これからずっと一緒に生活していくんだもん」


「ずっとにしては、この部屋ちょっと狭すぎないか?」


「大丈夫。必ず乗っ取るから」


「何を⁉︎」


 思わず叫んだが、サフィラは動じない。

 むしろ静かに微笑みながら俺の胸元へ顔を埋めてきた。


「っ――」


 俺の胸に彼女の吐息がかかる。


 彼女の胸の柔らかな感触が伝わってきて、心臓の鼓動が速くなった。頭が沸騰してどうにかなってしまいそうだ。


「私ね、誰かにこうやって甘えたことがないの。生まれてから一度もない」


「……そ、そうか」


「だからアスクくんだけなの。身を預けられるのは、あなただけ」


 表情を覗くことはできないけど、その声には冗談の気配がなかった。おそらく本気だ。心の底からの言葉。


 しばらく何も言えないでいると……、


「あ、ごめんね。アスクくんも甘えたいよね」


 顔を上げたサフィラが少し照れたように微笑んだ。


「ッ――⁉︎」 


 そして俺の頭に手を伸ばし、そっと撫でてきた。


「たくさん甘えていいよ。その代わり、もっともっと甘えるけどね」


 えへへ、と笑う彼女の顔にはいつもよりも朗らかだった。


 穏やかで、優しくて、幼なげで。

 外で貼り付けている仮面を剥がした後のような表情だった。


「……………………」


 その手が再び髪を撫でる。ゆっくり、ゆっくりと撫でる。


 心地よい温もりに、だんだんと瞼が重くなっていく。


 包まれるような、安心するような感覚に襲われて、気がついたら寝落ちしそうになっていた。


「いいよ。ゆっくり、目を閉じて」


 彼女は耳元で甘く囁く。

 本当は抵抗しなきゃいけないのに。

 公爵令嬢と同じベッドで眠るなんて、絶対に許されないはずなのに。


 もうどうでもよくなっていた。

 今だけは己の欲望に抗いたくない。


 サフィラに頭を撫でられたまま眠りにつきたいのだ。

 ただその感情だけが脳を支配し――、


 そして俺の意識はゆっくりと沈んでいった。



 ――翌朝。


 ちゅんちゅんと小鳥の囀りが響く中、俺は目を覚ました。


「うわっ⁉︎」


 目を開けた瞬間、視界いっぱいにサフィラの顔があり、思わずのけ反ってしまう。しかし思うようには動けなかった。


 なぜなら彼女はまるで抱き枕でも掴むように、がっちりと俺をホールドして眠っていたから。


「力強すぎでしょ」


 魔力でも込めてるんじゃないかと思うほど力が強かった。


 ――というかその体勢で寝るの大変じゃないか?


 そう思いながらも、俺は身体を捻って脱出する。

 そしてサフィラの寝顔をそっと覗いた。

 穏やかで、柔らかくて、まるで普通の女の子のようだった。


 それは公爵令嬢だとか、悪役だとか、そんな言葉が似合わないほど無防備で。


「……アスクくん」


 しばらく見つめていると、彼女が枕を抱きしめ始めた。何かを抱いていないと落ち着かないのかもしれない。


 俺も子どもの頃はそうだったので気持ちは分かる。


「……仕方ないな」


 自分でもなぜそうしたのか分からない。

 でも気づいたらベッドに戻っていて、彼女の頭に手を伸ばしていた。


「………………」


 そしてそっと撫でる。


 ゆっくり、ゆっくりと。起こさないように頭を撫でる。


 するとサフィラはむにゃむにゃと寝言を呟きながらも、今度は俺の腰に腕を回してしがみついてきた。


「……勘弁してくれよ」


 完全に動けなくなりつつも、ため息をつきながら窓の方に視線を向ける。


 外では既に朝日が昇り始めているようで、カーテンの隙間から明るい光が差していた。


「…………………………」


 正直、こんな生活を続けるのかと思うと億劫になる。しんどいなんてレベルじゃない。


 ――でも一日くらいなら。


 案外悪くないなと思った。

 ぶどうだけじゃなく、たまにはこうして彼女の寝顔を眺めるのも悪くない。


 そう考えてしまうのは、俺の中でサフィラの存在が無視できないものになっているからだろう。


 まあぶどう第一主義に変わりはないけどな。

 ぶどう信仰はたとえ公爵令嬢でも崩せない。


 

 

【Sideサフィラ・ハーツ】


 ――アスクくんに頭を撫でられてる⁉︎


 翌朝。アスクくんが目を覚ましたタイミングで自然と私も目が覚めた。


 彼は驚いた様子で咄嗟に身体をのけ反った。

 だから思いっきり抱きついていたんだけど、身体を捻って上手く抜けられてしまった。


 ――アスクくんのバカ。


 でも私は諦めなかった。寝たふりをしながらも、もう一度抱きつこうと手を伸ばす。


 すると間違えて枕を抱いてしまった。残念。

 内心落胆していると、


「……仕方ないな」


 アスクくんの呆れたような声が聞こえて、次の瞬間、私の頭に彼の手が乗った。


 ――んっっっっ⁉︎


 思わず声が出そうになる。まさか彼が私の頭を撫でてくれるとは思わなかったから。突然のことでびっくりして、ドキドキが止まらない。


 でも私は寝たふりを貫き通した。

 もし起きているって気づかれたら、撫でてくれなくなるかもしれないから。


「……………………」


 アスクくんの手は少し硬い。きっと幼い頃からたくさん素振りをして、豆ができたからだろう。努力の結晶だ。


 でもその手が優しく髪を撫でてくれるたびに、心の奥が温かくなった。

 満たされていくような、そんな感覚に襲われて。


 ――あぁ、最高に幸せ。


 叶うならこのままずっと撫でられていたい。


 家を出る時間まで、ううん、やっぱり一日中撫でられていたい。


 もう我慢できなかった。

 だから私は寝返りを打つふりをして、そっとアスクくんに抱きついた。


「っ――!」


 その瞬間、彼の体温が伝わってくる。彼の匂いに包まれて、胸の中が満たされていった。


 ――もっと、もっとだ。


 私は欲張りだからもっとたくさんのアスクくんが欲しかった。

 全然足りないから。足りない。足りない。足りない。


 ――ああ、ずっとこんな時間が続けばいいのに。



 公爵家のことなんて本当はどうでもよかった。

 権力も、名誉も、立場も、必要ない。


 もし願いが叶うのなら――、

 

 ――アスクくんと二人で逃避行したい。

 

 誰にも邪魔されない世界で静かに生きていきたい。

 それが私の想像する幸せの形だ。

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