第5話 沈まない街

春が近づくにつれ、リベルタの街に漂う空気が少しずつ変化していた。

バザールの天幕には新しい色が加わり、香辛料の匂いと共に、陽気な音楽も流れ始めていたが、街の人々の表情にはどこか陰りがあった。


「そろそろ、あれが来る季節だな……」


洗濯を干しているバルコニーからそんな声が聞こえ、みのりは気になってドレイクに尋ねた。


「“あれ”って、何のことですか?」


ドレイクはしばらく黙っていたが、やがて静かに口を開いた。


「砂嵐のことだ。リベルタは何年かに一度、とんでもないやつに襲われる」

「……この街が、砂に埋もれるっていう……?」

「そうだ。六年前が最後だった。あの時は、街の半分が砂に飲まれた」


みのりは息を呑んだ。バルコニーから見える高い石の壁も、その時にはほとんど役に立たなかったという。


「俺はその時、外周警備隊に入ったばかりだった」


ドレイクの声が少しだけ遠くなった。


「昼も夜も関係なかった。風が渦を巻いて、砂が壁を越えてきた。あっという間に視界が真っ白になって、手を伸ばしても自分の手が見えない。仲間とロープでつながって、家々を掘り返して、取り残された人を探した」


彼はゆっくりと拳を握った。


「人間も獣人も、関係なかった。必死だった。救えなかった命がたくさんある。」


ドレイクが昏い目をして言った。


「じゃあ、今度も……来るんですか?」

「兆しはある。水脈が浅くなっているという話もあるし、北区の地下水も出なくなっている。あれは、前触れだ」


彼は空を仰いだ。


「この街が何度埋もれても、生き延びてきた経験がある。獣人の力もあるが、人間の知恵と団結もある。この街は沈まない。」

「……沈まない街……」


みのりは小さく繰り返した。

ドレイクの言葉には確かな信念が宿っていた。

その晩、みのりはドレイクの部屋で再び傷の手当てをした。犬の獣人に噛まれた傷は少しずつ癒えていたが、まだ深く赤黒い。


「花狂い、って言ってましたよね……あの時の獣人」

「……ああ。春が来ると、一部の獣人は発情期になる。その影響で情緒が不安定になって、理性を失う者もいる」

「みんながそうなるわけじゃないんですね?」

「ならない奴の方が多い。ただ、問題は“発情の相手”が見つからなかったり、欲求が制御できないと……時々、暴走する。それが“花狂い”だ」


みのりは眉を顰め、うつむいた。


「獣人の発情期…」


ドレイクはその言葉に、しばらく答えなかった。だがやがて、そっと言った。


「大丈夫だ。よほどのことがない限り、花狂いになる者はいない。それに――

俺がいる。必ず守る」


(この男(ひと)なら――守ってもらえるだろうか)


その夜、みのりはドレイクの言葉を胸に抱きながら眠りについた。

何があっても、この街で生きていく。ドレイクと一緒に。

それが、少しずつみのりの中で確信に変わっていくのだった。

 

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