第3話

学食独占禁止法とラーメン情報屋

 獄門高校の学食。そこは「地獄の沙汰も金次第」を体現した場所だった。

「……これは、なんだ?」

 佐藤健義は、目の前のトレーに置かれた物体を凝視していた。

 『Aランチ(800円)』。当時の物価を考えれば破格の高さだ。

 内容は、冷え切ったコッペパン、蛍光色の赤いウインナー、そして正体不明の肉片が入った薄いスープ。

「食えと言うのか。これを。人間に」

 隣で堂羅デューラが、割り箸をへし折っていた。

 リベラに至っては、ハンカチで鼻を覆っている。

「生理的に無理ですわ。豚のエサでも、もう少し彩りがありますもの」

 だが、生徒たちは文句も言わずに食べている。いや、食べるしかないのだ。

 校則で「校外への外出禁止」「弁当持参禁止(衛生上の理由という名目)」が定められており、空腹を満たすにはこの学食を利用するしかない。

 厨房の奥では、白衣を着ているが、どう見てもその筋(ヤクザ)の人間にしか見えない男が、札束を数えながら睨みを利かせている。

「おいコラお前ら! 残さず食えよ! 文句ある奴は裏庭に来い!」

 典型的な独占企業による暴利。そして暴力による支配。

「……許せん」

 佐藤が眼鏡を光らせた。

「これは明白な『私的独占の禁止及び公正取引の確保に関する法律(独占禁止法)』違反だ。競争相手を不当に排除し、優越的地位を乱用している」

「御託はいい。俺が厨房に乗り込んで、あの責任者を鍋で煮込んでやる」

 堂羅が立ち上がる。

「待ちなさい野蛮人。私がパパに言って、銀座のフレンチシェフを派遣させますわ。……一食3000円くらいになっちゃうけど」

「それも違う! 学生の本分は安くて美味い飯だ!」

 三人が揉め始めた、その時だった。

 学食の隅、購買部のカウンターから、暴力的なほどに食欲をそそる香りが漂ってきた。

 鶏ガラ、醤油、そして焦がしネギの香り。

「……なんだ、この匂いは」

 三人は吸い寄せられるように、購買部へと足を向けた。

 ◇

 そこには、一人の男がいた。

 ねじり鉢巻に、油で汚れた前掛け。眠たそうな半眼。

 喜助(きすけ)だ。

「へい、らっしゃい。……なんだ、お偉いさんたちの揃い踏みかい」

 喜助はやる気なさそうに寸胴鍋をかき混ぜていた。

 だが、堂羅の目だけは誤魔化せなかった。

(……隙がない。あの湯切りの動作、足音がしない運び……コイツ、タダモノじゃない)

「メニューは?」佐藤が聞く。

「『獄門ラーメン』一択だ。一杯300円。……食うか?」

 300円。学食ランチの半額以下だ。

 三人は顔を見合わせ、頷いた。

 喜助が麺を茹でる。

 チャッ、チャッ!

 湯切りの音が鋭く響く。その動きは残像が見えるほど速い。

 ドン、ドン、ドン。

 目の前に置かれたのは、透き通った醤油スープに、分厚いチャーシューが乗った至高の一杯。

 佐藤は、内ポケットからタバスコを取り出し、ドボドボとかけた。

 堂羅は、ブラックコーヒー(缶)をプルトップで開け、片手に持った。

 リベラは、恐る恐るレンゲを口に運ぶ。

「……!」

「「「美味い!!」」」

 三人の声が重なった。

 昭和のノスタルジーと、プロの技が融合した味。冷えた心と体に染み渡る。

 佐藤は汗をかきながら麺を啜り、堂羅はスープを飲み干し、リベラは「あら、悔しいけど……美味しいわ」と完食した。

 しかし、その光景を面白く思わない連中がいた。

 学食を牛耳るヤクザ風の責任者、鮫島(さめじま)だ。

「おい、喜助ぇ! テメェ、勝手に商売してんじゃねえぞ!」

 鮫島が子分を引き連れて、購買部のカウンターを蹴り上げた。

 ドンッ!

