第5話 巫女姫との秘密会議

「わらわに、王族の常識を教えて欲しいとな?」




みのりがユエシャの部屋に足を踏み入れてすぐ、そう頭を下げると、ユエシャは扇子を持ったまま、首を傾げた。




ここは帝都近郊の宿場町にある、比較的格式の高い宿屋。ユエシャは貴族向けの二間続きの部屋を借りており、その談話室に、みのりは通されていた。




「私、この世界の常識が全然わからなくて……。でもドレイクの隣にいるなら、ちゃんと学ばないとって思ったんです!」




みのりの切実な声に、ユエシャは「うーむ」と考え込む。




「ドレイク殿は、追放された身であろう。今さら復権を目指しているようには見えぬが……」


「でも、第一皇子と話してるとき、ドレイクはまるで本物の王子様なんです」




みのりは目に涙を浮かべていた。


奴隷時代、ドレイクはどこにでもいる寡黙な傭兵で、時に乱暴な言葉さえ使っていた。けれど、第一皇子の前では違っていた。立ち居振る舞いも、言葉遣いも、まさに“王子”。それを毎日のように目にするうちに、みのりは自信をなくしていった。




「きっと周囲は、放っておきません。ドレイクだって……」




だから、と続ける。




「ドレイクの隣に居続けるために、王族のことを教えてください。お願いします!」




みのりの訴えに、ユエシャはしばらく黙っていたが、やがて柔らかく笑みを浮かべた。




「……けなげよの」


扇子で口元を隠しながら「よかろう」と頷く。




「ただし、ひとつだけ言っておく」




ピシャリと、ユエシャは表情を引き締めた。




「ドレイク殿が見せた“王子”の顔が仮面で、そなたと居るときの姿が本当、などとは思うでない!」




みのりがきょとんとしていると、ユエシャは諭すように言葉を続けた。




「人は誰しも、いくつもの顔を持っている。親に見せる顔、友に見せる顔、恋人に見せる顔……皆、違って当然なのじゃ。ある相手には甘え、別の相手には頼もしく振る舞う。それが人というもの」




みのりは思い当たる節があった。高校の友人の中ではドジっ子扱いだったのに、中学のグループではしっかり者のお姉さんだった。相手によって見せる自分が変わるのは、確かに自然なことだった。




「ドレイク殿のような立場であれば、なおさら、そうした“顔”の差は大きくなる。それを信じられぬようでは、隣には立てぬぞ」




もっと自信を持て――ユエシャの真剣な言葉が、みのりの胸に響いた。




「……ありがとうございます」




みのりは目元を拭いながら、小さく礼を言った。


誰かに聞いてほしかった。受け止めてほしかった。そんな気持ちが溢れて、涙が止まらなかった。




やがて、泣き疲れたみのりはそのままユエシャのベッドで眠ってしまう。


そして翌朝から、なぜかユエシャの「わがまま」で、みのりとユエシャは同じベッドで寝ることになった。




聡明な十一歳の巫女姫は、ウィンクしながら耳打ちしてくる。




「これで心ゆくまで、お話できようぞ!」






________________________________________




大きなベッドに寝転びながら、みのりとユエシャはおしゃべりに花を咲かせた。


お行儀は少々悪いかもしれないけれど、ふたりにとってはこの時間が何よりの癒しだった。


ユエシャの所領に着くまでの間、この“女子会”は続く予定だ。




もちろん、おしゃべりだけではない。これは勉強会でもある。今夜のテーマは「王妃の心得」。




「王妃とは、王と並び立つ存在。慰み者の妃とは違うのじゃ」


「ユエシャ様って、皇子のこと好きなんですか?」




王妃と聞いて真っ先に気になったのは、この少女の結婚相手のことだった。


好きでもない相手と政略結婚する気持ちなんて、想像もできない。でも、心配するくらいなら友人として許されるだろう。そう思って尋ねてみた。




「好きも、嫌いも……ない、かの」




答えに困っているような表情だった。ふたりの間には、平民と王族という大きな隔たりがある。価値観の違いに、みのりは日々驚かされていた。




「アレは、そうじゃな……尊大で、自分の権力を隠そうともしない」


「ですね、すごく偉そうでした」




そう答えると、ユエシャはくすっと笑って、扇子でみのりの額を軽く小突いた。




「不敬であるぞ。今は良いが、他所では控えるのじゃ」




笑ってくれてホッとした。




「そなた達に嫌な思いをさせたことは、わかっておる。だが、アレもなかなかの苦労人でな」




皇子には腹違いの弟が四人いる。全員が優秀だった。将才に恵まれた第二皇子、学者の家に生まれた天才の第三皇子、美貌と血筋に恵まれた第四皇子――


対して、第一皇子は何一つ飛び抜けたものを持っていなかった。


それでも彼は努力を重ね、政治力を磨き、貴族たちの支持を得て、王位継承の有力候補にまでのし上がった。ユエシャと出会ったのもその頃だという。




「その時点で、すでに“為政者”の顔を身につけていた。思惑は見せず、常に強くあろうとしておった」




でも、とユエシャは言う。




「まだ未熟で、わらわに借りがある。だから、アレはわらわには頭が上がらぬのじゃ」




「皇子は少しうかつなところもあるが、王の器だと、わらわは思っておる。足りぬところは、支えればよいのじゃ」




恋かと問われれば、答えに詰まる。だが――王にしたいと思える相手なのだ、と。


十一歳の少女の口から、まっすぐに語られるその想いに、みのりはただ「すごいな」と思った。




「私は、ユエシャ様が幸せなら、それでいいと思います」




みのりは、自然と笑っていた。




「……時に、そち。皇子に口説かれておったであろう」


「っ!!」




みのりは真っ赤になった。まさか知られていたなんて……!




「気にするでない。アレは、わらわの味方となりそうな妃候補を探しておる。わらわと気が合いそうな女子おなごには、ことごとく声をかけておるのじゃ」


「ユエシャ様と気が合いそうって……」


「母たちの骨肉の争いに嫌気がさしておるのじゃろう。次代の妃たちには、もう少し仲良うしてほしいと、あやつなりに願っておるのよ」




みのりは皇子のことを、ほんの少し見直した。


とはいえ、また口説かれそうな気がしているのも確かで。




「アレも愚かではない。頷かぬそなたを、妃に据えることはあるまい」


「……でもまた、口説かれるかもですよね?」


「ふふ、あるかもしれぬの」




――止めてはくれないんだ……


みのりは心の中でがっかりした。


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