第3話 花狂いと誓い
バザールを抜けて北区へ向かう途中、みのりはドレイクの斜め後ろを歩いていた。 休日の大通りは人で賑わっており、彼の背中を見失わないようについていくのに必死だ。街の北区は高級住宅街の一角に、高級店が立ち並ぶショッピングモールと綺麗な広場が整備されている。
(お菓子を買ってもらえるなんて…)
心の中では嬉しいはずなのに、どこか不安もあった。 北区――以前、自分が奴隷であることを強く思い知らされた場所だった。
だが、今日はドレイクがいる。 その背中が、何よりの心の支えだった。
店の前に着くと、ドレイクは微笑んだ。
「どれが欲しい?」
みのりは、ショーウィンドウの中の色とりどりの菓子を眺め、嬉しそうに指さす。 その顔を見て、ドレイクは素直に微笑んだ。
「すぐ戻る」
そう言って店の中へ入っていった。
奴隷であるみのりは北区の高級店には入ることが出来ない。“奴隷お断り“なのだ。北区の高級住宅街ともなれば、使用人を雇っているところも少なくない。箔をつける為か、こうした高級店は奴隷の出入りが制限されている。
みのりは街灯にもたれて待っていた。春の日差しが心地よく、風も穏やかだった。
――ドンッ!!ガシャン!
突如、何かが割れる音と怒号が響き、人々の悲鳴が広場を満たした。
振り返ったみのりの目に飛び込んできたのは、暴れる獣人たちの姿。 熊のような大柄な男と、犬のような若い獣人。
「花狂いだ……」 誰かがつぶやいた。
耳をつんざく咆哮。みのりは思わず耳を塞ぐが、その場から動けなかった。 気づけば犬の獣人がこちらへ向かって跳躍してくる――
逃げる暇もなく、みのりは目を瞑った。
ドンッ!
風が吹いた。
何かが弾け飛ぶ音。恐る恐る目を開けると、犬の獣人が遠くに投げ飛ばされていた。
「……ドレイク様」
隣にはドレイクが立っていた。
「すまない、間に合ったか?」
その言葉に答える間もなく、今度は熊の獣人が巨大なベンチを振り回し、こちらに向かって投げつけてきた。
ドレイクは片腕でそれを受け止め、逆に投げ返した。 ベンチは熊の頭に直撃し、その場に崩れ落ちる。
だが――
「ドレイク様! 血が……」
ドレイクの左腕から血が滴っていた。
「噛まれた。大したことない」
みのりはここが外であることも忘れ、ドレイクの左手をつかんだ。奴隷はご主人さまに触れたりはしない。遠巻きにしていた住人たちが、二人を見て、ざわざわと何ごとか言っている。みのりは、ドレイクにもらった服の白いリボンを外した。大きく長い綺麗なサテンのリボンだ。麻布の服ではあまりにも、と思ったドレイクが出かける前にプレゼントしてくれたものだった。鋭い爪のある大きな手で、器用に結んでくれた。それをみのりは惜しげもなく、ドレイクの傷口に当てる。
「じっとしててください」
ドレイクは、遠慮して後ずさる。しかし、みのりが眉を吊り上げたのを見て、抵抗するのを諦めた。狼の大きなしっぽが下に下がって、先ほどの勇ましさは影もなかった。みのりはリボンを包帯代わりに、ドレイクの傷口をしばった。白かったリボンにじわりと血がにじむ。痛そう、とみのりは眉根を寄せた。
「ごめんなさい。」
悲痛なほどの声音で、みのりは謝った。
「ミリィのせいではない。もう少し早く気づけば良かった。怖い思いをさせたな。」
ドレイクは優しくみのりの髪を撫でた。
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甘い香りと、晴れやかな街。 ただ、それだけのはずだった。
みのりが嬉しそうに笑ってくれた。その顔を見るだけで十分だった。
だが、あの瞬間。
獣人たちの咆哮、血の匂い。
本能がざわつく。
みのりが狙われるのを見た瞬間、体が勝手に動いていた。 彼女を傷つけようとするものに、理性など必要なかった。
「……噛ませて引き寄せたのは無謀だったな」
けれど、みのりが泣きそうな顔で手当てをしてくれた時――
(ああ、俺は……)
この子のためなら、何だって出来る。
そう、確信した。
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人だかりの視線が冷たい。
「もう一回店に行って、菓子を買ってくる。」
次は俺の番だったから、すぐだ。と言って、店に戻ろうとする。みのりは、店に向かおうとしたドレイクの右腕をつかんだ。
「ダメです。お菓子はもういいので、帰りましょう。すぐに手当てしないと。」
左腕からはまだじわじわと血が広がっている。痛いはずだ。いつの間にか、みのりは涙目になっていた。
「わかった。帰ろう、ミリィ」
その言葉が、どこか誓いのように響いた。
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