第10話「運命の夜、抑えきれない熱」

 盗賊団を撃退したことで、カイは村の英雄となった。

 村人たちは彼を心から称え、感謝し、ささやかな祝宴を開くことにした。

 捕らえた盗賊たちは、後日、近くの街の衛兵に引き渡すことになった。


 祝宴といっても、特別なごちそうがあるわけではない。

 皆で持ち寄った保存食と、少しばかりの果実酒。

 だが、村人たちの顔には、恐怖から解放された安堵と、未来への希望が満ち溢れていた。


「カイさん、あんたは命の恩人だ!」


「本当にありがとう!」


 村人たちに囲まれ、酒を注がれるカイは、少し照れくさそうに、しかし満更でもない様子でそれを受けていた。

 俺は、少し離れた場所からその輪を眺めていた。

 カイの正体が気にならないと言えば嘘になる。

 だが、今それを問い詰めるのは野暮というものだろう。

 彼が何者であれ、この村を救ってくれた事実に変わりはないのだから。


 それよりも、俺には別の問題があった。


『まずい……体が、熱い……』


 体の内側から、じりじりと熱が湧き上がってくるのを感じる。

 思考が鈍り、体が鉛のように重い。

 これは、周期的に訪れるオメガの発情期(ヒート)の前兆だった。


 いつもなら、数日前から予兆があり、薬を飲んで備えることができる。

 だが、ここ数日の緊張と疲労が、周期を狂わせたらしい。

 しかも、最悪なことに、常備していた抑制剤はもう底をついていた。

 王都から追放される際に持ってきた、わずかな備えだ。

 こんな辺境の村で、手に入るはずもなかった。


 アルファであるカイがいるこの場所で、ヒートが本格的に始まってしまえば、どうなるか。

 想像しただけで、血の気が引いた。


 オメガが放つ甘いフェロモンは、アルファを抗いがたいほどに惹きつける。

 理性を失わせ、ただ本能のままにオメガを求める獣に変えてしまう。

 カイに、俺がオメガだと知られるわけにはいかない。

 そして何より、彼をそんな獣に変えてしまうことだけは、絶対に避けたかった。


「レオン? どうかしたのか。顔色が悪いぞ」


 いつの間にか、カイが俺の隣に来ていた。

 その金の瞳が、心配そうに俺の顔を覗き込む。

 彼の接近に、俺の体は正直に反応してしまった。

 カイの持つ、濃厚なアルファのフェロモン――それは森の木々のような、力強くも清々しい香りだ――が、俺の体内の熱をさらに煽る。


「な、なんでもない。少し、飲みすぎたようだ。先に部屋に戻る」


 俺は平静を装い、よろめく足でその場を離れようとした。

 だが、カイは俺の腕を掴んで引き止めた。


「待て。本当に大丈夫か? 熱があるじゃないか」


 彼の大きな手が、俺の額に触れる。

 そのひんやりとした感触が心地よくて、同時に、焼け石に水だった。


「離せ……っ」


 振り払おうとするが、体に力が入らない。

 視界がぐらりと揺れ、俺はそのまま意識を失いかけた。


「おい、レオン!」


 カイの焦った声が、遠くに聞こえる。

 彼に体を支えられ、そのまま抱き上げられる感触。

 彼の逞しい胸に顔をうずめる形になり、その匂いをダイレクトに吸い込んでしまう。


 それが、引き金になった。

 抑え込んでいた熱が、堰を切ったように全身を駆け巡る。

 甘く、とろけるような香りが、俺の体から立ち上り始めるのが自分でも分かった。

 オメガとしての本能が、目の前の極上のアルファを求めて、理性のタガを外そうと暴れ出す。


『だめだ、だめだ、だめだ……!』


 心の中で必死に叫ぶ。

 だが、俺のかすかな抵抗もむなしく、カイの呼吸が荒くなるのが分かった。

 彼が、俺のフェロモンに気づいたのだ。


「この匂い……まさか、お前……」


 カイの驚愕に満ちた声。

 それが、俺がその夜に聞いた、最後の言葉だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る