第2話「孤独な旅路と小さな誓い」
王都の門をくぐり抜けた時、俺を乗せた粗末な馬車は一度だけ大きく揺れた。
振り返っても、見送る者は誰もいない。
それが、公爵家の嫡男として生まれ、次期王太子妃として育てられた俺の末路だった。
与えられたのは、みすぼらしい平民の服と、わずかばかりの金貨。
そして「追放者」という不名誉な烙印だけ。
ヴァイスハイト公爵――俺の父は、最後まで顔を見せなかった。
アルベルト王子の決定に、異を唱えることすらなかった。
恐らく、オメガである俺を出来損ないと見なし、厄介払いできるこの機会を喜んでいるのだろう。
『それでいい』
期待など、とうの昔に捨てている。
馬車の硬い座席に揺られながら、俺は窓の外を流れる景色をぼんやりと眺めていた。
活気あふれる王都の街並みが次第に遠ざかり、緑豊かな田園風景へと変わっていく。
ここ数年、俺はこの国の農業生産性を上げるために心血を注いできた。
土壌の分析、新たな品種の導入、効率的な水路の整備。
その全てを、聖女リリアの手柄にされたのは腹立たしいが、人々の暮らしが豊かになったのなら、それでいいと思っていた。
だが、それももう関係のない話だ。
これからの俺は、レオン・フォン・ヴァイスハイトではない。
ただのレオンだ。
北の辺境、グライフェン。
王都の人間は「呪われた土地」と呼んで忌み嫌う。
冷涼な気候、痩せた土壌、そして隣接する「魔獣の森」からの脅威。
そんな場所で、俺は生きていかなければならない。
御者を務める無口な老人は、王国が雇った人間だろう。
俺をグライフェンに送り届けるだけの、ただの仕事。
道中、俺たちはほとんど言葉を交わさなかった。
旅は数週間に及んだ。
日が経つにつれ、街道は整備されなくなり、馬車の揺れはひどくなる。
立ち寄る村や町は寂れ、人々の顔には疲労の色が濃かった。
王都の繁栄は、地方の犠牲の上に成り立っている。
その現実を、俺はまざまざと見せつけられた。
そして、ようやくグライフェンの領域に入った時、俺は言葉を失った。
どこまでも広がる荒れ地。
まばらに生える木々は枯れかかり、畑にはひ弱な作物がかろうじて根を張っているだけ。
村は小さく、家々は今にも崩れそうなほど古びていた。
「……ここが、グライフェンか」
思わず漏れた声は、乾いた風にかき消された。
御者の老人が、旅を始めてから初めて、俺に話しかけてきた。
「旦那様。あんた、ここで暮らすってのは本当かい」
その声には、侮蔑ではなく、純粋な同情がにじんでいた。
「ああ。そうだ」
「……気の毒にな。こんな土地じゃ、冬を越すのも難しいだろう。せいぜい、達者でな」
老人はそう言うと、俺を村の入り口で降ろし、荷物を地面に置いた。
そして、俺が何か言う前に、馬車の向きを変えて足早に去っていく。
まるで、呪われた土地から一刻も早く離れたいとでも言うように。
一人、荒野に佇む。
吹き抜ける風は冷たく、頬を刺すようだ。
絶望するには、十分すぎる光景だった。
だが、俺の心は不思議と折れていなかった。
『悪くない』
むしろ、燃えてきた。
何もない。
誰の期待もない。
しがらみも、偽りの自分を演じる必要もない。
ここには、自由がある。
俺は前世の記憶を持っている。
豊かな土壌を作り、作物を育てる知識がある。
人々が笑顔で暮らせる場所を作るための、確かな知識が。
「見てろよ、アルベルト。リリア」
誰に聞かせるともなく、つぶやく。
「お前たちが捨てたこの場所を、俺は誰よりも豊かな楽園に変えてみせる」
それは、ちっぽけな復讐心から生まれた、小さな誓いだった。
俺は地面に置かれたわずかな荷物を背負い、荒れ果てた村へと、最初の一歩を踏み出した。
ここから、俺の新しい人生が始まるのだ。
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