第2話 朝と本音のあいだで
深澤と別れた夜、眠れなかった。
天井を見つめても、胸の奥のざわめきは収まらない。
「ごめんね」と言ったあの瞬間の、彼女の瞳が焼きついて離れない。
俺は何をしているんだろう。
妻を裏切りながら、彼女を傷つけている。
それでも――あの温もりを思い出すと、息が苦しくなる。
隣の部屋で寝息を立てる妻。
かつてはこの距離が一番落ち着いたのに、
今はただ、どうしても触れられない。
(俺が壊したんだ、全部)
彼女からのメッセージが届かないことに、
ほっとしている自分と、寂しい自分が同居している。
どちらの気持ちが本当か、自分でも分からない。
***
あの夜から二ヶ月が経った。
深澤とはその後、一度だけ、同じように仕事帰りに会った。
たった二回過ごしただけなのに、彼女と会うと、
心のざらつきが少しずつ溶けていくのを感じていた。
けれど――彼女はこの関係をどう思っているんだろう。
その答えを知るのが怖くて、胸の奥で自問自答を繰り返すだけだった。
***
帰宅すると珍しく妻のさゆきがリビングにいた。
女医である彼女は俺よりも多忙で、加えて過去の出来事もあって夫婦の会話なんてほとんどない。だから同じ空間に立つだけで、どこか息苦しい。
「あら、おかえり」
「…ただいま」
さゆきはソファーに座り、コーヒーを手にしていた。
俺がリビングに入ると、テレビの電源を静かに切った。
「最近、楽しそうね」
「…え?」
(急に、何を言い出すんだ?)
「あなたと何年一緒にいると思ってるの?見てたら分かるわよ」
「…そう」
「女でも、出来た?」
あまりにも直球な言葉に息をのむ。
否定もできずに黙っていると、彼女は意外なことを言った。
「よかったじゃない」
「…は?」
「あなたを満たしてくれるんでしょう?身も心も」
「私はもう、あなたに向けるエネルギーがないの。
仕事と、自分を保つことで精一杯。
だから――その彼女に癒してもらえばいい」
「…何を言ってるんだ?」
「パートナーを作ることを許可するってことよ。彼女のことは詮索しない。安心して?」
コーヒーを飲み干した妻は、マグカップを洗い流し、
いつものように何事もなかったように自室へ消えた。
***
ソファに身を沈め、妻の言葉を反芻する。
夫が他の女と会うことを、それ以上も容認するなんて――。
ショックを受けて罵倒するわけでもなく、
ただ静かに受け入れられてしまうほうが、
よほど、心に突き刺さる。
(…受け入れられてしまう方が、辛すぎるだろ)
日付が変わる気配の中で、ふと、彼女の名を思い出した。
会いたい――それだけが、今の俺の本音だった。
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