第2話 破滅フラグを回避するために前倒しでヒロインを監禁します

 俺が住んでいるノーザングルド王国のハーツ公爵領は比較的冷涼な地域である。


 年間を通して平均気温は14℃から20℃前後。日中と夜間の寒暖差が激しく、雨はあまり降らない。


 俺が前世で住んでいた日本の蒸し暑さに比べたら天国だ。


 空気がからっとしていて、朝の素振りをしていても、ほとんど汗をかかないくらいの爽やかさである。

 しかも……、


「ぶどう栽培には最高の気温なんだよなぁ……」


 そう、この土地は良質なワインの産地でもある。水よりもワインの方が安いと言っても過言ではないほど。


 実際川の水はそのままでは飲めず、殺菌するには魔力を使う必要があるからな。

 

 ――貧乏人はワインで薄めて水を飲め。


 そんな言葉があるくらい、この国はぶどう栽培が盛んな国なのだ。


 そして俺は大がつくほどのワイン好きである。

 前世の俺は大学三年生だったが、ワインが好きすぎて大学の授業をサボり、ソムリエの勉強を始めてしまうくらいのワイン好きである。


 ワインを飲み、ワインの歴史を感じ、ワインのために生きている。それが俺だった。

 

 まあでも、あくまでもそれは趣味である。


 俺が今考えるべきは、ぶどう畑やワインの話ではなく、破滅フラグを回避することだ。


「問題はヒロインの監禁イベントをどう処理するかなんだけど」


 木刀での素振りを終えると、家の周囲をランニングすることに。

 舗装されていない凸凹のある道を一定ペースで走りながらも、俺は思考を巡らせる。

 

