第14話「王子の後悔と届かぬ声」

 グライフェンに使者を送ると決めてから、アルベルトの心は少しだけ軽くなった。

 レオンを呼び戻せば、山積する問題は全て解決する。

 彼は本気でそう信じていた。


 あの男は、自分に惚れているのだから。

 どんなにひどい仕打ちをしようと、自分が頭を下げてやれば、喜んで戻ってくるに違いない。

 アルベルトは、レオンの長年の献身を、自分への恋慕だと都合よく解釈していた。


 だが、使者の帰りを待つ間にも、王国の状況は悪化の一途をたどっていた。


 食料価格の高騰は止まらず、王都の貧民街では餓死者が出始めた。

 貴族たちは我先に食料を買い占めに走り、民衆の不満は日に日に高まっていく。

 さらに、追い打ちをかけるように、記録的な豪雨が王国を襲った。


 治水対策が全く施されていなかった王都の川は、あっという間に氾濫した。

 濁流が市街地になだれ込み、多くの家屋が流され、甚大な被害が出た。

 聖女リリアの祈りなど、自然の猛威の前では何の効果もなかった。


「聖女様は偽物だ!」


「俺たちの税金を返せ!」


「レオン様を返せ!」


 民衆の怒りの矛先は、王家とリリアに向けられた。

 王城の前では、連日抗議のデモが行われるようになる。

 その中には、かつてレオンを「悪役」と罵っていた者たちも大勢混じっていた。


 アルベルトは、城のバルコニーからその光景を眺め、唇を噛み締めていた。


『なぜだ……なぜ、こうなった……』


 彼は、自分の治世が輝かしいものになると信じて疑わなかった。

 優しく清らかな聖女をそばに置き、民に愛される王になるはずだった。

 どこで間違えたのだろうか。


 アルベルトの脳裏に、あの日の光景が蘇る。

 夜会で、レオンに婚約破棄を突きつけた、あの日のことが。


『殿下、お待ちください。その娘の言葉だけを鵜呑みにするのは危険です』


『この治水計画は、数十年先の未来を見据えたもの。今、実行しなければ、必ずや王国は大きな災禍に見舞われます』


『お願いです、私の言葉を信じてください』


 いつも、レオンは正しかった。

 彼の言葉は常に冷静で、的確で、この国の未来を案じていた。

 だが、自分は彼の忠告に耳を貸さなかった。

 リリアの甘い言葉と涙に惑わされ、レオンを嫉妬に狂った悪役だと決めつけた。

 彼の瞳の奥にあった、深い絶望と悲しみに気づこうともせずに。


「……俺が、間違っていたのか……」


 ぽつりと、アルベルトはつぶやいた。

 初めて認めた、自分の過ち。

 だが、その代償はあまりにも大きかった。


「アルベルト様……」


 背後から、リリアがおずおずと声をかけてくる。

 彼女の顔は怯えきっていた。

 民衆の怒声が、城の中にまで聞こえてくるのだ。


「……お前のせいだ」


 アルベルトは、冷え切った声で言った。


「え……?」


「お前が俺を誑かさなければ! お前のような無能な女を、俺が聖女などと信じなければ、こんなことにはならなかった!」


 怒りのままに、彼はリリアを突き飛ばした。

 リリアは床に尻もちをつき、信じられないという顔でアルベルトを見上げる。


「ひどい……アルベルト様まで、わたくしを責めるのですか……!」


「黙れ! お前の顔など、もう見たくもない!」


 かつて愛を囁いた相手に、アルベルトは憎悪の言葉を浴びせる。

 彼は、自分の過ちを認めたくなくて、その責任を全てリリアに押し付けようとしていた。


 そんな醜い責任転嫁の真っ最中に、グライフェンへ派遣した使者が、ようやく王城へと帰還した。

 アルベルトは、リリアのことなどすっかり忘れ、謁見の間に急いだ。


「どうだった! レオンは、戻ってくると言ったか!」


 希望に満ちた問いに、しかし、使者は青ざめた顔で首を横に振った。

 そして、信じがたい報告を口にした。


「レオン様は……王都へのお戻りを、きっぱりと拒否されました」


「な……なんだと……?」


「そして……レオン様は、隣国エーデルシュタイン帝国の皇太子殿下と、近々ご結婚される、と……」


 アルベルトの頭は、真っ白になった。

 レオンが、結婚?

 それも、あの強大な帝国の皇太子と?

 自分が捨てた男が、自分よりも遥かに優れた男の元へ行ってしまう。


 その事実は、アルベルトのちっぽけなプライドを、粉々に打ち砕いた。

 後悔、嫉妬、喪失感。

 様々な感情が渦巻き、彼はその場に膝から崩れ落ちた。

 もう、何もかもが手遅れなのだと、この時、ようやく彼は悟ったのだった。

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