惨劇への出発

無邪気なお誘い

「旅行?」


 発端は、九月の日曜日に恋人の最上いずみが提案してきたことによる。比喩じゃなく死ぬほど暑かった夏の気温の名残りがようやく和らいできた頃だった。それでもまだ出かける気にはならないくらいの強い日差しを避けて、いずみの住むアパートでだらだらと過ごしていた。生活感があって無造作に置かれた物もそこかしこにあるのに不思議と落ち着ける部屋で、俺はここでいずみと過ごすのが好きだった。

 映画配信サイトで古い作品を立て続けに二本観て、休憩にテーブルの菓子を摘んでスマホを見ていた。何となくでつけたTVで旅番組が始まり、そういえば言うの忘れてたけど誘われたから行こうよ、といずみが切り出した。


「うん、来月の三連休に。Q県S郡に美咲の出身地の村があるんだけど、ちょうどお祭りがあるんだって。私がお祭り見てみたいなあって言ったら、美咲の御両親が旅館の経営やってるらしくて、安くするから皆で泊まりにおいでよーって誘ってくれたの。聡太まだ何も予定無いって言ってたでしょ? 土曜の朝にこっち出て向こう泊まって、日曜にお祭り見て帰るの。どうかな」


 スマホのカレンダーアプリを開いてみる。十月の中旬の月曜日が祝日だか振替休日だかで赤くなっている。スケジュールは真っ白。ここのところ仕事が忙しくて、遠出の計画を立てるどころじゃなかった。目の前の業務を片付けるのに必死になっていると、先のことに思いを馳せる心の余裕がなくなってしまって良くない。

 ついでに、教えてもらったQ県S郡の旅館もネットで検索してみる。天然温泉と地元で穫れた海鮮料理が売りらしい。旅行先としては良さそうだ。

 忙しさはひとまず今月末で落ち着く予定なので、行くには行ける、が。俺は今のいずみの言葉の引っかかった部分を突っ込んで聞いてみる。


「……“みんな”って?」


 ある程度予想はついたけど、一応聞いてみた。自分の眉間に皺が寄っているのが鏡を見なくてもわかる。


「私と美咲と、風斗くんと聡太」

「んー……そっかあ……」


 俺は心底気が進まないという気持ちを全く隠すことなく顔と声色に出した。基本的に温泉は苦手だ。そしてそれ以上に、弟の風斗が一緒なのが気に入らない。

 いずみは風斗がこの春からバイトをしている居酒屋のバイト仲間だ。フリーターで、俺の一つ下の二十三歳、元々は風斗が俺達を引き合わせてくれた。美咲というのも同じくバイトの仲間で、いずみの親友だということだった。年も近いらしい。そして、風斗の片思いの相手でもあるという。

 女性陣には全く文句はない。恋人であるいずみは当然のことながら、その親友なんだから美咲という娘もきっと良い娘なんだろう。そこまでは良い。そこに風斗が加わるのが気に入らなかった。


「風斗抜きだったら完璧なんだけどなあ……俺、旅行行くならいずみと二人きりで行きてえよ」


 ぼろぼろと本音をこぼす俺に、いずみのくすくすという笑い声が被さる。手にしたグラスのアイスコーヒーが揺れている。氷はほとんど溶けていた。口直しの麦茶を取りに行くために俺は腰を上げた。


「それはまた今度行こ! 最初は私と美咲だけで行く予定だったんだけど、昨日休憩中に二人で話してたのを風斗くんに聞かれちゃってさ。僕も行きたいーってなっちゃって、それなら女二人男一人より聡太もいた方が絶対良いじゃん?」

「マジかー。完全に邪魔モノだよなごめんな、あいつホント空気読めないんだよ。何なら俺からあいつに行くの止めるように言おうか?」


 いずみ達のためなら、口で言うだけじゃなく多少殴ってでも止めるが。喜んで。

 自分の分のお茶を受け取ったいずみは当たり前のようにアイスコーヒーのグラスをこちらに寄越してくる。勝手に冷蔵庫のものを触ってもキッチンに立っても何も言われない。自分の家よりも居心地が良い。もし一緒に暮らしたら、この感じがずっと続くんだろうか。弟さえいなけりゃ今すぐにでも引っ越したい。


