F遊園地・屋内迷路“鏡の間”の隠しコマンド

僕が大学生のころ、ある地方の遊園地でバイトしてました。

最寄り駅からも雪が積もらなければギリギリ歩けるくらいの立地。


園内に古い屋内型の迷路アトラクションがあって、その中に「鏡の間」があるんです。通路の壁ぜんぶが鏡張りで、床と天井にも鏡が貼ってある。

クラシックだけど子どもたちがキャッキャ言いながら走り回る、人気ポイントでした。


ただ、社員さんや古いバイト連中は、決まって同じことを言いました。

「閉園後は絶対にあそこには入るな」

理由を聞くと「夜あそこ行くとホントに分かんなくなるから」。

まあこれだけなら、鏡の部屋って実際方向感覚おかしくなるし、確かにな、というだけの話なんですけど。

ひとつ都市伝説があったんです。


「閉園後、夜中の三時までのあいだに鏡の間に入って、決まった順番で鏡をのぞくと、最後に白い布かぶった人が天井の鏡から落ちてきて、掴まれて一緒に床の鏡の中に落っこちる」


前、後、上、下、右、左、前、後、上、下。


一枚ずつ数秒見つめて、順番どおりに。


最初に聞いたときは、「誰が考えたんだよそのコマンド」って笑いました。

そんな話を真に受けるような年でもなかったですし。



その年の夏休み、ほぼ毎日バイトのシフトで埋めていました。

九時に開園前の準備開始。開園が十時で、閉園が二十時。片付けと清掃で、だいたい二十一時すぎまでは園内に人が残ります。

夏は開園時間も長くてお客さんもそれなりに多くて大変は大変なのですが、結構好きだったんです。やっぱり、みんな楽しみに来ている場所なので、雰囲気もやわらかいし。

毎日長めの休憩を2回くらいづつ、交代で取りながら、バイト仲間や社員さんと楽しくやっていました。



その日、迷路担当だったのは僕と、やっぱり大学生の先輩のAさん、それからほかのアトラクションと掛け持ちのフリーターBとCでした。

迷路は3階建で、各階ひとりずつがスタッフとして僕らが待機してました。ちなみに2階が鏡の間です。


閉園後。

片付けが終わって電気を落とそうとしたとき、Aさんが言いました。

「なあ、今日やんね?」

何をかは聞かなくても分かりました。

「例のコマンドっすか?」

Aさんが鍵束を振って見せました。

「今日さ、社員は花火大会の方に出払ってんだよ。管理棟も人少ない。やるなら今しかないって」


断る理由を、誰も真面目には探さなかったと思います。子どもみたいにわくわくしながら、電源を落として、バレないように監視カメラも落として、四人でしれっと迷路の中に戻りました。


迷路は閉園後、電源を落とすと安全のための別系統の赤い非常灯だけがついていて、壁の鏡は黒く沈んで、床の鏡がぼんやり天井の赤を返していました。


「順番、ほんとに覚えてる?」

「前、後、上、下、右、左、前、後、上、下、な」


ここで、場所の説明をしておきます。

鏡の間の出口手前に角があって、そこを曲がると3メートルくらいの一本道になるんです。その突き当たりに、もうひとつ左に折れる角がある。そこを曲がるとすぐ1メートルほどの行き止まり。その行き止まりが、ちょうど“鏡の箱”みたいになっていて、前後左右の壁が鏡、床も鏡、天井も鏡。つまりその一メートルのところに立つと、前後左右上下、だいたい全部が鏡になる絶好スポットでした。

