第6話 仮面の素顔

バルトワルト帝国は、今や周辺諸国を統治する一大国家である。


元は中央部だけを治める王国だったが、戦争を経て帝国となり、現在は帝都を含む中央部が直轄領、周囲の四領が皇子たちの管轄地、そして神殿領は巫女姫の治める属領となっている。元々独立国家だった神殿領は、今もその文化と信仰を色濃く残す土地だ。




そんな話をユエシャに聞きながら、みのりたちはようやく目的地・タンガクへ到着した。




思えば長い旅だった。




ユエシャの巫女姫としての力と人望は圧倒的で、どこへ行っても人々や魔物すら彼女に敬意を払った。みのりは「これがカリスマか…」と、旅の間に何度も思った。




________________________________________




ユエシャの神殿で丁重な歓待を受けたみのりとドレイクは、無事に巫女姫から結婚の誓約を授かる。




「巫女姫直々の誓約である。そなたたちの絆は強固なものとなろうぞ。」




ユエシャはこれまでで一番の笑顔で祝福してくれた。みのりとドレイクは、数日後に改めて別れの挨拶に来ると約束し、神殿を後にする。




「ユエシャ様、ありがとうございました」


「くるしゅうない。またいつでも遊びに来るがよい」




タンガクは高い山脈に囲まれた、いわば天然の要塞だ。その中心に神殿があり、まるで宗教国家のようでもある。巫女姫・ユエシャの名前は“月霞”、タンガクは“丹嶽”と書くと道中に教わり、みのりはどこか中国を思わせる響きに、日本のような国もあるかもしれないと夢を馳せた。




神殿領は質素倹約を旨としており、建物も装飾は控えめ。交易も盛んとは言いがたく、はっきり言って田舎だ。みのりは町を歩いて結婚の腕輪を探すが、良い品はなかなか見つからなかった。




「他のところで探そうか?」


「うん…そうだね」




あきらめ気味にそう呟いたみのりは、その後ユエシャのおすすめスポット――美しい棚田や祠、高台からの絶景など――を訪れ、自然を楽しんだ。ちなみに、お米も食べた。日本米とは違うが、久々の炊き立てごはんに、みのりは感動して泣いた。




