No.001 倉梯佳奈子

「あなたの人生を教えてください」


 佐々木が、倉梯くらはし佳奈子かなこに優しく問いかけた。


「私の、人生は……話したところで、おもしろくもなんともないですよ」

「おもしろくなくて構いませんよ。人生はおもしろく生きなさいと、誰かに言われでもしたんですか」

「いいえ。……そうですよね、おもしろい必要なんてないですよね。ましてや私の人生なんか」

「あぁ、そんな悲観的にならないで。僕は、あなたの話が聞きたいだけ」


 相変わらず、佐々木の足元は濡れていた。寒そうに見えるが、ここは季節も気温も何にもない、ただの空間であるため、何かを感じることはない。


「私は……」



 私は、割と恵まれている人間だったと思います。両親も、兄も、私のことをとても大切にしてくれました。本当に、幸せな人です。だというのに、私はふと、生きていたくなくなるんですよ。どうしてなのかは、分かりません。


「本当に分かりませんか。僕は、あなたの全てを知りたい。どうか、教えてください」


 ……なんてことない、普通の日です。その日はバイトがあったくらいで、あとはいつも通り家に帰って勉強をして、時間になったらバイトに行くつもりでした。そうしたら突然、目の前が真っ暗になったんです。


「それは、どうして?」


 死にたくなりました。死んだら、全部のことから解放されると思ったんです。

 私には、殺したい人がいました。バイト先の、いわゆるお局と呼ばれる人です。私は、その人を殺すことばかり、最近は考えていた気がします。

 私が死ぬよりも、あの人を殺した方が、世間は少し平和になると思ったんです。だからずっと、目を閉じては、あの人を殺す想像ばかりしてました。


「実際には、殺してはいない?」


 はい、そんな物騒なこと、私にはできやしませんでした。いつも想像どまりで、刺そうと思って持ってきたハサミは、いつもポケットに入れたままでした。

 ……そんな日々を繰り返していたからでしょうか。気が付くと、夢と現実の境が分からなくなって、いつかあの人を殺してしまっても、ああ何だ夢か、と安心してそのまま終わってしまう気がしたんです。


「殺したかったのでしょう? どうして、夢だと分かると安心するのですか」


 殺人鬼の家族と呼ばれ、両親や兄に迷惑が掛かるのが怖かったんです。でも、怖いのに、私は夢の中であの人を殺し続けていました。死ぬまで永遠と殺しが続くのならば、いっそ早くに死んでしまいたくなったんですよ。


「なるほど。バイト先に相談はしなかったんですか」


 相談できるような環境ではありませんでした。


「そうですか、それは残念ですね」


 佐々木さんも、そう思いますか。たったそれだけのことで死ぬなんてもったいないって、思いますか。


「いいえ。あなたは選ばれた子どもですから、あなたの考えは全て正しいと思いますよ。優しいあなたは、誰かを殺す前に一人で死んだ。素晴らしい勇気だと思います」

「……ありがとうございます」

「他に話したいことがあれば、どうぞ話してください」

「特には、ないです。……あの、私の死は正しかったということでいいのでしょうか」


「正しくないわけがないでしょう。選ばれた子どもは胸を張って、その事実を誇るべきです」


 水溜まりに入ったような音を立てながら、佐々木は歩く。バシャバシャと、水が跳ねる。倉梯は、そんな彼の手を取って椅子から立ち上がった。


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あなたは選ばれた子どもにならないで 仁井なざくら @nzakura

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