翌朝 二
「女将さん達のところに行っててさ、まだ戻らないんだよね」
俺達を部屋に通しながらいずみが心配そうな声を出す。
祭りの準備で何かトラブルがあったようで、早朝に呼び出されたそうだ。いずみにはすぐ戻るから、と言って出たそうだがもう一時間以上経っているらしい。
そろそろ食堂に行かなければ朝食の時間が終わってしまう。美咲には悪いが先に行っていようか、と話していたところにようやく美咲が戻ってきた。
「待たせちゃってごめんねー! ご飯食べに行こ! もうお腹ぺこぺこ」
美咲は朗らかに言うが、表情に疲れの色が見えた。いずみが心配そうに声をかける。
「もう大丈夫なの? 何があったの?」
「それがさあ、聞いてよ!」
美咲が眉根を寄せてボヤくように話し出した。
朝、社守である山治さんが日課であるお社の掃除に出向いたところ、社の周りが荒らされていたとのことだった。今日が祭り当日なことと無関係とは考えられないということで関係者に招集がかかったそうだ。
「えっ、何それヤバいじゃん!」
「ね、ヤバいよね! 荒らされてるって言っても池の周りの土が掘り返されたみたいにボコボコになってて、池にちょっとゴミが浮いてた程度なんだけどね。お社自体は無傷。イタズラだとは思うんだけど、これまでそんな事件が起きたこと無かったからパパも村のみんなも大騒ぎでさー。結局、誰がどうしてやったのかはっきりした結論は出なくて。まあ犯人が捕まってないから当たり前なんだけど。大きな被害は出てないし、祭り自体に影響はないだろうから用心だけして予定通りやりましょってことで解散になったんだ」
美咲は食堂への廊下を歩きながら説明する。他の宿泊客に聞こえないように声を落とし気味だ。
「悪いことする奴がいるねー。最悪! ゴミ撒くとか性格終わってるよ」
いずみが自分のことのように憤慨する。怒っていても声のトーンを落とすことは忘れない。
「ねー。でも、御磯様が傷つけられなくて良かった。今日はお祭りだから、御磯様は海に出ててお社は留守なんだ」
「空き巣ってことじゃん! 不届者だよ、バチが当たると良いね」
美咲があっけらかんとしているせいか、いずみも軽い口調になった。お社の中には侵入していないから空き巣ではないと思う。
「ゴミって何が撒かれてたんだ?」
「何かの動物の毛みたいなものって言ってました。父もですけど他の皆もピリピリしててあんまり詳しく聞ける雰囲気じゃなかったんで、正確なところは私も知らないんですけど」
「犬とか猫とかのをわざわざ毟ってきてばら撒いたってこと? やだーキモい」
いずみが自分の腕をさすって身を震わせる。自分も同感だった。生々しいというか、イタズラなんて言葉では片付けられない気持ち悪さがある。まともな人間のすることじゃない。
「うん、気持ち悪いよね。犯人探しするとしてもお祭りが終わってからになっちゃうかな。絶対捕まってほしい」
色々と心配にはなったが、関係者の美咲がこうして落ち着いているのだから、部外者である自分達が下手に気を揉んでもしょうがない。ご飯を食べて気持ちを切り替えようとのことで、俺達は案内されたテーブルについた。
ここまで口を挟まずにぼんやりとしていた風斗も、さすがに食欲をそそる料理の匂いに反応して瞳を輝かせた。
女性陣の明るさに引き上げられて、俺と風斗の空気感も次第にいつも通りに戻っていった。風斗はお気楽に、俺はそんな風斗に辛辣に。でも、気持ちいつもよりは優しめに。
朝食はビュッフェ形式だった。既に泊まり客で賑わっていた。昨晩は温泉にも入りに行かなかったし食事も部屋でだったからあんまり実感がなかったけど、やっぱりこの旅館は人気らしい。客の年齢層は比較的高めで中高年層が目立つ、小さな子供は見当たらない。温泉や秋祭りに喜ぶキッズは少ないのかもしれない。
「この後屋台回るから控えめにしようかなー」
なんて言いながら、いずみは皿に焼き魚や海鮮サラダをたっぷり盛り付けていた。人が食べていると美味しそうに見えるもので、特に好きでもないのに俺も同じものを食べたくなって皿に取った。
美咲はいずみよりもたんまり皿の上を賑やかにして、風斗はその更に倍ほどの量をテーブルに並べた。
そうやって、せっかく昨日以上に楽しい食卓だったのにすぐに水を差されてしまった。食堂の入り口の方から男の怒鳴り声が聞こえてきた。朝から元気なことだ。
美咲が心配そうにそちらを伺う。女将さんや馴染みの従業員のことが心配なのだろう。いずみの顔も曇ってしまった。
