翌朝 三
食後は部屋で少し休憩して、荷物を纏めてチェックアウトのためにフロントに向かった。風斗はフロント近くの売店をフラフラ覗きに行った。
フロントでは、俺が来たことに気づいていない女将が中年の仲居さんを相手にヒソヒソと話していた。ずいぶん険しい顔をしていたが、俺に気づくと「おはようございます」と別人のような営業スマイルに変わった。話し声の中にお
「朝はお社が大変だったそうですね」
「はい? あ、美咲ったら余計なこと言っちゃったのね。もう、大事なお客様なのに! 大丈夫です、片付けも済んで今は綺麗な物ですよ。ご心配おかけしました、不安にさせてしまってすみません」
ついつい野次馬根性が出てしまった。いきなり切り出した俺に、女将はホホホと口元を隠しながら笑う。
「ゴミを撒かれたって聞きました、毛? みたいなものが浮いてたとか。ひどいことする奴がいるんですね」
「そうなんです。気持ち悪いったら! ……ここだけの話なんですけど……」
「はい?」
踏み込んで聞いて嫌がられるかと思いきや、やはり話し好きらしく向こうから教えてくれた。何でも、動物にしては長すぎる毛がお社周りの水面に浮いていたらしい。しかも、水面が見えなくなるほど大量に。
「じゃあ……人間の?」
思っていた以上に狂気的な状況だったことに、自分から話題を振っておいて引いてしまった。
「そうとしか考えられないですよー。今日は祭りでみんなバタバタしちゃってますけどね、終わったら絶対に犯人を捕まえてやります! 御磯様はこの村の誇りなんです。そのお社をあんな風に汚して! 相応の償いをさせなきゃいけません」
頬を膨らませる表情は、やっぱり雰囲気が美咲に似ていた。だが俺はそれよりも、女将の有り体に言えば能天気な反応が気にかかった。髪の毛を「大量」なんて言葉じゃ生易しいくらい夥しくばら撒くという異常行動を取る犯人に対して、嫌悪感はあれど恐怖感が一切感じられない態度に違和感を持った。相手がどんな危険人物かもわからない、反抗がエスカレートしない保証もない。なのに何故こんなに強気でいられるんだろう。女将の性格が楽観的なだけなのだろうか。それとも、相手が狂人であろうと平気だという何らかの拠り所があるのか。伴侶の山治が強面であるというだけでは説明がつかない気がした。
知りたいと思ったが、会話はそこで打ち切られた。「ごめんなさい、お喋りしすぎちゃいました」と女将がチェックアウトの手続きに戻ったからだ。これ以上仕事の邪魔をしてはいけないと思った。どうせ祭りが終わればこの村を出るのだ。気にしてもしょうがない。
「お世話になりました。すみません、荷物預かってもらっちゃって」
「いえいえ。楽しんできてくださいね!」
荷物は祭りが終わるまで旅館で預かってくれるとのことだった。女将は美咲と同じ笑い方をして送り出してくれた。車も駐車場に置いたままで良いとのことでありがたく甘えることにした。
とはいえ、祭りは午後からだ。それまでの時間をどう潰そうか。今から車で観光するには短く、旅館の売店を見て過ごすには長すぎる。飯は屋台で食べる予定だし。
いずみ達は荷造りに時間がかかっているようでまだ降りてきていない。時期に来るだろうから、それまで少し旅館周りの散策でもしてみるか。
外に出ると、ひんやりした潮風が頬を撫でていく。空は高く澄んでいて、鳥の一羽も飛んでいない。
旅館の前には大きめの通りがあり、南西に進むと港前広場に、反対の北東側に上がって行くとお社のある丘に出るらしい。お社の実物を見学してみたかったが、供物台の準備の最中かもしれない。迷惑にしかならなさそうだなと諦めるも、かと言って港前広場の方は正にこれからいずみ達と行く場所だし先に見てしまっては回る楽しみが半減しそうだ、さて。
ノープランで出てきてしまったなと周りを見渡して、ふと北東側の道に、車の一台も通れなさそうな細い路地があるのが目に留まった。未舗装で、裏手にある岩壁と旅館の間に入り込むようにひっそりと続いている。そんな道を歩いたところで観光気分が満たされることはないだろうが、建物の周りをぐるっと回る散歩としては手頃に思えて足を向ける。
小道の入り口から想像したよりも岩壁との間は広く取ってあるようだった。旅館の室外機や従業員用入り口、配管などが並ぶなんてことはない風景だ。宿泊客を歓迎する非日常の表側から、生活感溢れる日常生活に引き戻されるようだった。視覚としてはそうだが、踏みしめる土の感触や鼻腔に入り込む潮の香りは未だに新鮮だった。ここは現実と非現実のあわいだ。
