あなたは選ばれた子どもにならないで

仁井なざくら

No.■  佐々木次郎

 ――彼の名前は、佐々木ささき次郎じろうという。

彼は、『選ばれた子ども』を迎え入れる、心優しき人間しにがみである。



「私たちは、自らの意思で死を選んだ人を、「選ばれた子ども」と呼びます」


 ……選んだのに、選ばれたとは一体どういうことか。

 しかし、彼らは確かに選ばれた子どもなのです。


「死を選び、死に至る勇気を、彼らは授かったのです。何者かに選ばれて、その勇気をもらった。その何者かの正体は分かっていませんが、確かに彼らは選ばれたのです」


 冷たい風が頬を撫でる度、傷が増えていったでしょう。加害者を傷つけられないから、被害者は被害者のまま死ぬことを選ぶのです。本当に優しい子ですね。


「その子が本当に優しかったか? そんなの知りません。でも、選ばれた子どもは、優しくないといけません。この世を何も知らないのですから、本当の人の傷つけ方なんて、分からないんです」


 誰にも分ってもらえない苦しみを、目の前が真っ暗になるまで抱え続けるのは、ひどくつらかったでしょう。


「良い子は、良い子に死ぬんです。たとえるなら、誰も悪役にせず消えていく悪役なんです。ええ? どうしてその子も悪役なのかって?」


 それは、世間でいうところの哲学になってしまいますが……この世に主人公という存在はいないのです。みんなが悪役として生きていかなければ、世界は回りません。死んでからやっと、善人になれるのです。人間が善人か悪人かは、死んでからではないと判断できないものなのです。


 そう、人は死んでから人になれる。


 死んでやっと、自分の人生を振り返ることができる。

 だから、選ばれた子どもはここにやって来るのです。


 死んで何も感じなくなった自分が、自分の人生を客観的に見つめるために。

 自分に「死」という選択肢ができた理由を探すために。

 ――今度は、「選ばれた子ども」にならないように……。


「僕の名前は、佐々木次郎です」


 薄い体つきの青年―—佐々木が、微笑んだ。白い襯衣シャツに黒いスラックス姿の彼は、青年であるにもかかわらず、どこか幼く見える。靴も靴下も身につけておらず、裸足の足元はスラックスの裾と共に濡れていた。

 佐々木が歩いたところは、まるでプールから上がったときかのように、水で足跡が作られていく。その水を辿れば、柔らかそうな椅子があって、佐々木がそこに座るよう、静かに促してくる。


「では、あなたの人生を教えてください」


 そんな佐々木からは、少しだけ潮の匂いがした。

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