2話 契約彼氏、条件付き



次の日の朝、教室の空気が、いつもと違った。



「ねえねえ聞いた?」


「昨日さ……」



ヒソヒソ声の矢印が、何本もこっちに刺さる。


視線の先には、高橋涼と、その「ちゃんと付き合うことになった」子。


ふたりはいつも通り楽しそうに喋っているのに、今日はそこに、もう一本違う線が引かれていた。



―― 一ノ瀬 柊也。



廊下を歩いてくるだけで、空気が変わる。


スマホのロック画面にしてる子も、アイコンにしてる子もいるレベルの「みんなの推し」。


その本人が、昇降口で私の肩に腕を回して、

『“俺の”好きな子に、あんま変なこと言うなよ』なんて言ったものだから。



(やば……あれ、聞こえてたんだ……)



「ねえ昨日さ、見た?」


「聞いた聞いた、一ノ瀬くんマジ……」



断片だけが耳に入り、心拍数が上がる。


違う。


あれは、その場のノリというか、助け舟というか、そういう――。



「おはよ」



机に影が落ちて、反射的に顔を上げた。



「……え」



一ノ瀬柊也が、私の席の前に立っていた。


教室が、一瞬だけ静かになる。



「ちょっと借りる」



有無を言わせず、私のカバンの持ち手をひょいとつまんで、そのまま歩き出す。



「ちょ、ちょっと、一ノ瀬くん?」


「いいから」



振り返りもせずに言う声が低くて、妙に逆らえない。


ざわめく教室を背に、私は半分引きずられるように廊下に出た。


連れて来られたのは、屋上へ続く階段の踊り場。


誰もこない、コンクリートの匂いがする場所。



「……なに。昨日のことなら、その……ありが――」


「契約の話」


「は?」



いきなりすぎて、声が裏返る。


柊也は壁にもたれて、じっとこちらを見た。



「あのままだと、今日お前、泣きそうな顔で学校来ると思ったから」



図星すぎて、言葉が詰まる。



「だから、“彼氏いる”って形にしといた。高橋と、その彼女にわかりやすく」


「か、彼氏って……演技でしょ」


「そう。“契約彼氏”」



さらっと言うな。



「勝手に決めないで。私、頼んでないし」


「頼まれてない。俺が勝手にムカついただけ」



淡々と言い切ってから、人差し指を一本立てる。



「条件、出していい?」


「条件?」


「一つ。……いや、三つ」



心構えの暇もなく指が増えていく。



「一つ目。高橋に未練持たないこと」


「……っ」


「二つ目。あいつの前で泣かないこと。泣くなら、俺の前で泣く」


「誰が泣くか」


「さっき目、潤んでたけど?」



図星すぎて反論できない。



「三つ目」



柊也は、一歩近づいた。


階段の薄暗い影の中で、目がよく見える距離。



「人前で、俺が触ったり手ぇ繋いだりしても、振り払わないこと。演技だから」


「は!? なんでそうなるの」


「“推しレベルの彼氏できた女”って見せとかないと、スカッとしないだろ」



ニヤッともしないで言うから、逆に心臓に悪い。



「ちょ、ちょっと待って。本当にそんなのやったら、変な噂――」


「もうなってるよ。“昨日、一ノ瀬くんが肩抱いてた子”で」



容赦なく現実を突きつけられた。


そうだ。


あの昇降口、静かだったはずがない。


だったら、中途半端に否定したり曖昧にしたりする方が、よっぽど面倒くさい。



「……私に、メリットある?」



やっと絞り出した言葉は、それだった。


柊也は少しだけ目を細める。



「ある」



一拍置いて、数えるみたいに淡々と続ける。



「高橋、“勘違いしてた子”って思い込んで逃げたろ。でも“本当に一ノ瀬と付き合ってた子でした”になったら、ダサいのはどっち?」



喉の奥で、何かがつかえる。



「それともう一個」


「まだあるの」


「お前、昨日“ありがと”って言えなかったろ。ああいうの、俺は別に気にしてないけど。自分でずっと引きずるタイプっぽいから」



図星の連打で、足元がじんわり熱くなる。



「……契約期間は?」



やけくそ気味に聞くと、柊也は少しだけ笑った。ほんの少し、口角が上がる。



「高橋がちゃんと“終わった”って顔するまで」


「そんなの知らないし」


「じゃあ、とりあえず一週間」



短いような、長いような。



「その間、“本命に捨てられた可哀想な子”じゃなくて、“一ノ瀬柊也の彼女扱いの子”として見られる。悪くない条件だと思うけど」



それは、つまり――。



「……やりたくなかったら、ここで“なかったことにしてください”って言えばいいよ」



柊也は、わざと視線を外した。



「そしたら、俺がそれっぽくフォローする。昨日のは全部『冗談でした』って」



その選択肢は、とても優しい。


優しいけど、昨日の校舎裏の言葉を思い出す。



『お前、告白もされてないのに“彼女”面してたじゃん』



あの瞬間みたいに、また私だけが馬鹿を見る形に戻る気がした。



「……一週間だけ、ね」



気づいたら、そう言っていた。


柊也が、こちらを見た。


今度はちゃんと笑う。



「条件、守れよ」


「わかってる」


「じゃ、確認」



彼はゆっくり手を伸ばしてきて、私の右手を取る。


突然の温度に、肩がびくっと跳ねる。



「これ、放課後。昇降口でやる。振り払わないこと」


「っ……」


顔が一気に熱くなる。



「練習。……ほら」



離そうとしない。


階段の踊り場で、指先だけ繋いだまま、逃げ道を塞がれたみたいになる。



「そんな顔すんなよ。“契約彼女”」



からかうようでいて、声はやっぱり穏やかだった。


放課後。


約束通り昇降口で、柊也は自然な動きで私の手を取った。


ちょうどそこを高橋と新しい彼女が通る。


一瞬、目が合う。


柊也は気づかないふりをして、私だけに聞こえる声で囁いた。



「なあ、高橋より、ちょっとはマシだろ?」



心臓がうるさすぎて、うまく答えられない。



――“契約彼氏”なんて、冗談みたいな言葉に乗ってしまった。


その一週間が、私の人生をまとめてひっくり返すなんて、このときはまだ知らなかった。



――










今日も読んでくださって、ありがとうございます。

一週間限定の「契約彼氏」、このあとどうなるんだろう…と少しでも思っていただけたら、♡や☆、フォローでぽんっと背中を押してもらえると励みになります。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る