 原作のヒロイン――サフィラ・ハーツは公爵領を治めるハーツ家の令嬢であり、将来の領主である。


 しかしその道は決して順風満帆ではなかった。

 彼女が生まれた公爵家には陰謀が渦巻いていた。


 兄弟たちが次々に不治の病で亡くなり、跡継ぎとなるはずだった彼らはあっという間に舞台から消えていった。 


 そして原作開始時にはサフィラだけが生き残っていて、兄弟を亡くした彼女は疑心暗鬼な性格になってしまった。


 極度の人間不信。誰のことも疑い、誰のことも信用しない。


 そしてそれは彼女の身辺も同様だった。

 跡取り候補は彼女だけということもあり、彼女の周りには常に公爵家の人間が張り付いていたのだ。


 そのため警備は鬼のように厳しい。近づいただけで即アウト。接触どころか、会話すらまともに取れないだろう。

 そんな状況で監禁などできるわけがない。


 けれど、今は違う。


 十歳の今なら兄弟たちはまだ健在で、公爵家にも余裕があるため、サフィラも普通の貴族の娘として生活しているはずだ。


 警備も比較的ゆるく、近づくだけなら叶わないこともないだろう。

 つまり……、


「今がいちばん監禁しやすい時期なんだよな……」


 もしも原作の強制力で俺が彼女を監禁してしまうのだとしたら、史実通りに監禁するよりも今の方が断然お得である。


 原作の監禁イベントは、サフィラが公爵家唯一の跡取りになった後だから騒ぎになる。


 でも十歳の今なら、そこまで騒ぎにはならないかもしれない。


 それに俺はまだ十歳の子どもだ。

 もし捕まったとしても、子どもの悪ふざけで済む可能性もあった。


 つまり監禁するなら今しかないのである。


「よし!」


 ランニングを終えると、じんわりと汗が出始めたのを感じながらも、今度は腕立て伏せを始める。


 問題は肝心のタイミングだが、決定的な好機があった。

 サフィラは月に一度、教会に行くらしい。


 公爵領の中心部にある教会へ祈りを捧げに行くという。その日は屋敷を離れるため、どうしても護衛は薄くなるだろう。


 そして十歳の子どもである俺にも、教会で礼拝することは認められている。

 つまりこのタイミングを逃す手はないのだ。


「原作通り、ヒロインを監禁しに行きますか」


 物語の強制力なんてものが本当にあるのかは分からない。

 無いかもしれないし、こうして監禁を決意している時点で、あると言えるかもしれない。


 どちらにせよ、悪役なら悪役らしく行動するのみである。


 ――そして今日が月に一度の教会の日である。


 腕立てを終えると、体内に魔力が満ちているのを実感しながらも歩き出す。


 こうして俺はヒロインを監禁しに行くのであった。





 教会の前は、普段より少し賑わっていた。

 白い石造りの建物の前に一台だけ煌びやかな馬車が停まっている。家紋があるのですぐに分かった。


 ――あれがハーツ家の馬車か。


 俺は礼拝者に紛れながら、木陰で様子を観察する。


 いくら原作の知識があるとはいえ、十歳のサフィラがどんな姿をしているか、一度確認しておく必要があるからな。

 間違えて別の人物を監禁してしまったら大変だし。


 ――さて、そろそろ出てくるかな。


 そう考えていると、教会の扉がゆっくり開いた。

 重厚な扉の先から一人の少女が姿を現す。


「ッ――!」


 それは一言で言うと金色だった。

 陽光を反射してふわりと揺れる長い髪。サファイアのような青い瞳。


 幼なげでありながらもすらりと整った顔立ちは、彼女が物語のメインヒロインであることを悠然と告げていた。まさしく周囲とは別格なのだ。


 彼女は白いドレスに身を包み、歩くたびに金髪が揺れて、そのたびに存在感を放っていた。

 十歳とは思えない完成度である。

 もはや確認するまでもなく、彼女がサフィラだろう。


「……………………ん?」


 そして彼女の隣には二人の護衛がいて、彼女の両脇を挟むようにして歩いている。

 だけど片方はあくびをしているし、もう片方は腰に剣すら携えていなかった。


 それどころか彼女なんてそっちのけで、屋台の飯の話をしている。


 相手は公爵令嬢だぞ? なんでこんなにやる気がないんだよ?


 そして当の本人であるサフィラは、ずっとどこか遠くを眺めていた。花屋の花を眺めているのか、それともその奥の屋台を眺めているのか。


 どちらにせよこれはチャンスだった。チャンスどころか、誘拐してくださいと言っているようなものである。


 ――よし、いくか。


 俺は群衆に紛れ、サフィラの近くまで歩いていく。

 彼女は店先の花をじっと眺めていて、護衛はその十メートル先で串焼きの匂いに釣られていた。


「っ!」


 意を決した俺は、護衛がサフィラから目を離している隙を見計らって近づいていく。


 わざと彼女の視界に入ると、目が合った瞬間に路地裏へ退く。そして影からそっと顔を覗かせた。

 するともう一度目が合った。


「……………………」


 彼女は不思議そうに首を傾げている。その瞳には少なくとも警戒心はない。

 純粋に目を丸くして、俺の存在に興味を抱いているかのようだった。


 だから俺はそっと手招きをした。

 俺と彼女の距離はほんの数メートル。少しでも近づいてきてくれれば、俺が手を掴んで路地裏に引き込むことができるだろう。


「……………………」 


 サフィラの眉がわずかに揺れる。


 彼女はそっと振り返り、自分がまったく見られていないことを確かめると、意を決したように近づいてきた。


 そして距離が縮まった瞬間――俺は優しくサフィラの手首を掴んだ。


「……えっ?」


「静かに」


 彼女は驚いたものの、声を上げなかった。

 その青い瞳には戸惑いが浮かんでいたが、逃げ出そうとはしなかった。


 それどころか、小さく俺の服の袖をつまんできた。


 自分から監禁されたがってるのかな?


 そう錯覚するほどの警戒心のなさに、思わず苦笑を浮かべる。

 そして改めて大通りの方を見た。


「…………………………」


 護衛たちはいまだに彼女がいなくなったことに気づいていない。改めてその事実を確認すると、俺は駆け出した。

 


 こうして俺は公爵令嬢サフィラ・ハーツの誘拐に成功したのであった。

 



 路地裏からさらに人気のない道へ入り、すぐ近くのぶどう畑の方へ向かった。


 そこにポツリと佇む、使われていない物置小屋が今回の監禁部屋である。

 今はぶどうの収穫の時期ではないので誰も来ないし、外から鍵をかけることもできる。


 まさに監禁に最適なのだ。

 小屋に到着すると俺はゆっくりと扉を開いた。


「さあ、ここに入って」


 サフィラはしばらく俺をじっと見たが、何も言わずに中へと足を踏み入れた。


 薄暗い木造の小屋。窓はあるが光はあまり入らない。しばらく使われていないこともあり、埃っぽい匂いがした。


 でも部屋の環境なんてどうでもよかった。

 なぜならこれで俺の監禁ノルマは達成したのだから。


 ――よし、さっさと逃亡するか。


 満足した俺はサフィラの手を離そうとした。

 なのにどうしてだろう?


「えっ?」


 離れない。

 いや、サフィラが俺の手を離してくれなかった。


「あの、もう離しても大丈夫だから」


「どこに行くの?」


 サフィラは俺の手をぎゅっと握りしめたまま、不安そうな眼差しを向けてくる。


「え? いや、その……買い物?」


「私も行く」


 即答だった。


「いや、それはちょっと……」


「行く!」


「それだけは……」


「行くの!」


 どうやら意思が固すぎるようだ。


 監禁されたことに気づいてないのかな?