どちらにしろ予想を大きく外れない……と思いきや、異質なものが視界に入った。表側からは見えない旅館の真裏の位置に、一軒の小さな黒い建築物が建っていたのだ。位置からして旅館の敷地内で、真四角なコンクリートで造られた見た目は「倉庫」や「物置」と呼ぶのが一番しっくりくる気がする、まあ長年宿屋を運営していたらそれなりに保管しておかなければいけないものもあるだろうから別に不思議じゃない。
ただ、あっておかしくない建物ではあるが、建っている場所が少し変わっていた。池の中央に建っているのだ。建物の周囲を水がぐるりと取り囲んでいて、入り口前にだけ橋のような足場があり出入りできるようになっている。
「コレって……」
どこか見覚えがある。いや、この建物そのものは初めて見た。ただ、似たようなものを最近どこかで見た気がする。これと同じように、物寂しい印象の……
「あっ、兄ちゃんここにいた! 探したよー。置いてくなんてひどいじゃん」
後ろから声がかけられて思考が中断される。そういえば売店を覗いていた風斗をほったらかして来たんだった。すぐ戻るつもりだったのと、風斗なら雑に放置して良いだろうと思ったのと半々だ。
「あれ、この建物」
風斗が俺の肩越しに黒い建築物を眺めると、すぐに俺の引っかかりを解消してくれた。
「美咲ちゃんのスマホで見たお社もこんな感じだったね。水のど真ん中に、でーんって」
そうだ、お社だ。あれも水の上に建っていた。昨日見せられた画像が一気に蘇る。答えに辿り着いてしまうと、何故思い出せなかったのか不思議なほどだった。風斗の記憶力の良さがこんな風に役立つこともあるんだな。思い出せてスッキリすると同時に、俺や風斗では解消できないであろう疑問が浮かんでくる。
何故、旅館の裏にお社と似た条件で建てられたものがあるのか。しかも通りの表からは見えず、隠すようにして。素直に考えるなら御磯様や社守の仕事に関係あるものが中にあるんだろう。それにしたって、どうして水を張る必要が?
改めて目の前の黒い建物を見つめる。随分白く褪せていた。海沿いだから劣化が進むのは当たり前ではあるが、旅館よりも小まめなメンテナンスはされていないようだ。どうしてここだけが? ここにはなるべく近づきたくない、触れたくない理由があるのだろうか。
この橋は現実との境界線を越えるためのもので、実は中には異世界が広がっているのかもしれない。迂闊に近づいて、扉を開けた者から引き摺り込まれるのだ。そんな妄想が捗る程度には、妙な怪しさのある建物だった。記憶にあるお社の画像に感じた禍々しい印象がそれを手伝った。
建物の正体を本気で知りたいと思うなら美咲に聞けば良い話なんだが、何だか憚られる気がした。見てはいけないものを見てしまって、知られたら咎められるように思えた。注意書きを見逃してしまっただけで、ここらは関係者以外立ち入り禁止なのかもしれないと思い始めてきた。
「兄ちゃんこんなとこで何してたの? 迷子?」
「うるせえな散歩してただけだよ」
「散歩してて迷子になったんだ」
「迷子じゃねえよちゃんと戻れるわ」
俺はここに余暇を楽しみにきたんだから、よくわからないものに関わるのはよそう。見なかったことにしようと思い、風斗に言い返しながら来た道をそそくさと戻った。旅館に入ると、チェックアウトを済ませていたいずみ達が待ち構えていた。
「やっと戻ってきた! 見当たらないから電話しようと思ってたとこだよ」
「すまんすまん。いずみ達いなかったから、ちょっとその辺を散歩してた」
「女子は色々と準備に時間かかるの」
言われてみればいずみは朝食の時よりも念入りにメイクをしている気がした。格好自体はラフなシャツとズボンだが、頬の明るさや唇の艶はそれに合うように計算された質感なんだろうな。すっぴんの時のいずみも好きだが、メイク姿は恋人に対してというより職人芸への尊敬という方向の賛辞が出てしまう。褒め方があまりにも下手だといつも怒られる。今日も例にもれず男子としての心得の無さを嘆かれているところに女将さんと話し込んでいた美咲が合流し、少し早いが港前広場に向かうことになった。
「屋台の準備は朝からしてるから、もう結構人が集まってると思うよ。ゆっくり歩いて行けば良い時間になるし」
「いよいよだね! 早く行こう」
美咲といずみが先を行き、俺達がその後に続く。車道の白線は掠れなくくっきりと引かれ、端に雑草の一つも生えていない。整備されたガードパイプの歩道側をぼちぼちと歩く。天気は良好、気温も快適。
地獄への道は
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ぬばたまの、 惟風 @ifuw
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