宿の夜

 夕食は俺達の部屋に四人集まって食べた。隣に座る風斗は風呂上がりに備え付けの浴衣を着込んでいたが丈が足りておらず、何とも間抜けな格好になっていた。俺はもちろんいずみや美咲もまだここに到着した時の服装のままだった。美咲は父親の手伝いの時に髪が邪魔だったのか、高めの位置でポニーテールにしていた。今日一日で慣れたはずなのに髪型が少し変わるだけで新鮮に「綺麗な女性だな」という感想になった。映画やドラマで観る女優に対して感じるのと似た感覚だった。

 美咲の露わになった白い首筋や顔を動かす度に軽やかに揺れる黒髪の毛先を、対面の風斗がチラチラと盗み見ている。気持ちはわかるがもっとこっそり見ろよ、と思った。

 四人分の造りが乗った舟盛りが座卓の中央に並べられると、歓声を上げて各自何枚も写真を撮った。蒸し物、揚げ物に鍋物も出され、俺は温泉を楽しめなかった分を取り返すように箸を動かした。普段のジャンクな食事では得られない旨味と栄養素がぎゅっと凝縮されている気がした。そこまでイケる口じゃないけどビールも開けて、頬が緩む。普段は缶でしか飲まないのを瓶にするだけで、味が格段に美味くなる気がするから不思議だと思う。こればかりは未成年の風斗に横取りされることがないから、量は飲めなくても俺は酒が好きだ。

 会話もそこそこに食べ進めていると、旅館の名前入りの作務衣を着た男性が入ってきた。かなり恰幅が良い。美咲の父親だった。女将さんとは対照的に寡黙な印象の人で、よく日に焼けた顔が四角い輪郭のせいか岩を連想させた。背も高く、風斗が見劣りするくらい迫力のある体格だ。“大将”と呼びかけるのがあまりにもしっくり来る。


深野ふかの山治さんじと申します。娘がお世話になっています」


 美咲の父はよく通る太い声で挨拶をした。口調は優しいが、表情はにこりともしない。大声を出しているわけでもないのに威圧感があった。美咲は大部分が母親似なのだなとこっそり思う。でも厳しい雰囲気に気後れしそうになっているのは俺だけだった。

 無表情にしか見えない父親に、美咲は嬉しそうに話しかける。山治は言葉少なにひたすら頷いて耳を傾ける。今日ここに来るまでのドライブが楽しかったこと、昼間に寄ったサービスエリアで両親にお土産を買ってあること。一生懸命に喋る姿は俺達と話す時よりも幼く、しっかり者の深野美咲じゃなく一人娘の“美咲ちゃん”だった。

 娘の美咲はともかく、いずみまで山治に軽い調子で料理の感想などを話している。友人の親だから気安く思うのか、普段の接客経験で他人とのコミュニケーションが上手いのか、どちらだろう。風斗に至っては誰のことも気に留めず食事にがっついていて論外だった。


「パパは御磯様のやしろもりもしてるの。お祖父ちゃんもひいお祖父ちゃんもやってて、代々引き継いでってる家系なんだ」


 山治が退室してから、美咲が自慢気に言う。ビールが早速回ってきたのか、ほんのりと頬が赤みを帯びている。


「やしろもり、って」

「お社の掃除したりとか管理する人のことだ」


 風斗が馬鹿面で言い終わる前に質問に答えてやった。箸で人を指そうとするのを何とか阻止する。こういう場面で無駄にハラハラさせられるから、こいつと同じ空間にいるのは嫌なんだ。折角の食事が不味くなる。幸い、特に気分を害した様子もなく美咲は俺に向かって続ける。


