第3話「荒れ果てた領地と希望の芽」

 グライフェンの村は、想像以上に静まり返っていた。

 人の気配がほとんどない。

 時折、古びた家々の窓からこちらを窺う視線を感じるが、誰も姿を見せようとはしなかった。

 警戒されているのか、あるいは、よそ者に関わる気力すらないのか。


 村の中央に、ひときわ大きな、しかし同じように荒れ果てた建物があった。

 おそらく、ここが追放された俺に与えられた「館」なのだろう。

 かつては領主の住まいだったのかもしれないが、今は屋根の一部が崩れ、壁には蔦が絡みついている。


 扉を開けると、埃っぽい空気が鼻をついた。

 中はがらんとしていて、最低限の家具が申し訳程度に置かれているだけ。

 ベッドのスプリングは錆びつき、テーブルは脚が一本ぐらついている。

 それでも、雨風をしのげるだけましだ。


 俺は荷物を下ろし、まずは館の中を掃除することから始めた。

 窓を開けて空気を入れ替え、床を掃き、家具を拭く。

 体を動かしていると、余計なことを考えずに済んだ。


 一通り掃除を終える頃には、西の空がオレンジ色に染まっていた。

 腹が減った。

 そういえば、昼から何も食べていない。

 俺は持参した保存食の干し肉をかじりながら、今後の計画を練ることにした。


 まず、最優先すべきは食料の確保だ。

 この土地の土壌はひどく痩せている。

 見たところ、酸性が強く、栄養分も乏しいだろう。

 これでは、まともな作物は育たない。


『土壌改良が必要だな』


 前世の知識が頭をよぎる。

 アルカリ性の石灰を撒き、堆肥を作って土に混ぜ込む。

 幸い、この辺りには石灰岩が採れる場所があったはずだ。

 森に入れば、落ち葉や枯れ草も手に入るだろう。


 次に、水の確保。

 村には小さな川が流れているが、水量は乏しい。

 安定した農業用水を確保するためには、水路の整備が不可欠だ。


 やるべきことは山積みだ。

 だが、不思議と気分は高揚していた。

 誰かに命令されるのではなく、自分の頭で考え、自分の手で未来を切り拓いていく。

 その事実に、胸が躍る。


 翌朝、俺は早速行動を開始した。

 まずは村の様子を知るため、そして村人たちと接触するために、館の外に出た。


 畑仕事をしていた数人の村人が、俺の姿に気づいて手を止める。

 彼らの目は一様に暗く、生気がない。

 着ている服は継ぎはぎだらけで、痩せこけた頬が貧しさを物語っていた。

 俺は意を決して、一番近くにいた老人に声をかけた。


「おはようございます。昨日から、ここの館でお世話になることになりました。レオンと申します」


 老人はクワを握りしめたまま、訝しげな目で俺をじろじろと見た。


「……あんたが、王都から来たっていう新しいお貴族様かい」


 その声には、あからさまな不信感がこもっている。

 これまで、何人もの役人がこの土地に赴任しては、早々に見切りをつけて逃げ帰っていったのだろう。


「貴族ではありません。ただの追放者です。これからは、皆さんと一緒にこの村で暮らします」


 俺がそう言うと、老人だけでなく、周りで聞き耳を立てていた村人たちからも、驚きの声が上がった。


「追放者……?」


「俺たちと同じ……いや、それ以下ってことか」


 侮蔑の言葉。

 だが、その方が好都合だ。

 下手に貴族として扱われるより、ずっと動きやすい。


「いくつか、お聞きしたいことがあります。この辺りで、石灰岩は採れますか? それと、森のどこなら安全に落ち葉を集められるか、ご存じないでしょうか」


 俺の唐突な質問に、村人たちは顔を見合わせる。


「石灰岩なら、西の丘に行けばいくらでもあるが……あんなもん、何に使うんだ」


「森は危ねえ。魔獣が出る」


 やはり、魔獣の森は厄介な存在らしい。


「皆さんと一緒に、この土地の畑を豊かにしたいんです。そのために、どうしても必要なものです」


 俺は真摯に頭を下げた。


「どうか、力を貸していただけませんか」


 村人たちは、まだ半信半疑のようだった。

 だが、その中の若い男が一人、おずおずと口を開いた。


「……あんた、本気で言ってるのか?」


「本気です」


 俺は彼の目をまっすぐに見つめて答えた。

 沈黙が落ちる。


 やがて、最初に話した老人が、深いため息をついた。


「……好きにしな。だが、期待はするんじゃねえぞ」


 それは、拒絶ではなかった。

 諦めに満ちた、しかし、微かな許可の言葉。


 それで十分だった。

 俺は心の中でガッツポーズをした。


 これが、第一歩。

 この荒れ果てた土地に、希望の芽が生まれた瞬間だった。

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