第13話「傾き始めた王国、愚者の焦り」

 俺が辺境の地で運命の番と出会い、新たな人生を歩み出していた頃。

 俺を追放したクローネンベルク王国では、静かに、しかし確実に、崩壊への歯車が回り始めていた。


「アルベルト様! 北方からの食糧輸入が、完全に停止したとの報告が!」


「なんだと!? どういうことだ!」


 王城の執務室で、アルベルト王子は宰相からの報告に苛立ちを隠せないでいた。


 レオン――俺が主導していた、北方の寒冷地からの安価な食糧輸入ルート。

 それは、王国の食糧事情を安定させるための生命線の一つだった。

 俺がいなくなったことで、その交渉ルートはあっけなく途絶え、王都の食料品価格は日を追うごとに高騰し始めていた。


「ヴァイスハイト公爵に何とかさせろ! あれは、もともと彼らの管轄だったはずだ!」


「それが……公爵閣下は、レオン様の追放以来、すっかり気力をなくされてしまい、政務をほとんど顧みておられない状況でして……」


 アルベルトの理不尽な命令に、宰相は困り果てたように答える。

 俺の父、ヴァイスハイト公爵は、冷徹な男だった。

 だが、彼なりに俺の才能は評価していた。

 俺を追放したことは、公爵家にとっても、そして王国にとっても、大きな損失だったのだ。

 そのことに、彼は今更ながら気づいたのだろう。


「ちっ、使えん奴らめ!」


 アルベルトは机を強く叩いた。

 彼の焦りは、それだけではなかった。


「リリア、例の治水工事の件はどうなっている?」


 彼は隣に侍らせている聖女リリアに尋ねた。

 桜色の髪をした可憐な少女は、びくりと肩を震わせる。


「そ、それは……わたくしが毎日、川のほとりで祈りを捧げておりますから、きっと女神様が氾濫を止めてくださるはずですわ……」


「祈りだと!? そんなもので、来たる雨季の増水を防げるものか!」


 かつては「リリアの祈りさえあれば大丈夫だ」などと言っていた男が、今では怒声を上げている。


 これも、俺が計画していた事業だった。

 大規模な堤防の建設と、計画的な森林伐採による保水力の向上。

 その複雑な計画書を、リリアは理解できず、アルベルトも興味を示さなかった。

 結果、計画は頓挫し、ただ聖女が祈るだけという、非科学的な対策でお茶を濁しているのが現状だった。


 専門家たちは、このままでは王都が大規模な水害に見舞われるのは必至だと警鐘を鳴らしていた。


「そもそも、なぜこうも次から次へと問題が起こるのだ! レオンがいた頃は、こんなことにはならなかった!」


 アルベルトは、ついに口にしてはならない名前を叫んだ。

 その場の誰もが、同じことを思っていた。


 レオン・フォン・ヴァイスハイト。

 あの傲慢で、常に人を小馬鹿にしたような笑みを浮かべていた銀髪の公爵令息。

 彼がどれほど有能で、国の隅々まで気を配り、問題を未然に防いでいたか。

 国中の誰もが、彼がいなくなって初めて、その存在の大きさに気づいたのだ。


「アルベルト様……」


 リリアが不安そうに王子の袖を引く。

 彼女の聖女としてのメッキも、すっかり剥がれかけていた。

 彼女がもたらす奇跡とやらが、レオンの功績の横取りだったことは、今や公然の秘密となりつつあった。

 民衆からの聖女への信仰も、日に日に薄れてきている。


「うるさい! 何か名案があるわけでもないくせに、黙っていろ!」


 アルベルトはリリアの手を荒々しく振り払った。

 かつての寵愛が嘘のように、その瞳には苛立ちと侮蔑の色が浮かんでいる。


「……そうだ」


 アルベルトは何かに思い至ったように、顔を上げた。


「レオンを呼び戻せばいい。そうだ、あいつを呼び戻し、また以前のように働かせれば、全ては元通りになるはずだ!」


 それは、あまりに自己中心的で、愚かな考えだった。

 だが、他に打つ手が何もないアルベルトと、彼を取り巻く無能な側近たちにとって、それは唯一の希望の光のように思えた。


「すぐに、追放先のグライフェンへ使者を送る準備をしろ! 丁重に、王都へ戻るよう説得するのだ!」


 アルベルトは高らかに命じた。

 彼はまだ気づいていない。

 自分たちが捨てた駒が、もはや自分たちの手の届かない、遥か遠い場所へ行ってしまおうとしていることに。

 そして、一度失った信頼は、二度と取り戻すことなどできないという、単純な事実に。


 王国の黄昏は、もうすぐそこまで迫っていた。

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