集積所④
「……来たね。僕の半分」
檻の中の少年は、闇の中で金色の目を細めて笑っていた。坂本は咄嗟にポケットからスマホを取り出した。通報だ。この狂った工場のことを、警察に知らせなければならない。だが、画面に表示された無慈悲な『圏外』の文字が、ここが文明社会から切り離された異界であることを告げていた。そもそも、あの山道に入った時点で電波など届いていなかったのだ。
「無駄だよ」
少年が、坂本の思考を読んだように言った。「ここは電波も届かないし、神様の目も届かない。あるのは『泥』だけだ」
坂本はスマホを握りしめたまま、檻に近づいた。恐怖よりも、疑問が勝った。
「なあ、教えてくれ。どうして村の連中は、俺たちを殺そうとする?俺たちに、この厄を外へ持ち出させるのが目的じゃなかったのか?」
そうだ。運び屋を殺してしまっては、村にゴミが溜まるだけだ。矛盾している。
少年はクスクスと笑った。「君たちが『いい子』だったら、そうだったね。朝まで大人しく震えて、僕の絵を持って、東京に帰ってくれれば成功だった。でも、君たちは見ちゃったでしょ?」
少年は、天井のパイプや、棚に並ぶ子供たち――生ける屍たち――を指差した。
「ここを見た人間は、もう『運び屋』にはなれないんだよ。だって、喋るでしょう? 警察に、マスコミに。そしたら村が終わっちゃう」
少年の声が、冷徹な響きを帯びた。 「だから、リサイクルすることにしたんだよ」
「リサイクル……?」
「うん。君たちはもう外には出られない。その代わり、この棚の空いているところに縛り付けられて、新しい『器』になるんだ。大人の体なら、子供よりもたくさん、泥を吸えるからね」
坂本は戦慄した。あの山狩りは、口封じのための抹殺であり、同時に「原材料の確保」だったのだ。田所を襲った犬も、殺すためではなく、逃げ足を奪って捕獲するための猟犬だったのだ。
「さあ、こっちにおいでよ。僕の絵、持ってきてくれたんでしょ?それを返して、君が代わりにここに入りなよ」
少年が檻の隙間から細い手を伸ばした。その指先には、黒いクレヨンの粉がこびりついている。
ドクン!
坂本のポケットの中で、画用紙が暴れた。引力だ。強烈な磁石のように、画用紙が少年の手に向かって引っ張られる。それに釣られて、坂本の体も檻の方へ引き寄せられる。
「う、うわあああ!」
坂本は必死に踏ん張った。渡してはいけない。渡せば、自分はこの少年と「交代」させられる。
「嫌だ!俺は帰るぞ!こんなところで死んでたまるか!」
坂本は踵を返し、入ってきた鉄扉の方へと走った。だが、その時。
ギギギギギ……。
鉄扉の蝶番が軋む音がした。入り口に、誰かが立っていた。
岩田だ。その後ろには、鉈を持った男たちと、まだ興奮冷めやらぬ様子の猟犬が数匹。そして、彼らの足元に、血まみれの塊が転がされていた。
「た、田所さん」
坂本が息を呑む。田所だった。全身を噛まれ、服はズタズタだが、まだ微かに息がある。しかし、その手にはもう、あのミニカーは握られていなかった。奪われたのだ。彼の「運」を。
「困りますねえ、坂本さん」
岩田が、ひどく悲しそうな顔で言った。演技ではない。本当に、手間の掛かる家畜を見るような哀れみの表情だった。「せっかく、東京へ帰してあげるつもりだったのに。あそこの墓場と、この場所を見られた以上、もう『お客様』としては扱えません」
「最初から、俺たちを生贄にするつもりだったんだろ!」
「滅相もない。我々は平和主義者ですよ。ただ、村の平穏のためには、多少の犠牲というか、再利用が必要なだけです」
岩田が男たちに顎で合図をした。「確保しろ。傷つけるなよ。これからの長い年月、たっぷりと厄を吸ってもらわなきゃならんからな」
男たちが、じりじりと間合いを詰めてくる。後ろは檻。前は追手。完全な袋小路。
その時。背後の檻から、少年の声がした。
「ねえ、おじさん」
それは、坂本に向けられた言葉ではなかった。岩田に向けられたものだった。
「僕、もうお腹いっぱいだよ」
岩田の表情が凍り付いた。「なんだと? 一二四番、お前、喋れるのか?」
薬で廃人同様になっているはずの「器」が、明確な意思を持って言葉を発したことに、岩田は動揺した。
「お腹いっぱいだから、吐いていい?」
少年の笑顔が裂けた。物理的に、頬が裂けたのではない。彼の背後の空間が、黒く、ひび割れたのだ。
坂本のポケットの中の画用紙が、カッと熱を発した。燃えているのではない。 共鳴している。 檻の中の少年と、坂本が持っている画用紙。二つが揃ったことで、回路が繋がってしまったのだ。
「伏せろ!!」
坂本は本能のままに叫び、地面に身を投げた。
次の瞬間。少年の口から、そして坂本のポケットから。 「黒いもの」が、爆発的に噴き出した。
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