 だとしたらこれは大問題である。本当に監禁ノルマが達成されたのかどうか分からないのだから。

 そもそも監禁ノルマってなんだよって話だが……。


「行くのっ!」


「君、自分の立場分かってる?」


 監禁された側が簡単に外に出られるはずがないだろう。


「一応言っておくけど、君の生死は俺が預かってるんだよ? 俺は君を誘拐して、監禁したの」


「監禁?」


「そう、監禁。監禁された人間は外に出ちゃいけないんだよ」


「じゃあ私、監禁されてる♡」


「そうそう、監禁されてるんだ」


 ようやく自分の立場を理解したようだ。そして彼女が自覚したということは、俺のノルマも達成されたと考えていいだろう。


 ――さあ、国外逃亡、国外逃亡。


「じゃああなたは誰?」


 もう一度外に出ようとしたら、両手で俺の腕を握りながら必死に抵抗してくるサフィラ。

 このままでは埒が開かなかったので、俺は少し演技をすることにした。


「俺は悪役だよ。君を監禁するためだけに存在する悪役」


「悪い人?」


「そう、悪人だ」


 含みを持たせて言う。

 彼女はしばらくぽかんとしたように口を開けると、ぽつりと呟いた。


「私のためだけに存在する……」


「ん? 何か言った?」


「……運命」


 彼女はその後も何やらぶつぶつと呟いていたが、声が小さすぎて全く聞こえなかった。


 しかしそのおかげで拘束が緩まったらしい。

 その隙をついた俺は彼女の腕を振り解くと、駆け足で扉を開けた。


「あ! 待って!」


 しかしすんでのところで捕まってしまったらしい。外に出てもなお、彼女は俺の側から離れなかった。


 それどころか思いっきり手を引っ張って、小屋へ引き戻ろうとしてくる。


「戻るっ!」


「戻らないから! 俺は色々と用事があるんだよ」


「ダメ! もっと話したい!」


「戻らない! てか、監禁したのは俺だからね? 主導権を握ってるのは俺だからね?」


 やっぱり彼女は自分の立場が分かってないようだ。


「とにかく、俺はもう行くから」


「ダメ」


「ダメじゃない」


「ダメ!」


 と、互いに手を引っ張り合っている時だった。


「――お嬢様?」


 背筋が声が響いた。

 振り返るとさっきの護衛二人が立っていて、焦った様子で近づいてくる。


 ――あ、やばい。終わったわ。


 よりにもよって最悪の相手に見つかってしまった。しかも手を引っ張っているところを目撃されたのだ。

 どう見てもこれはアウトである。


 ……って、あれ?


 バッドエンドを悟ったが、想像よりも護衛たちのリアクションが小さいことに気づく。


「まったく……だから子どものお守りは嫌なんだよ。目を離すとすぐどこか行きやがる」


「おい、隣のガキに聞かれてんぞ」


「いいんだよ。それよりもさっさと捕まえて屋敷に戻るぞ」


 気怠そうな様子で近づいてきた護衛は、


「お嬢様、勝手に離れちゃダメですよ」


 胡散くさい笑みを浮かべながらサフィラの腕を強引に掴んだ。


「嫌。戻りたくない」


「わがままはダメですぜぇ。旦那様に怒られてしまいますからね」


 サフィラは抵抗して俺の手を離さないように握っていたが、大人の力に勝てるはずもなく、


「あっ……」


 ついに手が離れた。

 金髪が揺れ、青い瞳がこちらを向く。


 彼女は助けを求めるように手を伸ばしたが、抵抗むなしく引きずられていく。

 そしてあっという間に馬車の方へと連行されていった。


「……………………………………え?」


 しばらく呆然と立ち尽くしていた俺は、静まり返った路地で呟く。


「監禁したのに捕まってない?」


 本当によかったのかこれで?


 分からない。分からないけど、これで監禁ノルマを達成することができた。

 捕まることもなければ、追われることもない。

 最も平和な形で終えることができたのだ。


「自由だ」


 俺はぶどう畑に飛び込むと、


「これで俺は自由なんだ!」


 全力で叫ぶ。そして大きくガッツポーズした。


 

 ――何やともあれ、破滅フラグを回避することができたのだ。














 

 

 しかしこの時の俺は知らなかったのだ。

 

 ヒロインを事前に監禁するという軽率な行動が、のちにとんでもない事態を招くことを。











 ――公爵令嬢サフィラ・ハーツ。






 彼女の執着を侮っていたことを。


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