プロローグ
草原が吹き抜ける風が、森に流れ込んで木々を揺らしている。
まるで波音のように、微かに揺れ響いて伝わってくる。
強い風は、枝を高波の様にざわめかせ、そよ風は静かに打ち付けるさざ波のように――
彼女が目を閉じてその音に聞き入っていると、自分が風になったようにふわりと視界が浮かび上がった――
西に吹き抜ける風は深い森に入り込んで木々を揺らす。
東に向かえば、少し険しい山の粉雪を散らした。
南の街道を進めば、小さな村の人々の間を駆け抜けていく。
北に吹き付ければ、やがて、東と西の山と森がぶつかる境界線が見えた。
風は巡る――
その始まりの草原。
そこに小さなログハウスがぽつんと建っている。
まるで、世界の中心のように――
そこだけ時間を切り取ったような、静かな凪に包まれて、
でも、ひっそりと佇んでいる。
彼女のお店――喫茶店『小道』
――客の姿は見えない。
帝都の喧騒からは遠く離れて、一番近い集落ですら徒歩で一日。
そんな辺鄙な所で、彼女はコーヒーを淹れる。
コーヒーを淹れるたび、店の木目に染みこんだ香りがふわりと立つ。
それは、いつかどこかで出会った香りのようで――
そして、いつか誰かが、このコーヒーを好きだと言ってくれる。
そんな光景を想い浮かべると、ドリップをする彼女は、自然と笑顔が零れて――
香ばしく湯気を昇らせるコーヒーを片手に、彼女――ユウは本を読んでいた。
その隣では、オーガ族の証である二本の小さな角を額に持つ少女――リンが、同じように本に目を落としていた。
二人は、ただ、静かに本を読んでいるだけ――それだけなのに、お店の中は、ふんわりとした暖かさに包まれていく。
寄り添う二人の影が、静かに伸びていく――
そのうち、ユウの首がかくん、とゆれ始めた。
それに気づいたリンが訝しげに覗き込む。
ユウはハッとしてぶんぶんと首を振り、椅子から立ち上がった。
苦笑いを浮かべるユウに、リンはジト目でため息を付くと、読書に戻る。
ユウは伸びを一つすると、そのまま窓側まで歩いて、空を見上げる。
日が少し傾き始めている。
雲は形を変えながら流れて、その白に太陽が隠れたり、顔を出したり。
空を行く小鳥が店の上をくるくると旋回して、慌しく飛んで行く。
慌しいのは小鳥だけで、雲は溶けるように風に流されていくし、太陽は西へとゆっくりと歩んでいく。
そうして、やがて夜が訪れて、今度は月が、太陽の通った道を追いかけていく。
ゆっくりと時は過ぎ行くのに、それを味わっていると、あっという間に時は過ぎ去って――
ユウは、ふと空を見上げた。
自分がどう感じようとも時はただゆるりと過ぎていく。
止まることも休むこともなく、ただただ延々と流れてゆくだけ――
振り返って、本を読むリンを見つめる。
じっとしているかと思ったら、高い椅子から出した足を、時々ぶらぶらさせたりして。
そんな様がたまらなく可愛い。
視線を感じたのか、リンがちらとユウを見て、またすぐ本に目を落とす。
少し迷惑そうな表情をしているが、ユウは気にせず見つめていた。
しばらくして、ユウはリンの傍に戻ってまた本を読み始める。
夕日が差して、二人の肌を紅く染め上げる。
やがて、夜が来る。
――茜色が、ゆっくりと黒に融けてゆく。
空気が、段々とその濃さを増してゆき、
夜の気配が漂い始める。
微かな木の香りと、炎の匂いが、そっと鼻腔をくすぐった――
ランプの炎が静かに揺れて、
その小窓から、ふっと息を吹き込めば、炎は静かに揺れて光を残す。
そうして、そこには暗闇と静寂が満ちていく。
誰もいなくなった店内に残るのは、
二人がそこにいたという微かな温もり、コーヒーの香り――
――ここは喫茶店『小道』
ゆっくりと時間が流れる場所
お勧めはコーヒー、優しい月の光をそえて――
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