ただ、手前に人がいると鏡に映り込む。だからAさんは言いました。

「四人でやるとわけわかんなくなるから、一人ずつな。ほかのやつは映り込まないように、手前の角で待っとこ」

三人は、三メートルの一本道に入る前の角の外側で待つ。そこなら、曲がった先の鏡には映らない。


じゃんけんで順番を決めました。最初がC、次がB、三番目が僕、最後がAさん。



最初はCです。


僕ら三人は、言われたとおり鏡に映り込まない角のところで待っています。Cの声が鏡の間に響く。

「……前」

「後、上、下、右、左、前、後、上、下」

十回。たかがそれだけです。


Cが「はい、落ちませんでしたー」と笑って過剰なドヤ顔で戻ってきたので、僕らは馬鹿みたいにハイタッチしました。ホームランを打ったバッターを迎えるみたいに。


次はB。


Bも「前」「後」と言いながら、同じようにやりました。

彼も何事もなく戻ってきました。

ただ途中で一度だけ、非常灯が「チッ」と瞬いた気がしました。

電圧が不安定だったのかなと思ったのですが。

そのとき、鏡が全部、俺じゃないちがう顔を映したような気がした、とBは言いました。

その場では皆で「ビビってんのか?」「気のせいだろ」と茶化しましたが、その後のことを考えれば、その時から予兆があったということなのかも知れません。


ただその時は

「やっぱり、なんも起きねえな」

「そらそうよ」

などと言い合いながら、僕の番になりました。


順番は頭の中で何度も唱えていたので迷うことはありません。

二つ目の角を曲がって、行き止まりの一メートルに立つ。四方が鏡で、赤い非常灯の光が前後左右上下に伸びて、深さがどこまでも続くみたいに見える。


「前」

正面の鏡。

自分の顔が少し赤っぽいだけ。


「後」

振り返って、後ろの鏡。

もう一人の自分がこちらを見てる。


「上」

天井の鏡。

見上げた自分の顔。


「下」

床の鏡。

靴と、赤い光。


「右」

右の鏡。

やっぱり見慣れた自分の顔。


「左」

左の鏡。

変化無し。


ここまでは、何事もない。

環境のせいでちょっと怖がっていたと言うか、どこかで何かを期待していた自分の潜在意識に気が付いて、ちょっと笑けてニヤッとしてしまいました。


それで、七回目。

「前」

正面の鏡を見た瞬間、ニヤついた僕の足元のあたり――鏡の“縁”のところに、ロープみたいなものが一瞬だけ見えた気がしたんです。


毛羽立った、茶色っぽい紐。

「……え?」

と思って目を凝らすと、もうない。光の反射と埃の筋が、たまたまそう見えただけだ、と自分に言い聞かせました。


八回目。

「後」

振り返った鏡の中で、僕の背中のすぐ後ろを、白い何かがすっと横切った気がしました。

布とか、濡れた紙みたいな、薄い白。「気のせい」で済ませられるくらいの一瞬。でも、嫌な種類の一瞬でした。


心臓が一拍遅れて大きく鳴って、背中がぞわっと冷たくなる。

それでも、途中で止めるなんて他の3人の手前できるわけがない。

いや、気のせい、気のせい。さっさと済ませよう。


九回目。

「上」

天井の鏡を見上げた瞬間、息が止まりました。

僕の顔のはるか向こう――天井の鏡の“奥”のほうに、なにか白いものが見える。


最初は、光の反射かと思った。でもその白が、どんどん大きくなる。鏡の中なのに、その物体だけ反射とか、そういう光の法則を無視してかなりの速さで落ちてくるように見えました。


