第2話
違法捜査とタバスコ・ジャッジメント
キーンコーンカーンコーン……。
歪んだチャイムの音が、獄門高校の昼休みを告げた。
2年Z組。窓ガラスが半分割れ、スプレーの落書きだらけの教室。
だが、今日の空気はいつも以上に張り詰めていた。
「おい、田中ァ! 手ェ止めてんじゃねえぞ!」
バンッ!!
竹刀が机を叩く乾いた音が響く。
教壇に立っているのは、生活指導担当の権田(ごんだ)という教師だ。ジャージ姿に角刈り、手には常に竹刀。まさに「昭和の暴力教師」を煮詰めたような男である。
標的になっているのは、気弱そうな男子生徒・田中だ。
「お、俺は何も……」
「うるせえ! 貴様、最近ツッパってるらしいな? カバン出せ。持ち物検査だ」
「えっ、でも令状とか……」
「あぁ? 令状? 俺がルールだ! 生徒の人権なんざ、校門の外に置いてこい!」
権田は田中のカバンを強引に奪い、逆さまにして中身を床にぶちまけた。
教科書、弁当箱、筆記用具が散乱する。
その中に――見慣れない箱があった。タバコだ。
「ほう……やっぱりな。停学確定だ、田中ァ! いや、退学にしてもいいんだぞ?」
「ち、違います! 俺吸ってない! それ、俺のじゃない!」
「問答無用! 言い訳は職員室で聞く!」
権田が田中の胸ぐらを掴み上げる。
クラス中が「うわ、ハメられたな」という空気で静まり返る中、教室の後方で三人の生徒が動いた。
◇
(……典型的な冤罪の構図だ)
佐藤健義は眼鏡の奥で冷静に分析していた。
あのタバコは、休み時間に別の不良が田中のカバンに隠した物だ。佐藤はそれを見ていた。
(だが、今は昭和。教師は絶対君主。下手に口出しすれば僕まで巻き込まれる。……見過ごすべきか? いや、法曹を目指す者が、目の前の不正を看過するのか?)
佐藤の心臓が早鐘を打つ。
隣の席では、堂羅デューラが貧乏揺すりをしていた。
「……チッ。胸糞悪い。あんな竹刀、俺がへし折ってやる」
腰を浮かせかける堂羅。
その反対側で、桜田リベラが爪を磨きながら呟く。
「野蛮ね。私なら、あの教師の不倫写真を合成して、教育委員会に送りつけるけれど」
二人の過激な案を聞き、佐藤は覚悟を決めた。
暴力でも、謀略でもない。
僕たちの武器は、あくまで「法」だ。
佐藤は学生服の内ポケットから、小瓶を取り出した。
赤い液体。タバスコだ。
蓋を開け、手の甲に一滴。それを舌に乗せる。
――カッ!!
脳髄を走る電流のような辛味。迷いが蒸発し、論理(ロジック)だけが残る。
佐藤は立ち上がった。
「待った!!」
教室中の視線が集まる。
権田が睨みつける。
「あぁ? なんだ佐藤。お飾り生徒会長が何の用だ」
佐藤は静かに、しかし通る声で言った。
「権田先生。その捜査……いえ、持ち物検査は、日本国憲法第35条および第31条に違反する疑いがあります」
「はぁ? ケンポー?」
権田がポカンとする。
「令状なき捜索、および適正な手続き(デュー・プロセス)を経ない処罰は無効です。さらに言えば、そのタバコはあなたが違法に収集した証拠であり、『毒樹の果実』の法理により、証拠能力を持ちません」
「ど、毒キノコだぁ? 何訳のわかんねぇこと言ってやがる!」
「つまり! そのタバコは法的には『存在しない』のと同じだと言っているんです! 田中君を連行する法的根拠は、あなたにはない!」
佐藤の指先がビシッと権田を指す。
教室がざわつく。今まで誰も、教師に対してこんな「言葉」で戦った奴はいなかった。
顔を真っ赤にした権田が、竹刀を振り上げた。
「屁理屈こねてんじゃねえぞガキがぁ! 指導だ、指導してやる!」
ブンッ!
空気を切り裂く竹刀が、佐藤の頭上に振り下ろされる。
佐藤は動けない。運動神経は平凡だ。
死んだ――と思った瞬間。
ガシィッ!!
鈍い音がして、竹刀が止まった。
佐藤の目の前には、大きな背中があった。
「……おい。議論で勝てないから暴力か? それが教育者のすることかよ」
堂羅デューラだ。
彼は振り下ろされた竹刀を、片手で掴み止めていた。
「ど、堂羅ァ! 離せ! 貴様も退学になりたいか!」
「退学? 笑わせるな。俺は今、クラスメイトへの不当な暴行を阻止しただけだ。刑法第36条、『正当防衛』。……それに」
堂羅の手が万力のように竹刀を握りしめる。ミシミシと音が鳴る。
「俺の『北辰一刀流』の前で、そんな棒切れを振り回すな。……腹が立つ」
堂羅の眼光に、権田が怯んだ。本物の殺気だ。
そこへ、トドメの一撃が入る。
「あらあら、怖いですわねぇ」
鈴の音のような声。桜田リベラだ。
彼女は使い捨てカメラを構え、今のシーンをバッチリ撮影していた。
「権田先生? 今の写真、現像してパパ(理事長)にお見せしましょうか? 『我が校の教師は、丸腰の生徒会長に竹刀を振り下ろすのが教育方針です』って」
「なっ、り、理事長の娘……!」
「暴力教師のレッテルを貼られて、退職金なしでクビになるのと……今すぐその竹刀を収めて、田中君に『勘違いだった』と謝るの。……どちらがお得か、先生なら計算できますわよね?」
リベラは悪魔のように微笑んだ。
論理の佐藤。暴力の堂羅。権力のリベラ。
三方向からの詰み(チェックメイト)に、権田は脂汗を流し、呻いた。
「……ちっ。今回は見逃してやる。田中、運が良かったな!」
権田は捨て台詞を吐いて、教室から逃げ出した。
◇
一瞬の静寂の後、教室が爆発した。
「すげぇ! あの権田を追い返したぞ!」
「生徒会長、何言ってるか分かんなかったけどカッケー!」
「堂羅さん、竹刀掴んでたぞ!?」
田中が涙目で駆け寄ってくる。
「あ、ありがとう、佐藤君、堂羅君、リベラさん……!」
佐藤はタバスコの効果が切れかけ、少し震える手で眼鏡を直した。
「……礼には及ばない。法治国家として当たり前のことをしただけだ」
堂羅は「フン」と鼻を鳴らし、リベラは「貸しにしておくわ」とウィンクする。
三人は顔を見合わせた。
言葉にはしないが、共通の認識が生まれた瞬間だった。
(……まあ、このメンツなら、なんとか生きていけそうだな)
グゥゥゥ……。
緊張が解けたのか、三人の腹が同時に鳴った。
「……腹が減ったな」
「学食に行きましょうか。不味いと評判ですけれど」
「栄養摂取は生存の基本だ。行こう」
だが彼らはまだ知らない。
その学食が、ヤクザの資金源となっている「魔窟」であることを。
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