第3話 魔物であるには穏やかな

 エルフィンストーンの邸に滞在して数日が過ぎた。

 伯爵も夫人も鷹揚として私を迎え、暫くの間セラフィーナ嬢の話し相手にと引き留めた。この邸にはセフィの兄ウィルフレッドがいるのだが、現在は寄宿学校生活をしていると伯爵は語った。兄の不在を退屈に思うセフィのじゃじゃ馬が過ぎるのだと云う。

「長く旅をしておられるとのこと、セフィの見聞を深める意味でも色々聞かせてやって貰いたい」

「微力を尽くさせて頂こう。身に余る歓待に感謝する」

 当主に面会した折のそんな挨拶のなか、伯爵は少し考える素振りをして云った。

「アマーティ君は」

「何かね?」

「当家に以前いらしたことがあっただろうか? 初めて会った気がしない」

 この国に渡ったのは然程旧い話ではない為、私には心当たりもなかった。

「口説き文句としては今どきの社交界でも淑女は靡かぬと思うが」

「止してくれ、妻がいい顔をしない。そうではなく、貴君の容貌には既視感があってね。無関係ならば気のせいなのかな。気になさるな」

「ほう。私も卿のお嬢さんの瞳を知っている気がしたのだよ。縁でもあるのかな?」

「娘はやらぬぞ?」

「流石に彼女は若いな」

「はは、まあ良い。思い出せた折にまた話でもしよう。オーゼロフの村もなかなか良い処だと自負している。散策されると良かろう」

 人の良さそうな伯爵はそう云って笑った。暇を乞うて応接室を出ると廊下にはセフィがエイダを連れて待ち構えていたらしく、すぐさま駆け寄って来た。

「お父様は何か仰ってらして?」

「セフィ嬢がお転婆姫で困ると云っておられたな。オーゼロフ村を見て行って欲しいとの仰せだよ。案内は任せられるかね?」

「私、お父様にはどう映っているのか心配になりますわ。仰るほどやんちゃしてなくてよ? けれど領地のご案内ならお任せくださいませね。皆素敵な人たちばかりなんですの」

「楽しそうだな、セフィ嬢」

 少女の華やぐ声音に小さく笑いが漏れた。何だろう、この娘が楽し気な様は気持ちが安らぐ。私はなんとなく胸元のヴロォチに手を遣った。屈託のなさが若く純粋で、幼くもある心のうつくしさに私の本性を惹きつけるのか。

「ウィル兄様は長期休暇でもなければ帰って来ないのですもの、寂しかったんです。でも貴方がいらして下さったからついはしゃいでしまいますわ。だって退屈に飽きて死んでしまいそうなぐらいでしたのよ?」

「そのようにあまり簡単に死んで貰っては困るな。伯爵殿が嘆かれるであろう」

「跡目を継ぐのはお兄様ですもの。お父様はお困りになるかしら。お母様だってお兄様への御文をしたためるのが日課で、私の事は眼中にない様に思ってしまいますの。子供みたいですわね、私」

「そうか。ならばもう暫く子供でいるといい。御両親も子供に甘えられて嫌がる事もなかろう」

「まあ」

 セフィは驚いた様子で私の目を覗き込んだ。

「子供でいていいなんて仰る大人は初めてですわ。家庭教師の先生方も皆、社交界披露を済ませたらもう淑女なのだからと、子供染みた事には叱責ばかりよ」

「デビュウしたと云っても、君は若いだろう。幾つになる?」

「もうすぐ十五歳になりますわ」

「そうか。ではそろそろ縁談も持ち込まれよう。だからかな、最初に恋をしてみたいと話していたのは」

 十五歳なんてほんの子供だろうに、こういう家に生まれると自由も利かないのだろう。嫡男でなくその妹であるだけ幾らかの自由を認められはすれども、婚姻となると伯爵の決めた者としか叶うまい。不自由なく育てられた環境のようで存外不自由を強いられるのも貴族階級の慣例であろう。

「セフィ嬢はロード・ウィルフレッドに邸を任せられる御身分だ。精神的圧力を受けるなど云われもないこと。兄君は寄宿学校だそうだが、お幾つになられたのだね?」

「十八歳で寮の監督生をお勤めですの。兄の立場も御座いますし、私には淑女らしく振る舞えとお父様は仰いますわ」

「淑やかな姫には見えぬな」

「クリス様までそんな! お父様もお母様も歴史の長いこの邸に相応しい令嬢の自覚を弁えなさいとばかり仰るのですけれど」

「何、その好奇心故に私も拾われた身。悪いとは思わぬよ。村の案内はセフィ嬢にお願いしたい」

「それはお任せくださいな。家庭教師の先生がお休みの日が御座いますから、その折には是非! ああ、馭者のグレッグにも確認しないと。今から楽しみよ」

 楽しそうなその様は屈託のない笑顔でつい私までも笑みが綻ぶ。

「村の催し物がありますの。その日ばかりは私も予定は御座いませんから、オーゼロフ村の祭をご覧頂けると思いますわ」

「期待させて貰おう」

「きっとですわよ。私はこれから音楽のお稽古ですから、お庭の散策でもなさってくださいね」

 ひらりとドレスを翻すセフィの背を見送り、私は穏やかな気持ちに戸惑いを覚えながらも彼女の勧めに倣うべく踵を返した。

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