「大丈夫! 旅館の予約があんまり埋まってないから泊まり客が増える分にはむしろ嬉しいって美咲言ってたし」

「そっか、それなら良いんだけど。それはそれとしてあいつはムカつくから今度殺しとくわ」

「相変わらず隙あらば風斗くんを滅ぼそうとするね……シフトに穴空いちゃうからちょっと困るんだよなー」

「穴埋めがいたら良いのかよ」


 いずみが弾けるように笑った。多少物騒なことを言っても、悪口じゃなく軽口として流してくれるいずみが俺は好きだった。弟君のことそんな風に悪く言っちゃダメだよ、なんて諭されるのが大嫌いな俺にとって、この距離感が心地良かった。付き合って数ヶ月だけど、いずみの前ではどんどん素の自分が出てきて風斗へのキツい口調が出てきてしまう。

 普段から俺は風斗に対して当たりが強い。いずみとの仲を取り持ってくれたことにはちゃんと感謝しているけど、小さい頃から両親に甘やかされて育ったせいで世界は自分を中心に回っていると思い込んでいるのが気に入らなかった。欲しいモノは兄のモノだって自分のモノ、優先されて当たり前、で俺は好物もおもちゃも随分取り上げられてきた。全てが罷り通る呪いの言葉が「お兄ちゃんでしょ」だ。

 奪おうとするのは物だけじゃなかった。あいつはとにかく人の会話の輪に入りたがる、仲間になりたがる。昔は親との会話をどれだけ横取りされたかわからない。それを家の外で他人に対してもやらかすんだから、一緒にいると無駄にハラハラして周りに気を使うハメになるのも嫌だった。こんなに嫌がっているのにお兄ちゃん好きに育ってしまって、やたらと懐いてくるのも鬱陶しかった。

 風斗が大学生になってバイト先を決めてきた時、正直こんな奴に接客業なんて勤まるのかと疑っていた。友達もろくに作ってこなかったからだ。

 どれアイツがヘマして怒られる様子を見て笑ってやろうなんて我ながら意地の悪い考えで行った先で、俺はいずみと出会った。世の中何がどう転ぶかわからないなと思う。

 不安しかなかった風斗の働きぶりだが、いずみを始め優しくて気の良い先輩達に囲まれて何とかやっているようだった。空気を読むのは下手だけど物覚え自体は良い方なのが功を奏したらしかった。マニュアルが細かな部分までしっかり定められていて性に合っている職場のようだ。

 そして、俺がいずみと出会ったように風斗は美咲に出会った、らしい。美咲に会いたいがためにシフトが被るように勤務希望を調整したり、仕事中もやたらと絡みに行っている、とはいずみの談だ。付き纏いにまで発展してそうなら店を止めさせるのも吝かではないけど、美咲は今のところさして気にしていないとのことでホッとした。それどころか、アレはアレで店では頼りになる存在とのことで、美咲の中での好感度は低くないらしい。


「アレがあ?」

「ほら、風斗くん身体が大きいから、酔っ払って悪ふざけしたり女性店員に絡む迷惑なお客さんとかの対応任せやすいんだ。風斗くんが出て行くとそれだけで大抵のお客さんは大人しくなるの。面白いくらい態度変わってウケるよ」


 確かに風斗は父親に似て身体がデカい。身長は一九〇cm超えてるし体重ももちろん三桁に乗っている。さらに母親譲りのきつい目元に父親譲りの濃い眉が相乗効果を起こして、黙っていればかなりの強面だ。昔は少しイジメられたこともあったみたいだが、デカくなるにつれて正面切って喧嘩を売る奴はいなくなった。俺はといえば母親の遺伝子に引っ張られたらしく百七十を少し過ぎた辺りで成長が止まり、いつも風斗に見下ろされる形になっている。


「バカとハサミは……ってやつか。ちょっと見直したなあ」

「ちょっと、なんだ。厳しいお兄ちゃんだなあ」


 これでも態度が丸くなった方ではある。

 まあとにかく、渋々だが俺は旅行に行くことを決めた。愚弟が旅先で変にテンションが上がって、美咲という娘にヨコシマなことをしでかさないように見張ってやった方が良いだろう。せっかくバイト先で築いた信頼を壊さない方が良い。それに、いずみの側にあいつがいて俺がいない、という状況になるのは気に入らない。

 シンプルにここから遠い場所に出かけて日頃の憂さを晴らしたかったのもある。

 Q県S郡は電車とバスを使っても行けないことはない場所だったが、時刻表を調べてみると乗り継ぎが不便なようだった。俺の車を出すことにした。


 こうして、俺達の地獄への旅路は幕を開けた。



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