________________________________________




「はぁ~、極楽…」




山奥の秘湯に浸かり、みのりは心底リラックスしていた。ユエシャに教えてもらったこの温泉郷には、知られていない湯も多くあるらしい。




「ドレイクも入れば?」




湯船がいくつも点在しているため、どこか別の湯に入ればいい、という軽い気持ちで声をかけた。




「いいのか?」




返事をするやいなや、ドレイクはみのりの湯船に入ってきた。




「あ、あの、そっちじゃなくて…別の方の湯に…!」


みのりは慌てて背を向け、岩に隠れた。けれどドレイクは淡々と答える。




「あまり離れると、守れない」




結局、みのりは赤面しながらもその場を離れられず、まるで我慢大会のように湯に浸かり続けた。




「もう限界…ドレイク、出るから、あっち向いてて!」




彼が素直にうなずいたのを確認して、急いで湯から上がる。着替えに手を伸ばした瞬間、小岩につまずいた。




「きゃっ!」




咄嗟に振り返ったドレイクと目が合った。




「見ないでって言ったのに!!」


「すまん。声がしたから、何かあったのかと…」




すっぽんぽんを見られたみのりは、その後しばらくドレイクと口を利かなかった。




________________________________________




数日後、温泉と観光を満喫したみのりたちは、いよいよ神殿領を発つことにした。


出発前にもう一度ユエシャに挨拶をしようと訪ねると、神官に通された部屋で待っていると、どこからか駆けてくる足音が。




「みのり、お願いじゃ!!」




飛び込んできたユエシャが、涙目でみのりに縋りついてきた――。




みのりは薄いヴェールをかけられ、ユエシャの瞑想室に静かに座っていた。


いま彼女は“巫女姫の代役”を務めている。




ユエシャは転移門を使わず、徒歩での旅に出たことが父親にばれて、がっつり叱られた挙げ句、一週間の謹慎処分を食らってしまった。




けれど、どうしても今日だけは抜け出したかったらしい。


好きな一座の芝居が今日で千秋楽を迎えると聞いて、半泣きでみのりに頼み込んできたのだ。


今ごろ、ユエシャはドレイクを護衛に連れて、町で芝居を観ている。


みのりはといえば、ユエシャが戻ってくるまで、この部屋で静かに“瞑想しているフリ”をしているだけ。簡単なお仕事――のはず、だった。




「わらわは瞑想に入る。今から先は、許可があるまで誰も通すでないぞ」




ユエシャはそう言い残して出かけていった。


誰も入ってこないと聞いていたし、姫巫女より身分の高い者を除けば、基本的には――。


…と、外でざわめきが起こった。




みのりはふすま越しに様子をうかがう。廊下の向こうから、堂々と歩いてくる人物。


――第一皇子だ。お付きが止めているが、本人は気にもとめていない。まっすぐこちらへ向かってくる。




「どうしよう…!」




みのりは慌てた。姿を消す魔法を使う時間も隠れる場所もない。


ふすまが開き、皇子が入ってくる。


みのりはとっさに座り込み、顔を伏せ、息を殺した。




「姫、お父上に叱られたと伺った。旅の許可を出した私にも責任がある。先ほど、父上には話を通してきた。謹慎はこれで解かれた」




穏やかにそう語った皇子は、しかし目の前に座る人物の様子に違和感を覚える。そっと膝をつき、みのりのヴェールを上げた。


視線が合う。




「……みのり殿?」


「も、申し訳ありません!」




みのりは平伏して謝った。




________________________________________




「女官長にも内緒だったのか」




襖を開け放ち、二人は庭を眺めながら茶を飲んでいた。


侍従が用意した茶器は、中国茶のような作法で淹れられた、タンガク式の渋いお茶だ。




みのりは茶をふーふー冷ましながら、ユエシャの外出理由を説明した。




「ずいぶん叱られたらしくて…それでも、どうしても今日の芝居が見たかったみたいで」


つい同情してしまって、と小さくつぶやくと、皇子はふっと笑った。


「貴女とはもう二度と会えぬと思っていた」




茶托に茶を置き、みのりをじっと見つめる。その視線に、みのりは嫌な予感を覚える。




最近はユエシャの助けもあって、皇子への苦手意識はかなり和らいでいた。けれど、そうだった。彼はこういう人だった。




「みのり殿、私は本気だ。ドレイク殿とは、まだ結婚の誓約を交わしていないように見える。私にも、まだ可能性があるだろうか?」




皇子の視線が、みのりの腕へと向かう。そこに、まだ腕輪はない。


そう言って、皇子がみのりの手に触れようとした瞬間――




ビリッ。




目に見えぬ火花が走った。みのりの手から、少しお茶がこぼれる。




「えっ……?」




みのりは驚いた。けれど、それは皇子も同じだった。




「結婚の誓約を交わしたのか?」


「はい。一応、しましたけど…?」


「……なるほど」




皇子はすっと手を下ろす。みのりは状況を理解できず、首をかしげた。




「あの、それって…?」


「誓約を交わした相手以外に触れられると、電気が走る。それくらい、この国では常識だ。異界の者は知らないのか?」




みのりはふと、ユエシャが「第一皇子には神竜の神託も伝えられる」と言っていたのを思い出す。皇子が自分の出自を知っていても不思議ではない。




「なんでもかんでも静電気が走るなんて、不便ですね。この世界の神様は気難しい」




手をさすりながら呆れたように言うと、皇子は淡々と返す。




「あれは“邪まな気持ち”を抱いている時に起きる」


「え!?でも私も痛かったんですけど!」




みのりが思わず叫ぶと、皇子は顔を綻ばせ、頬を赤らめた。




「それは嬉しいことだ」




その柔らかい笑みに、みのりは何も言えなくなった。




――“皇子は仮面を被った為政者だ”




ユエシャの言葉を思い出す。今の表情は、その素顔なのかもしれない。


同時に、自分がドレイク以外に少しでも“ときめいた”かもしれないことに動揺していた。これは、ドレイクには絶対に言えない。




「それに……油断していた時にも反応する」




皇子がさらりと付け足す。みのりは少し安心して、顔を上げた。




「だから、こうすれば触れられる」




そう言って、皇子はみのりの髪をそっと撫で、頭に口づけた。


――その瞬間、茂みの陰からタイミングよく現れた人物がいた。ドレイクだ。


サーベルを抜き、一気に距離を詰める。




「ドレイク!待って!!」




みのりは皇子を庇おうと魔法を展開するが、間に合いそうにない。


だが、皇子は腰のレイピアでドレイクの剣を受けた。




「狭量な男は嫌われるぞ」




皮肉を混じえた皇子の言葉に、ドレイクは不機嫌な顔で剣を下ろす。


そのとき、ユエシャがそろそろと戻ってきた。




「みのり……わがままを言ってすまぬ。まさか皇子が来ようとは」




少ししょんぼりとした様子に、みのりは責める気にはなれず、「いいですよ」と困ったように微笑んだ。




________________________________________




今度こそ本当に、みのりとドレイクはユエシャに別れを告げた。


帰り際、皇子は「また会おう」とみのりに声をかけ、それを聞いたドレイクは毛を逆立てて激怒した。


みのりはその背を見ながら、半歩後ろを歩いている。




「ドレイク、さっきのことなんだけど――」




なんて言えばいい? 皇子の冗談で? 事故で? どれも言い訳にしかならない。


言葉に詰まるみのりに、ドレイクが先に口を開いた。




「次の街で、腕輪を買おう。……皇子にとっては、もう有無なんて関係なさそうだけどな」




ため息まじりのその声は、少し寂しげだった。


優しい目をしている、いつものドレイク。けれど耳と尻尾はしょんぼりと垂れている。




「みのりは……誰彼かまわず気に入られるのをやめてくれ」




情けないような声音に、みのりは申し訳なさと、くすぐったい嬉しさを感じた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る