第一話「雨の『小道』」

 雨――


 山の斜面を伝うように落ちる雨の音は、テラスの床に吸い込まれて、音もなく消える。

 ただ、屋根を穿つ雨音だけが、ぽつりぽつりと耳の奥に残った。


 店内に客の姿はない。


  ――仕方ないよね? 雨だもの


  雨だから客足は鈍る。それは当然のことだ。

  きっと皆、降り注ぐ雨に二の足を踏んで、

  自分と同じように雨雲を見上げていることだろう。


「すいませんでした――」


 掬い上げるような視線、ジトっとした赤い瞳が彼女――ユウを射抜いて、彼女は苦笑いを浮かべながら頭を下げた。


「雨のせい?」


「でっ、でも――」


 赤い瞳の少女――リンの問いかけに、口ごもりながら言い訳を並びたててみても、雨の音しかしない店内が全てを物語っている。


「希望的観測」


 ジト目でばっさりと言い訳を切り捨てるリン。

 これにはユウも反論できない。


 リンはカウンターの端で、小さな手を組んでこちらを見上げた。


 かつてリンが連れられて行った、あの賑やかでたくさんの人間がいた場所――帝都に行った時に入った喫茶店はここより何倍も広くて、それなのに、ほとんどのテーブルが人で埋め尽くされていた。


 食事を楽しんでいると、髭を蓄えた中年の背の高い男がやってきてユウに頭をさげ、ユウは困ったような笑みを浮かべて立ち上がり、同じように頭をさげていた。


 どういう儀式なのかリンにはわからなかったけれど、これまで食べた事のないような美味しいものを食べて、思わず自分も髭の人に頭をさげていた。


 きっと、美味しいものを作った人に敬意を表する儀式なのだ。


 そうだ、あの場所にいたお客様がここへきて、自分のお菓子を食べてくれたなら……


 リンが目を閉じると、その情景がありありと浮かび上がってくる――


 *


「凄い! 美味しい!」


「こんなケーキ初めて食べた!」


「天才パティシエだ!!」


 店中から歓声があがる。

 大人たちがみんな笑顔で、リンの作った菓子をほおばっている。


 リンは艶やかな角と赤い瞳を輝かせて、得意げに頭を下げる。


「ありがとうございます」


 ――なぜか立派な髭を蓄えて。


 そして客全員もまた髭を蓄えていて、笑顔で頭をさげ返し、


「素晴らしい!」

「本当にありがとう!」


 店は拍手に包まれて――


 *


「リン?」


 ユウの声で、リンはハッと目を覚ました。


 自分の顔を覗き込んでいるユウには髭など生えていない。ただのユウだ。


「……ひげ」


「ひげ?」


 意味不明な言葉に首をかしげるユウ。


 リンはぐるっと店内を見渡し――ため息をついた。


「……お客……いない」


「うぐっ」


 ユウは胸のあたりを抑えて、目を逸らす。

 静かな店内と雨の音がじわじわとリンの言葉を浮かび上がらせて、ユウを撫でる。


 そのダメージを抱えたまま、ふらふらと身体を揺らしながら、ユウはリンに手を伸ばし――


「?」


 そのまま、がばっとリンを抱きかかえて、自分の膝に座らせた。


「ユウ、何?」


 ユウは何も言わずに、リンの頭を撫でる。


「子供じゃないよ?」


「わかってるよ」


 そういいながらもリンは目を閉じてされるがままにしていた。


 髪を梳くように撫でていると、リンはそっとユウの膝に寄り掛かった。

 そのうち、すぅ……と小さな寝息が聞こえ始める。


 少し残ったコーヒーが微かに香って、ふっとユウ達を包み込む。

 ユウも、柔らかく微笑んだまま、その背を抱き寄せてまどろんでいった。


 木の葉や地面を打つ雨音が、やがて遠い潮騒の様に店の中に染み込んでくる。


 静かな子守唄の様に――



  どんな夢を見ているのだろう。


  起きたら、夢の報告会。

 

  きっと幸せな夢を見ているに違いないから。


  もしかしたら同じ夢をみたのかもしれないから――



 雨は降り続いている。


 雨音に、静かな寝息と夢が交じり合って流れてゆく。





 ――喫茶店『小道』


 そこには、とびきり笑顔の女性店主と小さなウェイトレスがいる。


 お勧めは小さなパティシエの作るお菓子。素敵な夢に笑顔を添えて――

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