第2話 竜の巫女姫
軟禁されてから一日が過ぎた頃、屋敷の外がにわかに騒がしくなった。
ドレイクとみのりは厚い扉に耳を寄せ、様子を探る。
「……ひめ! おも…り……ださい!」
「誰か、お止めしろ!」
「姫! 姫!! そちらへはお進みいただけません!」
扉越しでも、明らかに騒動が起きているのが分かる。足音が複数、こちらへ向かってくる気配。ドレイクはみのりを扉から離し、窓際まで連れていった。自らが盾となるようにみのりを背に庇い、扉を凝視する。
――バンッ!
重厚な扉が勢いよく開いた。
現れたのは、年端もいかぬ少女だった。
黒髪に黒い瞳、年の頃は十二、三歳。ミレティアとはまた異なる、神秘的な気配を纏った美少女。
腰まで伸びた艶やかなストレートヘアは、両サイドだけ切り揃えられ、飾り紐で結ばれている。いわゆる“姫カット”というやつだ。
「そなたが、ドレイク殿か?」
少女は男女の従者を引き連れ、堂々と部屋へと足を踏み入れる。
ノックも許可もなし――つまり、この少女もまた相当な立場の者に違いない。
ミレティアでさえ、生存確認のときは礼儀正しくノックをし、返事を待っていたのだ。そういった手順すら不要な階級にあるのだろう。
みのりは緊張を保ちつつも、戦闘態勢を解いた。少女の様子から、今すぐに危険が及ぶことはなさそうだ。
「わらわは、帝国の巫女――ユエシャと申す」
「お目にかかれて光栄です。巫女姫様」
「よい。面を上げよ」
ドレイクは片膝をついて恭しく礼を取る。みのりも慌てて後に続き、頭を下げた。
ユエシャは優雅に扇をひらりと振り、二人に顔を上げるよう促す。
「我が国の皇子が、アルカトラからの客人をもてなしておると聞いてな。わらわも話を聞きたくなったのじゃ」
みのりとドレイクは顔を見合わせた。困惑の色が浮かぶ。
そのとき、廊下からさらに足音が響き、ミレティアが駆け込んできた。
「姫! そちらは皇子の客人です。たとえ巫女姫といえど、勝手な行動は――」
「控えよ! 近衛風情が、姫に口答えとは!」
ユエシャの従者の一人――冷たい瞳の男が、怒鳴りつける。
「お主、皇子の飼い犬かの? 少し大人しくしておれ」
ミレティアは悔しげに唇を噛むが、それ以上は反論しない。
ユエシャは扇を開きながら、従者たちに部屋の扉を閉じさせ、人払いを命じた。
部屋には、ドレイクとみのり、そしてユエシャ一行だけが残された。
(この国の勢力図、どうなってるの……?)
みのりはますます混乱する。
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「まずは、我が国の皇子の非礼を詫びよう」
透き通るような声が室内に響いた。
巫女姫はお付きの女官に椅子を引かれ、静かに腰を下ろす。
その所作は年若い少女のものとは思えないほど堂に入っていた。
ドレイクがわずかに目を細めた。
「……どういうことか、説明を願えますか?」
「神竜の思惑は、人の理などで測れるものではない。とはいえ、予言を授けたのはわらわ。巻き込んだ責はある。許されよ」
巫女姫は小さな扇子をくるりと回し、まるで舞うように話し始めた。
「皇子がそなたらを“保護”しようとしたのは確かじゃ。継承の儀の直前に、他国の王子が何かあれば外交問題になるゆえにな。だが……やり方が拙かった。転移門を使って強引に連れ去れば、怪しまれるに決まっておろうに」
扇を開き、巫女姫は“ほほ”と笑う。その笑みには茶目っ気と政治的な計算が滲んでいた。
どうやら、彼女は皇子の“失態”の火消しに来たらしい。
だが、それは皇子の命ではなく、彼女自身の判断のようだ。
「では、私たちを解放していただけるのですか?」
みのりが思わず尋ねた。
巫女姫――ユエシャは、じっと彼女を見つめる。
みのりはすぐに後悔した。敬語が普通すぎた。姫に無礼だったのでは――
しかし、ユエシャはくすっと笑った。
「解放はしてやろう。……一つ、条件付きでな」
そう言うと、ユエシャはすっとみのりのもとへ歩み寄り、指先で彼女の額に軽く触れた。
「ふむ。因果な魂じゃ……このようなことも、あるものか」
扇子を閉じ、目を細めて真剣な表情になる。
みのりには何のことだかさっぱりだ。
「……神竜の神託を聞くか? そなたに関係あるやもしれぬ」
「はい……!」
どこからか淡い光が差し込んだような気がした。
ユエシャの瞳が、金色に変わる。
そして――
『東風を纏う砂の王。その稀なる雫。
黒き眼差しにて運命を切り裂く者。
我が元へ来よ。異界の残り火を渡さん』
詩のような、歌のような響き。
しかしその意味は、みのりにはまるで分からなかった。
ドレイクは険しい顔で聞いていた。
“砂の王”――バルトワルトの東に広がる砂漠国家、アルカトラ。
彼の祖国だ。“東風”とは、まさにその象徴。
ドレイクは王ではないが、他国から見れば彼が“砂の王”と見なされてもおかしくはない。
だが、“稀なる雫”とは何を指すのか。“異界の残り火”とは?
そして、“運命を切り裂く者”などという不穏な表現――。
「……神竜、とは?」
みのりの思案顔を見て、ユエシャが面白そうに微笑んだ。
「そなた、神竜に見まみえてみよ。」
「……“まみえる”、って会うってことですよね? 巫女姫さま。でも、今日って継承の儀式がある日なんじゃ……?」
「その通り。午後には帝都で儀式じゃ。……それより、“ユエシャ”と呼んでおくれ。」
そう言ってウインクするユエシャに、みのりとドレイクは目を見開く。
儀式の情報ってトップシークレットなのでは??
「なに、ちょっと会いに行くだけじゃ。面倒な手続きはいらぬ」
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監禁されていた屋敷から程近く、神殿の地下に転移門があった。
それを通り、みのりとドレイクは帝都へと転送される。神殿は王宮に隣接しており、移動に時間はかからなかった。
しかし、そこからが大変だった。
神竜が眠る“竜の間”は神殿の最深部にあるという。
洞窟のような構造の中を、ランプの灯りを頼りに進む。
右の裂け目に潜り、左の崖を登り、ひたすら進む。
方向感覚はとっくに失われた。
そんな中でもユエシャは迷いなく進んでいく。
この迷宮のような道も、彼女にとっては慣れたものなのだろう。
やがて、光が差し込んだ。洞窟の奥に、虹色の輝き。
空間は広がり、壁の石々が七色に脈打つように光っていた。
「みのりよ。準備は良いか?」
みのりが頷くと、ユエシャは空間の中心に立ち、祝詞を唱え始めた。
不思議な音律。人の言葉ではない。
そして、再びユエシャの目が金色に――いや、今度は縦に切れた虹彩。
まるで竜の目。
『人の子よ……星の彼方より渡りし、小さき雫よ。
星との縁は断たれたとも、遠つ水神は汝を忘れず。
受け取るがよい。因果を超えよ』
その声は、ユエシャの口から発されてはいたが、彼女自身のものではなかった。
老女のようでも、幼子のようでもある、時を超えたような響き。
みのりが手を差し出すと、小さな水色の光が舞い、腰に下げたロッドの宝玉に吸い込まれていった。
――終わった。
ユエシャの目がゆっくりと閉じられ、元の瞳に戻る。
石の光は消え、ランプの灯りだけが残された。
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みのり、ドレイク、ユエシャの三人が外回廊を歩いていると、ユエシャの執務室に先客がいた。
第一皇子だ。
「はて。後ろの御仁は、私の“客人”だったかと記憶しているが?なぜこちらに?」
ソファに優雅に腰かけ、茶をすする皇子。
ユエシャは笑みを浮かべながら答える。
「わらわの宮に招いただけじゃ。あのような辺境に留めておくのは、皇子の器量を疑われよう?」
ピリッとした空気が流れる。
まるで蛇とマングースのにらみ合い。
「……それより、儀式の前の潔斎けっさいは済ませたかの?」
「神託は……下されたのか?」
「いかにも。こちらの“みのり”が、加護を授かった」
「……!」
皇子の表情が一変する。
「みのり殿、貴女にはただならぬ力を感じていた。」
今までで最速の“手のひら返し”だった。
皇子は右手を差し出すが、みのりはさりげなくドレイクの背後へと引っ込む。
「ど、どうも……」
そこへ、都合よく神官が駆け込んできた。
「皇子、巫女姫。儀式の時間でございます」
皇子は無言で立ち上がり、ユエシャが振り返ってみのりたちに尋ねる。
「そなたらも来るか?」
もちろん、みのりとドレイクは同時に首を横に振った。
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