 だが、喜助は眉一つ動かさず、カウンターに置かれたラーメンの丼を指先一つで押さえ、汁一滴こぼさなかった。

「……旦那、営業妨害はやめてくんな。麺が伸びちまう」

「うるせぇ! ここでの商売は俺たちのシマだ! その屋台、叩き壊してやる!」

 鮫島が鉄パイプを振り上げる。

 喜助の目が、一瞬だけ鋭くなった。

(……めんどくせぇ。やるか?)

 彼が袖口に隠したクナイに手をかけた、その瞬間。

「そこまでだ」

 三つの影が、喜助とヤクザの間に割って入った。

 タバスコで口を赤くした佐藤。

 コーヒーを飲み干した堂羅。

 口元をハンカチで拭ったリベラ。

「……あ?」鮫島が凄む。「なんだテメェら」

 佐藤が眼鏡を押し上げる。

「刑法第233条、信用毀損および業務妨害罪。さらに食品衛生法に基づく営業許可の確認をさせてもらおうか。君たちの厨房、ネズミが運動会をしていたぞ?」

「はぁ!?」

 リベラが優雅に扇子を開く。

「この学校の敷地内で、理事長の許可なく独占的な商行為を行うことは契約違反ですわ。……鮫島建設さんでしたっけ? パパに言って、御社との取引、全て見直させてもらいますわよ?」

「な、なぜウチの親会社の名前を……!」

 そして、堂羅が一歩踏み出す。

「……食後のコーヒーブレイクを邪魔するな。消えろ」

 堂羅は近くにあったスチールパイプ椅子を、片手でクシャリと握り潰した。

 論理的脅迫。経済的制裁。物理的恐怖。

 三連コンボを食らった鮫島たちは、顔面蒼白になった。

「お、覚えてろよオマエらぁぁ!」

 捨て台詞を残して逃亡するヤクザたち。

 ◇

 静けさが戻った購買部。

 喜助は、「ふぅ」と息を吐き、新しいラーメンを茹で始めた。

「……へぇ。お偉いさんたちにしちゃあ、気骨があるじゃねえか」

「礼には及ばない。僕たちは、美味いラーメンを守りたかっただけだ」(佐藤)

「借りは返す主義だ」(堂羅)

「勘違いしないで。あの方々の衛生観念が許せなかっただけよ」(リベラ)

 喜助はニヤリと笑い、カウンターの下から何かを取り出した。

 それは、佐藤には「激辛ハバネロパウダー(裏ルート品)」、堂羅には「無糖のドリップコーヒー」、リベラには「特製プリン」だった。

「!?」

 三人は驚愕した。

「なぜ、僕の好みを……タバスコだけじゃ満足していないことを?」

「俺が甘い物が苦手だと、いつ知った」

「このプリン……老舗ホテルの限定品!?」

 喜助はラーメンの湯切りをしながら、ボソッと言った。

「俺はただのラーメン屋だが……耳だけは良くてね。あんたらの『噂』も、素性も、ある程度は知ってるよ」

 その目は、ただの店主の目ではなかった。

 修羅場をくぐり抜けた者だけが持つ、静かな光。

「……なるほど。君は『使える』男のようだ」

 佐藤は確信した。この男は、情報源(インテリジェンス)になる。

「金さえ払えば、麺と一緒に『ネタ』も提供するぜ? ……ま、あんたらにはツケでいいけどな」

 喜助はウィンクし、ドンブリを差し出した。

 こうして、法曹トリオは「胃袋」と「耳」を手に入れた。

 だが、平和な食事は長くは続かない。

 校庭の方から、けたたましいサイレンの音と、鎖を引きずる音が聞こえてきたからだ。

「……公務執行妨害よ! 全員、逮捕するわーっ!!」

 佐藤は頭を抱えた。

「……今度はなんだ。あの声、聞き覚えがあるぞ」

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