なぜかディテールがはっきりわかりました。

白い布をかぶった頭をこちらに向けて、真っ逆さまに。顔は見えない。布が汚れている。黒ずんだ染みがいくつも滲んでいる。


見間違いだ、と言うには、あまりに“人の輪郭”でした。

喉の奥がきゅっと縮んで、声が出なくなりそうになりました。


たぶん、それはコンマ何秒の判断でした。

下を見るわけにはいきません。

目線を上に固定したまま、ほとんど逃げるみたいに後ずさって、10回目の「下!」と必死で言い、言うと同時に目線を切って、角から出ました。

一目散に、3メートルの一本道を走って戻りました。


角の外側にいたBとCが「どうした?」と顔を上げたけど、僕の口からはうまく言葉が出ませんでした。

変なモノを見たなんて、

「全力でビビりをいじり倒してやろう」という気配満々で僕の言葉を待ち構えているBとCにはとても言えませんでした。


「いや、腹減って⋯」

と意味不明な言い訳をして「はあ?意味わからん」「だる!」と呆れ笑いをされるのが精一杯でした。


するとAさんが僕らを見て笑って言ったんです。

「お前らさ。大声出してるのがダメなんじゃないの?」

僕らが「え?」ってなると、Aさんは続けました。

「別にあんな大声出す必要なくね? 俺、ちょっと声出さないでやってみるから。お前ら静かにしといて。」

Aさんはそう言って、角を曲がって三メートルの一本道のほうへ入っていきました。


気をつけてください、と言いたかったですが、言えませんでした。

幻に決まっていると思ったからです。


ギシ、ギシ、という足音が聞こえて、おそらく定位置につき、足音が止まりました。

ここまでは普通でした。


僕ら三人は角の外側で待っていました。Aさんの姿は当然、見えなません。声も聞こえません。静かすぎて、昼間の喧騒の残り香のようなものが、鼻の奥に感じられました。


そのときです。


「カタン」


二つ目の角の向こう、Aさんがいる鏡の行き止まりのあたりから、軽い音がしました。金具が触れたみたいな、硬いものが少しだけ動いた音。


Bが小さく「今のなに?」と言って、Cが「Aさんでしょ」と言った。僕も「大丈夫だろ」と。


でもAさんが戻ってこない。


一本道の行き止まりですから、当然、戻るときは必ず僕らの待ってる角を曲がってくる。分かれ道もないし、隠れ場所もない。

「……長くね?」

Bがそう言って、角から少しだけ顔を出しました。僕も続いて覗きました。


三メートルの一本道。誰もいない。


視線の先に見えるのは、三メートル先の“二つ目の角”だけです。そこに影もない。足音もない。呼んでも返事がない。

「……Aさん?」

僕らは二つ目の角まで行ってみました。行き止まりの鏡の箱の中にも、誰もいません。


鏡が六面あるのに、そのどれにもAさんが映ってない。僕らの顔と赤い光と、薄い埃の筋だけが映っている。


「Aさーん」

意味が分からなくて、三人で迷路内を走り回りました。他の部屋や通路も全部。裏の通路も確認したし、それこそ隅々確認しました。それでも、いない。


僕は、Aさんが消える前に自分が見た幻が気にならなかったわけではありませんが、あれは幻です。怖いと思い込んで、特殊な環境で、都市伝説をなぞるような幻を見ただけです。


結局、Aさんは見つからず、その夜はもう帰りました。

「なんか秘密の通路とかあんじゃね?」

「だな、俺らビビらせて先に帰ったんだわ」

「だる!あの人、そういう人だと思わなかった」

そんなことを口々に言いながら、僕らは駐車場で解散しました。

実際、Aさんがそういうドッキリじみたことを、しかもネタバラシもなしにするとは思えなかったのですが、

一方でどこか掴みどころのない先輩でもあったので、まあそういうこともするのかな、と思っていました。

BとCは何なんだよあの人、と口々に言っていました。

明日の朝はサイレントトリートメントの刑だな、とか。



翌朝。

Aさんはいませんでした。

無断欠勤どころか遅刻もしない人です。

ふざけるのはふざけるけど、締めるところは締める。そういう、妙に先輩らしい大人っぽいところがある人です。ネタバラシは絶対に今日だと思っていました。

そのまま、Aさんからは連絡もなく、その日は結局来ませんでした。

僕もBもCも、もちろん昨日のことが引っかかっていましたが、たまたま病欠かもしれませんよね。

繁忙期で忙しかったこともあり、BやCとほとんど話もできずに1日が過ぎていきました。


ですが、次の日も、その次の日も、Aさんは来ませんでした。

無断欠勤が三日続くと、さすがにただでは済まなくなります。

僕ら三人の間で、言葉にしない同じものがじわじわ育っていく中、園の方が動き始めました。

Aさんが迷路アトラクションの鍵束を持っていることもあって、セキュリティ的な面でも園は痺れを切らしたようです。

社員がAさんの自宅に行ったらしいのですが、鍵がかかっていて、不在。夏休みということもあり、大学に連絡してもわからない。親御さんに連絡しても、「帰っていない」「知らない」と言われたそうです。


僕らが目を遠ざけてきたことが現実味を帯び始めてきました。

Aさんは、ふざけて先に帰ったんじゃない? 本当に、どこかに消えてしまった⋯?


四日目か五日目の夜だったと思います。

休憩室の隅で、僕ら三人は缶コーヒーを握ったまま、久しぶりにほとんど会話にならない会話をしました。

「言う?」 「何を」 「……あの時のこと」

Bが言いかけて、途中で口をつぐみます。

Cが、やけに小さい声で、「でも、関係ないだろ」と言いました。


関係ない。 関係ないはずだ。僕たちが教えられていない秘密の通路があって、Aさんはそこから外に出た。

もし本当にAさんに何かあったとしても、それは鏡の迷路の肝だめしとは関係ない、その後に起きたこと。

だって、そうとしか考えられない。

そう思い込もうとしたんです。思い込むしかなかったんです。


でも、園が警察に通報すると決めた、と聞いたとき、僕は胃の奥が冷たくなるのを感じました。

僕らが本当にAさんを見た最後の目撃者だとわかったら“そこで肝試し中に突然消えました”なんてオカルトな話を信じてもらえる訳がありません。犯人扱いは間違いありません。



