第10話 籠城戦※
静かな夜。咲いた花が、ふたりの影を優しく照らしていた。
みのりは、言葉にせず、そっと頷いた。
歌う花の隣でみのりが歌っている。
2人は向かい合い抱き合い、揺れている。
「あっ、あっ、あっ」
律動に合わせて、みのりが声を上げる。
歌う花が薄く辺りをほんのりと照らす。花は風もないのに揺れ、唄を歌う。みのりも揺れる。
「あっ・・・あー・・・!」
みのりも歌うように声を上げる。
律動が止まったかと思うと、ドレイクがぐん、とみのりの奥を突いた。
「ふっ、あっ!・・・ドレイクっ!」
「はっ・・・!みのり・・・!」
ぐぐっと下半身を押し付け、果てる。みのりはドレイクの腕の中で、くたりと力を抜いた。
月が傾き、花の歌もやがて静まり、夜が深まる。
みのりとドレイクは、寄き合ったまましばらく身を寄せ合っていた。
________________________________________
――あの日を遠い昔のように感じる。
砦の空気は張り詰めていた。夜のうちに複数の方角から魔物の接近が確認され、砦では警戒態勢が敷かれていた。
老将軍の表情には焦燥が見え始め、各所の兵士たちも疲労と不安を隠せずにいた。みのりは身震いし、ゆっくりと目を閉じた――そして、戦場の只中に意識を戻した。
状況は、刻一刻と悪化していた。
みのりには伝えられていなかったが、魔物の襲撃は日に日に勢いを増し、補給路は寸断され、物資は尽きかけていた。砦の兵たちの顔には疲労と焦燥が刻まれていた。
このままでは、砦が落ちる――。
老将軍はついに決断した。外へ出て、敵の主力を討つ掃討作戦を決行する、と。
作戦はこうだ。将軍自ら兵の大半を率いて砦を離れ、外で魔物を叩く。残されたのは、負傷兵、避難してきた民、そしてドレイクとみのり。彼らが砦を守る。
「砦全体に、結界を張れます。長くはもちませんが……少しの間なら」
みのりは老将軍にそう申し出た。
「それは頼もしい」
老将軍は微笑んだ。その笑みは、やさしく、静かだった。
――この時、みのりは信じていた。
皆、無事に戻ってくるのだと。
砦はまだ、守られているのだと。
けれど、あの笑みは騎士としての最後の覚悟だった。
砦は放棄される。将軍たちは囮となり、残った者は夜のうちに撤退する――
そんな作戦だったことを、みのりはまだ知らない。
作戦会議が終わると、老将軍は静かに馬にまたがり、兵を引き連れて砦を発った。
間もなく、外から悲鳴が響き渡る。
「ドレイク!」
ドレイクは剣を抜き、駆け出した。みのりも追いかける。
砦の城門を抜けた瞬間、目に飛び込んできたのは地獄のような光景だった。
阿鼻叫喚の戦場。
城壁を超えて無数の矢が雨のように降り注いでいる。
「……なんで……!」
みのりの瞳が見開かれる。
矢の群れの中、将軍が膝を折り、その場に倒れ込む。
ドレイクが駆け寄り、将軍の体を担いで砦へと戻った。
砦の壁際に将軍を凭れさせると、彼はうっ……と呻いた。
かろうじて意識はある。矢が深く刺さっている。
ドレイクがみのりに視線を向ける。無言の訴え。
みのりは頷き、駆け寄る。
「すぐに治療します……!」
けれど――矢の抜き方なんて、知らない。
どこまで刺さっている? 抜いたら内臓を傷つけてしまうかもしれない。
みのりは泣きそうになりながら、必死に治癒魔法をかけた。将軍の眉間が痛みに歪む。
《もっと、もっと勉強しておけばよかった……マーリン先生……》
無力感と後悔が押し寄せる。
「ごめんなさい……大丈夫ですか……? 矢の抜き方が分からなくて……医者を呼んできます!」
立ち上がろうとしたその瞬間、将軍の手がみのりの手首を掴んだ。
「みのり殿……ドレイク殿と共に、逃げなさい……」
その声はかすれていたが、手の力は強かった。
まるで、全てを託すように。
すぐに看護師が駆け寄り、みのりは将軍から引き離された。
その横を、負傷兵たちが次々と担がれていく。
みのりは、その場にただ呆然と立ち尽くしていた。
矢の嵐がやみ、残った兵士たちが集まり、作戦会議が始まった。
議題は――アルカトラ王国第一王子の避難について。
みのりとドレイクも、席に加わる。
だが、みのりは俯いていた。耳に入ってくるのは、無力な議論ばかり。
「将軍は重体だ。貴族は全て逃亡。指揮官となる者がいない」
「幹部候補生すらおらん」
「このままでは、誰も動けぬ……」
「誰が指揮を執る?」
「年功序列で――」
「いや、戦歴で決めるべきだ!」
将軍という“柱”を失った今、砦はただの烏合の衆に過ぎなかった。
みのりには理解できなかった。
兵士にも意思があるはず。自分で判断して動けばいい。
だが、軍はそうではないらしい。
ユエシャとの勉強では王族の礼儀作法ばかりだったし、ドレイクとの旅を想定していたため、マーリンからも軍制や戦術の教えは受けていなかった。
――どうすればいいの。
「私たちは勝手に逃げるから」なんて、言っていいの?
そのとき――
「私が指揮を取ろう」
場が静まり返った。
ドレイクの声は、冷たくも強い。
兵士たちが驚きに目を見開き、みのりもまた言葉を失った。
「ここでは、私が最も身分が高い。だから私が指揮を執る。異論はあるか?」
ドレイクは強い意志で言い切った。
みのりは疑問を抱きながらも、口には出さなかった。
――もし、ドレイクがそれで皆の生存率が上がると信じているのなら、それを信じる。
「明朝、夜明けと共に作戦を開始する。それまで、各自休め」
「はっ!」
兵士たちは一斉に敬礼した。
その瞳には、僅かながら希望が戻っていた。
夜更け、みのりは見張り台へ向かった。
そこには、ドレイクが佇み、森を見つめていた。
「敵は、あの森の奥か……」
矢を射った者たちは誰だったのか。
あの数の矢を同時に放つには、イノシシの魔物だけでは不可能だ。
――知能の高い魔物が、背後にいるのか?
得体の知れない闇が、背筋を冷たく撫でた。
「みのり、砦は危ない。下に降りていろ」
「……平気。砦全体に結界を張ってあるの。明日の昼まで、きっと持つ」
「ならば、見張り兵は休ませよう」
ドレイクは即座に伝令を走らせ、兵士たちは素直に従い、見張り台を後にした。
「命令に忠実なのね」
みのりの口から、思わず皮肉が漏れる。
「軍とはそういうものだ。疑わぬように、訓練されている」
「そんなの、人間じゃない……」
みのりは顔を背けた。胸の奥にずっと溜まっていたもやもやが、少しずつあふれてくる。
「……それでも、国を守るためには必要なことかもしれん」
ドレイクは、ほんの少しだけ笑って、すぐに真剣な表情へと戻る。
みのりには、それが正しいのか分からなかった。
しばらく沈黙のあと、ぽつりと、みのりは言った。
「……もし、助からないなら……一緒がいい。私を守るために死ぬなんて、許さない」
「わかった。死ぬときは一緒だ。約束する」
みのりはドレイクの肩に、そっと頭を預けた。
明日の戦いに、勝ち目があるかは分からない。
けれど――生き残れたら、次は軍のことも、医学のことも、全部勉強しよう。
そう、心に決めた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます