第7話 王都への道、封じられた過去

王都は――大きかった。


リベルタの城壁も高いと感じていたが、ここはまるで桁違いだ。そびえ立つ灰白の外壁はまさに「壁の城」。見上げるだけで首が痛くなりそうだった。高く、厚く、頑丈そうな城壁に、規則正しく並ぶ見張り塔。そして門には、鋼鉄でできた重厚な扉が据えられていた。




「お城の壁じゃん……」




みのりはぽつりと呟いた。まるで童話の世界に迷い込んだようだ。


都市内ではラクダに乗っての移動はできないらしく、門番に注意され、ドレイクとみのりは地面に降りた。ラクダは大人しく従い、ドレイクはその前足に枷をはめる。首には手綱代わりの細い鎖が巻かれていた。




歩き出してすぐ、ドレイクがみのりに声をかける。




「大丈夫か? 疲れてないか?」


「うん、大丈夫……」




数歩ごとに心配されている気がして、ちょっと照れくさい。


王都は整然としていて、思ったよりも静かだった。色とりどりの衣装をまとった獣人たちが行き交い、路上には露店や大道芸人がちらほらと見られる。その賑わいの中を抜け、二人はようやく目的地へと辿り着いた。




一見、他の住宅とそう変わらない石造りの建物。だが、母屋の隣には塔がそびえている。二階建てか三階建てほどの、高く細い塔だ。高名な魔法使いだと聞いていたので、みのりはもっと派手な屋敷を想像していたが、意外なほどに質素だった。




門をくぐった瞬間、家の中から声がした。




「誰だ?」




魔法使いと言えば長い白髭の老人――そんな先入観を抱いていたが、その声はずいぶんと若い。




「私だ。ドレイクだ。マーリンはいるか」




ドレイクが短く答えると、屋敷の扉がゆっくりと開いた。自動扉か、あるいは魔法か。


みのりが見上げると、ドレイクは無言で頷く。促されるまま、彼の後に続いて屋敷の中へ入った。




中は思ったよりも簡素だった。木製のテーブルと椅子、石造りのキッチン、壁一面の本棚。埃ひとつ見当たらないが、生活の気配は濃い。


やがて本棚の影から、一人の男が現れた。




「これは、これは……ドレイク様。お久しぶりですな」




銀髪と真紅の瞳を持つその男は、ローブを身に纏っていた。人間のように見えるが、よく見ると耳がわずかに尖っている。エルフか、あるいはそれに近い種族だろう。




「久方ぶりだ、マーリン。元気そうで何よりだ」




その会話に、みのりは驚いた。ドレイクの口調がいつもと違う。礼儀正しく、威厳すら感じられる声音に、彼の別の一面を見た気がして、思わずドレイクを振り返る。


その様子を見てか、マーリンがみのりに視線を移した。




「そちらは……?」


「みのり、という。この子に言語魔法をかけてやってほしい」


「言語魔法? 見たところ、その首輪に付与されているようですが……」




マーリンの言葉に、みのりは手を伸ばして自分の首に触れる。金の首輪。それがあったからこそ、異世界の言葉が理解できたのだ。




「これは奴隷の印だ。外してやりたい。そして、自由にしてやりたい」




ドレイクの言葉に、マーリンの顔が強張る。




「……奴隷制度など、このアルカトラではとっくに廃止されたはずです」


「隣国から密輸されている。みのりは国境付近で倒れていたところを“拾われた”らしい。正式な売買ではない。……あの首輪、外すことはできるか?」


マーリンはしばらく黙考し、やがて小さく頷いた。




「できますとも。こちらへ来てください」




________________________________________




塔の一角にある丸い部屋。


薬瓶が所狭しと並ぶ中、みのりは中央の椅子に座らされた。ドレイクは部屋の外に立ち、じっと見守っている。




マーリンが杖を翳すと、首輪がカチリと音を立てて外れ、床に落ちた。軽い音がしたのに、みのりの胸の中では鈍く響いた。




──私は今、自由になったんだ。




感慨に浸る間もなく、次の魔法が始まった。長い呪文のあと、杖から放たれた光がみのりの胸を貫き、右腕の手首まで流れていく。そして淡く光る文様を残し、消えた。




「……これで言語魔法は刻まれました。もう首輪なしでも意思疎通ができますよ」


「ありがとうございます!」




みのりはぴょんと跳ね、笑顔でマーリンの手を握った。そしてすぐさまドレイクの元へ走って抱きつく。




「ドレイク、ありがとう!」




しかし、その腕はそっと彼女を引き離した。




「……よかったな。みのり。これでお前は、自由だ」




その言葉に、みのりの心は一気に冷える。




自由――それは、ドレイクと離れることを意味していた。






________________________________________




「え?なんで?自由って何?」


みのりは“自由”という言葉に不穏な響きを感じ取る。


ドレイクは先ほどから、いや、あの時から目を合わせてくれていない。




「……ドレイク、私、ドレイクと一緒にいたい……!ドレイクが好き、だよ……」




みのりの声は震えていた。けれどその目には強い決意が宿っていた。


ドレイクは一瞬、驚いたように目を見開き、次に苦しげに目を伏せた。




「……みのり、それは違う。お前は、長く奴隷として過ごしてきた。主に対する依存や感謝が、勘違いさせているんだ」


「違う!そんなんじゃない!」




みのりは涙を堪えきれず、その場に座り込んだ。




「ドレイクが好き。あの洞窟で、自分の気持ちにはっきり気づいた。あなたが私を助けてくれて、私を人として見てくれた……」




ドレイクは、しばらく黙ってみのりを見つめていた。




「すまない、みのり。……それでも、ここで別れるしかない。俺は、これ以上お前を危険に巻き込めない」




その言葉に、みのりの目から大粒の涙がこぼれ落ちた。


その場に立ち尽くしていたマーリンが、ようやく口を開いた。




「おふたりとも、少し冷静になった方がいい。みのり、風呂をお貸しします。心を落ち着けていらっしゃい」




マーリンはそう言うと、魔法でタオルとワンピースを空中から取り寄せ、みのりに渡した。




「……ありがとう、マーリン様」




みのりはそのまま屋外の風呂小屋へと向かった。




________________________________________




風呂場の洗面台に、マーリンから渡された奇妙な魔道具を置いた。小さな金属の球体に見えたそれは、突然両脇から羽のようなものを生やして浮かび上がる。




『……何を考えておられるのです。このような情勢が不安定な時期に……』




マーリンとドレイクの声が、魔道具を通じて風呂場に響いた。


その声を聞きながら、みのりは浴槽に沈み、静かに耳を傾けた。




――ドレイクは王族だった。アルカトラ王国の第一王子。


――政争に敗れ、王宮を追われた。


――王妃は今も彼を探し続けている。


――リベルタは流刑地、助けの来ない街だった。


――みのりを連れて逃げるのが精一杯だった。




全ての会話が、真実味をもって胸に迫ってくる。




(……ドレイクは私を守るために、別れようとしている)




ようやく、みのりは気づいた。今の自分がドレイクにとって重荷であること。そして、彼がみのりの幸せを願っているということ。




――でも、それでも。




「……私は、あなたといたい」




みのりはそっと呟くと、風呂を上がった。






________________________________________




玄関の扉が、そっと開かれた。




「入っていい……ですか?」




みのりが顔をのぞかせると、ドレイクが少し驚いたように顔を上げたが、視線をすぐに逸らした。




マーリンが促すようにうなずき、みのりは魔道具を彼に返す。




「これ、ありがとうございました。壊してたらごめんなさい」


「いえ、ただの魔力切れです。よく聞こえていましたか?」




そのとき、ドレイクが激昂する。




「マーリン、貴様っ! 何をしてくれた!」


怒声が室内に響き、みのりは思わず身を縮める。だが、ドレイクはすぐに怒りを抑え、静かに腰を下ろした。




「知らない方がよかったこともある……」


「でも、それを決めるのは彼女です」




マーリンの言葉に、ドレイクは沈黙した。




________________________________________




ドレイクは語り始めた。


アルカトラ王国の第一王子として生まれたこと。継承を巡る争いの中で、弟の派閥によって追放されたこと。マーリンがその逃亡を助けてくれたこと。そして、流れ着いたリベルタで兵士として働き、みのりと出会ったこと。




みのりは、静かに話を聞いていた。




________________________________________




夜。眠れなかったみのりは庭へ出る。


月光に照らされたドレイクが立っていた。




「寒いだろう。中へ入れ」


「大丈夫。もう、平気」




そう言って近づくと、ドレイクがそっとみのりを抱きしめた。




「明日、俺はここを発つ」


「どうしても?……ついていっちゃダメ?…ううん、ごめんなさい」




みのりは悲し気にうつむく。




「でも、いつか会いに来てくれる?」


「……ああ。約束だ」




みのりは「良かった」と笑った。




「さよなら、ドレイク。…またね」


「……元気で」




約束が果たされる日は来るのだろうか。


もう二度と会えないのでは、みのりの心の中は不安で押しつぶされそうだった。




⁻⁻⁻




朝、目を覚ますと、窓から見える庭にドレイクの姿を探した。


……もう、いなかった。




「ドレイク……ドレイク……行かないで……」




ぽろぽろと涙をこぼしながら、みのりはその場に座り込んだ。


やがて、マーリンが外に出てきて、彼女の肩をそっと抱いた。




「よく頑張りましたね、みのり」


「マーリン様……私、なりたいものができました」


「……そうですか」




みのりの頬にはまだ涙の跡があったが、その瞳はまっすぐ前を見つめていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る