捜索が始まって、園内が主な捜査の対象になりました。

Aさんが通勤に使っていた原付が駐輪場で見つかったことなどから、あの日、園から帰っていない可能性が高くなったとのことでした。

Aさんが鍵束を持っている迷路内はもちろん、事務所裏の倉庫や、使っていない控え室や、敷地外の資材置き場までひと通り当たって、それでも何も手がかりがみつかりません。


そんな中、迷路内で悪臭がしはじめたのです。園の職員も警察もほぼ同時に気が付いて、迷路は封鎖されました。

警察犬が、2階の床下を向いて吠えていたそうです。


「古い図面、ないのか」

という、刑事さんの声で倉庫の奥から引っ張り出された図面に、鏡の迷路の下に「機械室」と書かれた区画が記載されていました。


照明と空調の設備、それと昔々使っていたという簡易的な床の昇降ギミックのモーター。


昔は「床が急に沈んでびっくりさせる」ために、床の一部が上下する仕掛けが入っていたらしいです。ずいぶん前から安全上の理由で使われておらず、僕らは知らされていませんでした。

というか、社員でもほとんど知らなかったみたいです。

で、その点検口の蓋が、例の「コマンド」を試した行き止まりの床だったのです。

そこまでは合点が行きます。やっぱり秘密の通路があって、Aさんはそこから出ていったんだと。


園長と警察が、その機械室を確かめることになりました。

ただ、やっぱり変な話なんです。

点検口の蓋は、「最近誰かが開けた」感じがまったくなかったそうです。埃の詰まり方が長年触られていないそれで、ネジも、留め具も、固着している。こじ開けるのには鍵とかではなく、特殊な工具が要る、という話でした。

他に出入り口はない。


じゃあ、Aさんは、どこから入ったんでしょうか。


入ったのか。 落ちたのか。 それとも、そもそも「入った」という前提が間違っているのか。


そういうことを、僕らは三人とも口にできませんでしたが。


点検口を開けた瞬間、悪臭の原因とすぐにわかった、と後で聞きました。

機械室は2.5mほどの高さがある空間だそうです。

昼間でも暗く、捜査員の方は口元を抑えながら懐中電灯で照らして、モーターの周り、ワイヤーの巻き取り、レールの状態を見ていきました。


そこで、Aさんが見つかったそうです。

Aさんは、逆さまにぶら下がっていました。


古い昇降装置の鉄枠の脇、レールの溝のところに、足首が引っかかっていたとのことでした。

足首に絡んでいたのは、昔の安全ベルトの金具ごと残っていた古いベルト。切れかけのゴムと、金具と、黒ずんだ布。

足首がレールに取られて、何故かそれが巻き上がって、身体が足から引っ張られて、頭が下になって逆さになった。肩あたりが鉄枠に当たって、それ以上動けない。狭い機械室の、部品の間に挟まるような位置。

完全に宙づりではなく、ぶら下がって、挟まって、動けなくなっていたとのことです。

おそらく、あの夜からずっと⋯

誰にも気づかれないまま、機械室で、頭を下にして、長い時間。


僕ら三人が呼んでも返事がなかったのは、その時点でAさんはもう、声を出せなくなっていたからなんでしょうか。

でも、しばらくそのあたりに居たはずの僕らは「カタン」という音以外、Aさんの声も、機械が巻き上がるような振動も、なにも聞いていませんでした。


だいたい、Aさんはどうやってそこに入ったのか?なんのために?


もしかして⋯すぐに僕らが通報していたら、Aさんは助かったのでしょうか。



そのあと、園は一時的に封鎖されました。


僕らは聴取を受けました。でも、疑われたというより、確認です。Aさんが最後に目撃された時間、勤務の終わり、解散の流れ。


3人で口裏を合わせる時間もたっぷりあったので、ふだんのいつもの流れで、その日はAさんだけ少し残ってたので僕らは先に帰ったという説明を揃え、特に疑われることはありませんでした。


僕らが「閉園後に戻った」ことは、結局言いませんでした。

言えなかったんです⋯。


公式には「Aさんが閉園後に一人で迷路に入り、事故に遭った」という扱いになりました。

たぶん、どうやって入ったのか、といったことは結局わからずじまいだったのだと思います。

園側が、夏休みの掻き入れ時の営業停止期間をできるだけ短くしようと必死に働きかけていたようです。


だから、その日の不可解な出来事を知っているのは、僕ら三人だけです。


事故のあと、迷路は期間未定で営業停止になり、あとで取り壊されたそうです。

今は別のアトラクションになっていると聞きました。


僕はその夏で遊園地のバイトを辞めました。

BもCも程なく辞めたそうで、それからは疎遠になり、あまり連絡も取っていません。

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裏仏(うらぼとけ)──知られざる民間信仰にまつわる怪談集 小境震え @kozakai_fulue

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