嘘、秘密、隠し事

 テーブルの片付けをしてから、女性陣は売店の土産物を覗きに行った。その間に、俺は風斗をトイレの手洗い場まで連れて行ってやった。トイレ自体はそこそこ混んでいたが、風斗が手や口を洗うだけのスペースには困らなかった。


「うはー死ぬかと思ったあ……」


 口調は弱っているが、風斗の顔色は元に戻っていた。口を濯ぎ、無駄にでかい身体を折りたたんで顔を洗ったらすっかりいつもの調子だ。毎度のことながらハンカチを忘れてきた弟に自分の分を投げて寄越す。雑に顔を拭うとスッキリしたようで、風斗はノロノロとした足取りでトイレを後にした。さすがに今くらいは手は出さずにいてやるかと背中を見守る。ハンカチは風斗のズボンのポケットに捩じ込まれた。

 売店の前にはベンチとテーブルがいくつか並んでいるが、どれも埋まっていた。風斗は座りたそうに眺めてから、すぐに諦めて施設横の自販機に向かう。飲料だけでなくアイスの自販機も並んでいる。


「こっちのカフェオレね」


 俺が買うのが当たり前のように風斗が商品を指差す。無視して俺は微糖の缶コーヒーを買う。あ、やっぱ僕もソレにする。それを聞き届けてからやっと俺は風斗の分のボタンを押す。こいつはいつも俺と同じモノを選ぼうとする。横取りされるよりはマシだと自分に言い聞かせる。

 重たい音を響かせて缶が取り出し口に落ちてくる。速く取れよグズ。爪先で風斗の足を蹴り上げる。へーい、と気の抜けた返事が返される。

 自販機横に設置されたゴミ箱は缶やペットボトルでいっぱいだった。一部溢れているくらいだ。俺は壁にもたれて、風斗は隣でしゃがみ込んでプルタブを開ける。

 通り抜ける風がからりと頬を撫でていく。爽やかな日差しにさっきほどは心躍らない。

 横を見下ろすと、ちょうど顔を上げた風斗の視線とぶつかった。かける言葉をはっきり決めていなかった気まずさを缶を傾けて誤魔化す。風斗にいつも通りに振る舞われるほど、こっちの調子がおかしくなる。早く自分の中の不安を解消してしまいたい。不気味な現象に気づかないフリをして、この先の旅を楽しめるとは思えない。

 多少長引いたとは言え、水でせただけだ。死ぬなんて大袈裟すぎる――といつもなら気にも留めないところだが、目撃したものの光景が頭にこびりついていて離れない。死ぬ、とまでは思わないが異常事態には違いない。


「お前、さっき何吐いたんだよ」


 呑気顔の風斗に単刀直入に聞く。声が震えないように。何とも思っていない感じに聞こえるように。必死に冷静を装っている自分に気づいて嫌になる。こんな奴を本気で心配するな。取り乱すな。


「それがさあ、わかんないんだよねえ」

「は?」


 誤魔化しているというより、本当にわからないのだというような答え方だった。


「いや、吐いたものくらいさすがにわかってるよ。何か毛の塊みたいなの。それがいつお腹に入ったか、わかんないってこと」


 風斗はコーヒーを飲み干しながら太い親指と人差し指で小さく丸を作って見せる。吐いたモノの大きさを表している。その穴を通して俺を見上げる。

 吐いた本人よりも俺の方が動揺しているのはどういうことだ。何でそんな落ち着き払っているんだ。段々イライラしてきて、俺は風斗の足を少し強めに踏んだ。風斗は動じない。


「やだなー怒んないでよお。実はコレ、初めてじゃないんだよね」


 風斗は自分の短い髪を摘んでニヤニヤする。洗顔のついでに濡れた毛束が陽光を吸い込んで反射する。ヘラヘラして答える姿が憎たらしかった。こいつはこちらが真剣に話していてもこうだからいちいち神経を逆撫でされる。俺はもう一度「は?」と言ってもう一度風斗の足を蹴った。


「いつからだったかなー、すごいストレスかかった時に、たまにね」

「……ストレスって具体的にどんなんだよ」

「えーっと……受験とか? あと、高校の時に振られたことあって、そん時とかかな。あんまり覚えてないや。無意識に自分で髪毟って食べちゃってんのかもしんないね、寝てる時とか。自覚無いけど。そんな頻繁にあることじゃないからすーぐ忘れちゃってさ。そういや今まで兄ちゃんに話したことなかったねー」

「……あっそ。次おんなじことあったらソレで窒息して死ね」


 風斗の肩をわりと本気で拳で殴る。びくともしない。こっちの手が痛くなっただけで、俺の方がダメージを受けた。いつものことだ。俺は空き缶をゴミ箱に押し込むと無言で売店に足を向けた。待ってよ兄ちゃーん、と軽薄な声が追いかけてくる。俺は無視する。


 風斗は空気が読めない馬鹿だが、物覚えの悪い馬鹿じゃない。むしろ無駄に良すぎるくらいだ。

 そんな奴が、あんな異常な症状がいつ頃からだったかを思い出せないはずがない。覚えていないわけがない。なんなら日付や時間帯まで記憶しているはずだ。なのに、堂々ととぼけて見せたのが許せなかった。兄に心配かけまいとしての行動なのかもしれない、いや十中八九そうだろう。

 それが腹立たしかった。

 風斗にわがままを言われるのは当たり前にムカつく。

 でもそれ以上に、足りないデリカシーで拙く気遣われることが我慢ならなかった。

 お前は俺にとってひたすらに邪魔で、迷惑で、憎まれる存在でいりゃ良いんだよ。良いとこもあるな、可哀想だな、なんてほだされるなんて虫酸が走る。

 売店の中も人でいっぱいだった。物色するだけの人、両手いっぱいに饅頭やらせんべいやらの箱を持つ人。あちこち触ろうとする子供を制する人。

 レジを待つ行列の向こうに、美咲といずみの姿を見つける。向こうもこちらに気づいて手を挙げている。


「あ、いたいた! 美咲ちゃーん」


 鼻の下を伸ばした風斗が俺を押し退けて二人の方に進む。浮かれきった声を出しやがって。

 商品棚はぎゅうぎゅうで、通路は人がすれ違うのもやっとの狭さだった。ここでなきゃ、足を引っ掛けて転ばせていたところだ。


「……何がストレスだ」


 口の中の呟きは喧騒で誰にも聞こえない。

 好きな娘とずっと一緒のウキウキの旅行で、お前にかかっている“すごいストレス”って何だよ。

 何も考えていないくせに何も言わない弟に対して、自分でも驚くくらいの怒りが腹からふつふつと湧いている。

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