不快な声の主はそのまま食堂に入って来た。その後ろを配偶者らしい女性が俯きがちに付き従う。男はまだ何やら唾を飛ばして毒づいている。ヨレたスウェット姿の小柄な中年男だった。食事中だった他の客達も男をチラチラ見ている。浅黒い肌にボサボサの短髪で、威嚇をするようにギョロついた目を忙しなく動かし周囲を見渡している。男が席にどっかりと座ると、連れの女性は料理を取るために一人そそくさとビュッフェテーブルに向かって行った。
食堂内に満ちていた和やかな空気が一気に台無しになってしまって、話していた話題はすっかり吹き飛んだ。何となく気まずい沈黙が場に降りる。
「あっ、あの人……」
一人手を止めずにもそもそと食事を続けていた風斗が顔を上げると呟いた。
「は? 知り合いか?」
「違う違う、あの人、昨日僕が温泉出た時に脱衣所で旅館の人と揉めてたんだよ。刺青入れてるらしくて、温泉には入れませんって断られたのを怒って旅館の人に怒鳴ってた」
口の中のものを飲み下して風斗は続ける。心なしか、周りのテーブルの客達もこちらに聞き耳を立てているような気がした。
「怖かったから僕はすぐに脱衣所出て、その後どうなったか知らないんだけど。刺青入れてたら温泉施設の利用はダメですってちゃんと注意書きあるのにね。日本語読めない人なのかな」
「バカが! 声がでかい」
俺は慌てて風斗の後頭部に拳骨を入れた。風斗は盛大に咳き込む。
「オイ聞こえてんぞ!」
男が勢いよく自席を立ってこちらに身体を向けた。まずい。女性陣だけでも守らないと。俺は腰を浮かす。
「お客様」
俺達のテーブルに辿り着く前に、山治が男の背後から声をかけた。落ち着き払った声色だった。
「あ? 何だ……よ」
男は振り返ると明らかにトーンダウンした。そりゃそうだよな。山治と並ぶと、小柄な男は更に小さく見えた。二人が並ぶとまるで親子だ。
落ち着いて別室でお話ししましょう、と男は連れ出されてしまった。男は入って来た時とは別人のように大人しく従って行った。テーブルに戻って来た女性は男を追いかけることもなく、一人黙々と食事を始めた。
「静かになって良かったねー」
自分の失言が無かったことのように、風斗はまたもりもりと食事を片付け始めた。デカめの舌打ちをしてしまう。
「お前マジで空気読んでモノ言えよ次やったら殺すぞ」
「えっ、僕変なこと言った? あの人うるさかったじゃん」
「はー、マジで殺してえ」
こいつのデリカシーの無さ、本気でもうちょっと何とかしないといけない。少しは優しくしようという殊勝な気持ちは吹き飛んでしまった。もう一発か二発殴っておこうかと思案していると、いずみがくすくすと笑い出した。
「下手に絡まれなくて良かったね。守ろうとしてくれてありがと、聡太」
「ダメだよ風斗くん、気が立ってる人に聞こえるような声であんなこと言っちゃ。日本語読めないのかな、って言葉は悪口に聞こえちゃうんだから」
美咲が幼児に言い聞かせるように風斗を
食堂のヒリついた空気はすぐに元に戻り、他の客達も何事もなかったように食事を楽しんでいる。
美咲が中座して従業員にさっきの男のトラブルについて聞いて来た。廊下で電子タバコを吸っていたのを注意されて激昂したらしい。そんなつまらんことであんなに怒鳴り散らしてたのか良い歳した大人が。イキった中学生かよ。
俺達が食事を終えて部屋に引き上げる頃、男が再び食堂に入ってきた。強面の山治が毅然と注意をして少しは反省したのかと思いきや、男は横柄な口調で連れの女性に声をかけていた。さっきより上機嫌まであった。風斗がまた余計なことを口走る前にと思ってその場を離れたが、こっちを恫喝しようとしてた奴がデカい顔をしているのは正直不愉快だった。旅館としてはあんな奴でも客は客だから、無下にはできず旅館側が相当下手に出たのかもしれない。世の中、そうそうスカッと話にできるような展開にはならない。
連れの女性もよく我慢しているもんだと思う気持ち、反抗できない立場に共感してしまう気持ち、どちらも湧いてきて嫌になる。もし次に絡まれたら今度こそ叩きのめしてやりたい。親に反抗できなかった未練をあいつで満たそうとしている自分がいる。
「部屋、戻ろ?」
暴力的な妄想が膨らみかけていた俺の手を、いずみの柔らかい手が握ってきて我に返る。怖い顔をしてしまっていたかもしれない。危うく、折角の旅行をくだらないことで浪費してしまうところだった。
「ああ、戻ろう」
いずみの手を強く握り返す。前を向く。後ろは振り返らない。廊下の窓から差し込んでくる光は眩しいくらいに明るい。
この手がある限り、俺は光の中に進んで行けるのだ。
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