「そうですね。あと、お祭りの責任者もやってるんですよ。お社の管理よりそっちの方が大変みたいで」


 いかにも人の上に立ってまとめ役をするのが似合いそうな人だ。祭りの責任者ということは、村の中でも影響力がある存在なのかもしれない。


「なら明日は忙しいんだろうな。今が一年で一番忙しいんじゃないか?」

「本番ですからねー。毎年この時期は一番ピリピリしちゃってるかもです。普段はもっと喋るしもう少し優しい感じなんですよ。怖そうな見た目してるんで誤解されやすいんですけど、映画とお酒が好きなただのおじさんです。まあ、怒ったら迫力ありますけど」


 あの仏頂面が柔和な表情を見せる場面が全く想像できない。怒る姿はいくらでも思い描けるんだが。でも美咲の懐き方からして、家では本当に良い父親なのだろう。相手によって見せる顔が違うのはどこも同じなんだな。

 親に対しての感覚は一生美咲に共感できないだろうなと思う。風斗はどうか知らないが、尊敬・親愛・誇らしさ、そういったものを俺は両親どちらにも感じない。


「社守のお仕事、いずれは美咲ちゃんが継ぐことになるの?」

「うん!」


 もちろん、とでも言いたげに美咲は風斗に向かって大きく頷く。酔っているせいか動きが大きい。その返事だけで、美咲の中での父親や村の存在の大きさを推し量るに十分だった。よほど温かい家庭環境で育ったんだろう。こういう娘だからこそ、余裕を持って風斗みたいな奴にも優しくできるのかもしれない。


「毎年お祭りの手伝いしながらちょっとずつ社守の仕事について教えてもらってるの。結構力仕事だから今のうちから身体鍛えとかなきゃいけないんだよね」

「そっかあ、じゃあゆくゆくはこの村に帰ってくるんだね。寂しくなっちゃうなあ。僕ずっと美咲ちゃんと一緒に働きたい」

「まだ大分先の話だよー。パパ病気したことないし、見た目通り頑丈だから!」


 そこは婿入りして一緒にこの村に住む、くらいの気概を見せろよと思った。風斗がここに骨を埋めてくれたら俺の人生はずっと自由になるのにな。いずみと美咲の仲の良さを思えば、お互いに家庭を築いたとしても良好な関係を保てて理想的だ。美咲がいてくれれば風斗の暴走も俺より抑えられそうだし、甘っちょろい性根を親父さんが厳しく鍛えてくれたら言うことはない。酔いも手伝って、妄想はどこまでも自分に都合良く加速していく。現実的でないことぐらいわかっている。美咲の風斗への態度はどう見ても友達止まり、しかも二人きりで遊ぶほどの仲じゃない程度の親しさだ。にこやかに相手をしてはいるもののどこか一線引いていて、恋愛感情なんかこれっぽっちもない。それに気づいていないのは風斗くらいだろう。

 でも、今日くらいは夢見ることを許してほしい。非日常で浮かれているのだ。


「美咲ちゃんは今日いずみちゃんと同じ部屋に泊まるの? 実家の方に泊まるのかと思ってた」

「そうだよー。お客さん側として客室に泊まってみたかったんだ。それにいずみも一人じゃ寂しいもんねー」

「うん寂しいー」


 酒に酔った美咲と、同じく酔ったいずみが顔を見合わせて頷きあう。いずみの頬も赤くなってきている。微笑ましくて和む。そんな二人のグラスにビールを注いでやり、お返しにいずみが俺に注いでくれる。


「お酒飲める人達は楽しそうで良いよなあ。僕も早く二十歳になりたいよ」


 風斗が心底羨ましそうな目で俺達を見る。グラスの中身は一人だけ烏龍茶だ。こいつが飲めない年齢の間に、とことん酒席の場を堪能しておこうと改めて心に決める。でもほんの少しだけ、今のこの気分を同じように楽しめない風斗が可哀想だなと思った。それぐらいに俺は酔って上機嫌だった。開けた窓から海風が入り込んでくる。高まり過ぎた部屋の熱気を心地良く冷ましてくれる。

 風斗が隣にいるのにこんなに気持ち良く過ごせる夜は初めてだった。


 そして、これが最初で最後の幸せな夜になった。

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