第6話「芽生える信頼と小さな変化」

 カイと名乗る傭兵を、俺の住まいである古びた館へと案内した。

 村人たちは、見慣れない屈強な男を連れた俺を見て、遠巻きにひそひそと噂話をしている。

 無理もない。

 この閉鎖的な村に、カイのような男はあまりに異質だった。


 館に着くと、俺はカイに椅子に座るよう促し、清潔な布と薬草を煮出して作った消毒液を用意した。


「服を脱げ。傷を見る」


 ぶっきらぼうに言うと、カイは面白そうに口の端を上げてから、素直に革鎧と上着を脱いだ。

 露わになった腕には、鍛え上げられた筋肉がしなやかについている。

 そして、左腕にはやはり、生々しい爪痕のような傷が三本走っていた。


「魔獣か?」


 傷口を消毒しながら尋ねる。


「ああ。グレイウルフの群れだ。少し油断した」


 グレイウルフ。

 この辺りの森に生息する、狼型の魔獣だ。

 群れで行動し、非常に獰猛だと聞く。

 その群れを相手に、腕の傷だけで済むとは、やはり相当な手練れなのだろう。


「……随分と手際がいいんだな。治療に慣れているのか」


 俺の手つきを見ながら、カイが感心したように言う。


「まあ、多少は。貴族の嗜みで、薬学も学んだからな」


 つい、昔の癖で口が滑った。

 しまった、と思う。


「貴族? あんた、やっぱりただの村人じゃないだろう」


 金の瞳が、探るように俺を射抜く。


「……今は、ただのレオンだ。昔のことは関係ない」


 俺はそれ以上語らず、黙々と傷に軟膏を塗り、包帯を巻いていった。

 カイも、それ以上は追求してこなかった。

 だが、彼の興味がさらに増したのを、肌で感じる。


 手当を終えると、カイは懐から銀貨を数枚取り出し、テーブルに置いた。


「宿代と治療費だ。これで足りるか?」


 この村では見たこともないような大金だ。


「多すぎる。銅貨数枚で十分だ」


「いいから受け取っておけ。それと、しばらくここに滞在させてもらう。傷が癒えるまで、だいたい一週間くらいか。その間の食事も頼む」


 カイは当然のようにそう言った。

 まるで、俺が断るはずがないとでも思っているかのように。

 その傲慢な態度は少し癪に障ったが、怪我人を追い出すわけにもいかない。


 こうして、俺と謎の傭兵カイとの奇妙な共同生活が始まった。


 カイは、日中はほとんど寝て過ごしていた。

 よほど疲弊していたのだろう。

 その間に、俺は畑仕事や水路の測量をこなす。


 驚いたのは、カイが俺の作る粗末な食事を、文句一つ言わずに食べたことだ。

 干し肉と硬いパン、それに野菜くずのスープ。

 公爵家で美食に慣れていた俺でさえ、時々うんざりするようなメニューだ。

 だが彼は、いつも「美味い」と言って綺麗に平らげた。


 数日後、腕の傷が少し癒えたカイは、俺の仕事に興味を示し始めた。


「毎日毎日、飽きないのか。土いじりばかりして」


 俺が畑でカブの間引きをしていると、背後から声がした。


「飽きない。こいつらが育っていくのを見るのが、今の俺の楽しみだからな」


 双葉の間から、小さな白い根がのぞいている。

 愛おしい、と心から思う。


「ふうん……」


 カイは俺の隣にしゃがみ込むと、土に触れ、その匂いを嗅いだ。


「いい土だ。あんたが改良したのか」


「まあな」


「大したものだ。この辺りの土地は、死んでいるとばかり思っていた」


 カイの言葉は、素直な賞賛だった。

 誰かに認められることなど、久しぶりだった。

 胸の奥が、少しだけ温かくなる。


 その日の午後、俺が水路を掘るための設計図を引いていると、カイがそれを覗き込んできた。


「水路? こんな小川から、水を引くつもりか」


「ああ。だが、高低差の計算が難しくてな……」


 前世の知識はあるが、専門的な測量器具もない状況では限界がある。

 すると、カイは地面に落ちていた木の棒を拾い、俺の描いた稚拙な図面の横に、驚くほど正確な地形図を描き始めた。


「ここから水を引き、この傾斜を利用して村の畑全体に行き渡らせる。途中にいくつか堰を作って水量を調整すれば、効率的だ」


 それは、俺が何日も悩んでいた問題を、いとも簡単に解決する完璧な設計だった。


「なっ……なぜ、お前がこんなことを……」


「傭兵は、地形を読むのも仕事のうちでな。戦場で生き残るための、最低限のスキルだ」


 カイはこともなげに言う。

 この男、一体何者なんだ?

 ただの傭兵ではない。

 その知識、その佇まい。

 全てが常人離れしている。


 だが、同時に、確かな信頼感が芽生え始めていた。

 彼は口は悪いが、俺のやろうとしていることを理解し、的確な助言をくれる。

 一人で戦っていると思っていたこの辺境の地で、初めて得た「仲間」と呼べる存在かもしれない。


 俺とカイ。

 そして、少しずつ心を開いてくれる村人たち。

 この荒れ果てたグライフェンに、確かな変化の風が吹き始めていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る